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みっちー

 一昨日実家のある街へプチ帰省して、娘とふたり、小さなカフェでお昼を食べた。娘はピザを注文し、私はポキ丼を頼んだ。注文を取りに来た高齢女性に、セットの飲み物はアイスコーヒーを食前にください、とおねがいしていた。
 料理を作っているのは同世代くらいの男性で、おそらくその注文を取りに来た高齢女性の息子、つまり二人は親子のようだった。そのことには娘も気づいていたようで、店を出た後、あの二人親子だよね、じゃなかったらあのおじさん、あのおばあちゃんにあんなにこわく怒らないよね?いくらママにアイスコーヒーじゃなくてグレープフルーツジュースたのみましたよね?と間違えたからってさあ、と言っていた。そうね、そんな怒んなくてもいいのにね、、と返したあと、娘に「ねえ、ところでさ、カウンターに男の人いたでしょ一人で」と聞く
「ああ、なんかあのひと、マスカット持ってたよ。緑のぶどう、」
「うそ、ぶどう?土産かな、、、あのひとさ、みっちーて言って、中学高校一緒だったんだよ」
「みっちー?」
「あ、みちかつっていう名前でみっちー」
「あいさつすればよかったじゃん」
「うん、でもなんかさ。あのひとってね、中学のとき、いつもママと成績がちかくて、ママが一位だとあの人が二位であの人が一位だとママが二位だったの」
「へえ」
「だけどさ、ママの成績っていうのはね、頭がよいからじゃなくて、めちゃくちゃ勉強してたからなのよ、そりゃそんだけあれだけあほのように全科目網羅しとけばサルでも高得点できるわ、っていうやりかたでさ。けどね、みっちーは違う、みっちーはあたまがよかったのよ」
「たしかに、ママは頭よくないもんね、信じられないくらい偏ってるっていうか、よさそうに見えるけどぜんぜんちがうもんね」
「そうなのよ、だから微分積分でつまづいた。暗記が通用しない世界にはまるで太刀打ちができない。コピペできないと生きてけない。もうそこはあなたは理解してくれてるからこの話も伝わると思うんだけど」
「それで?」
「それでね、それなのにみっちーは、ほかの友達に、ママのことをすごいって話していて。郁さんはどうやって勉強してるんだろう、どうやったらあんな点とれるんだろうって、言っていたって、聞いたことがあるの。だからさ、そうじゃないのよ、ちがうそうじゃなさすぎて、恥ずかしすぎてまじでつらい」
「は?(笑)」
「みっちーともうひとり、一緒の塾だった竹ノ内くん、かれは東大に行ったはずだけど、みっちーの進路、ママ知らないの。そういう話をしたくないって瞬時に思ったっていうか」
「でもたぶんきづいてたよ」
「うん、きづいてたね」
「でも知らないふりした」
「そうだねそれはむこうも」

 それにしても、あのおばあちゃんが間違えたことでほうじ茶のアイスもらえたのラッキーだったなー、と娘は上機嫌で、私たちはそのまま、駅のほうへ歩いてゆき、昔から行われているお祭りのにぎわいに紛れた。
 市内のいくつかの地区から、山車が集まってくる。お囃子は各地区によって違うようで、面白い。私の父は京都の人間だが、関東へ来て勉強し働いて結婚して家を建てた。それもあって、私の実家がある地区は、そういう山車、を引くメンバーに加われるような昔からの集落ではない。
 名称に、川、とつくような地区ののぼり旗には、水、とか女、とかいう漢字が読み取れるし、山車の装飾も、谷、とかつくような地区の雰囲気と、新、とつくような地区のものとはまたちがう。
 おもしろいな、お囃子グルーヴだなー、と思って娘と見ていたが、次第に暑さで体が茹でられてゆくようである。

 チョコバナナを買って、暑すぎるからお店の中はいろう、と言って駅前のショッピングモールに駆け込む。あっつい!と言って前を見ると、みっちーがいた。出会わせる流れかよ。みっちーは、ひとりで入口の自動ドアから少し離れたところに立って、そこから通りを見ていた。視線がぶつかり、そして離れた。そのまま、娘と手をつないで、ショッピングモールを進む。

 もし、結婚していなかったら、もし、いまこのあたりに住んでいなかったら、もし、あのとき、あの仕事辞めなければ、別れを選ばないで、あのまま荻窪に住んでいたら。それでも今日こうして、みっちーに出会ったのだろうか。
 川上未映子の短編の、いなかに帰省する都会で成功した女性が、バレンシアガのジャケットにサンローランのバッグ、マノロのヒールで同窓会に行く話を、なぜか思い出していた。『それがなんだってわけでもないんだけど、でも、「何かを圧倒的にわからせることにはなる」、そのことでわたしたちがそのときそこに居合わせる唯一の意味が生まれるっていうか』と、その主人公は言うのだ。
 みっちーと言葉を交わさなかった私は、みっちーに、何かを圧倒的にわからせられるかもしれない、っていうことに、無意識におびえたのかもしれなかった。みっちーはふつうのおっさんのまま、私の景色の背後に流れて行った。深い緑のTシャツに、チノパンのまま。消え際、残像のみっちーは、もう手に、マスカットを持ってはいないようだった。


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