Zut

「正しく発音された舌打ち」を目指しています。

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最近の記事

【詩】見つめろ、新しい狂気を

見つめろ 新しい狂気を 言葉の影にひそむ その瞬間を 掴み取れ 新しい狂気を 歴史の影の その中に たったいま! 饒舌なる 新しい理性が 手錠をもって やってくる そのまえに 聞き逃すこと ナカレ あの夜 売春婦の言った 誰のためでもない 愛の囁きを 見つめろ 新しい狂気を 言葉の影にひそむ その瞬間を すべての生き物の 栄光の ために

    • 聖人しか許されない国になってきた。それは天国だから、はやくりんごでも食べて、楽園追放されなきゃ。

      • 【和歌】ともしびの のちのほのほを 我が身にて きゆとも人を いつまでか見む

        * 「のちのほのほ」→最後の方の炎 「きゆとも」→ 火が消えても 「人」→死んだ兄 契沖の晩年の歌、死んだ兄への挽歌です。 物音のしない、夜の深いころ。頼りない灯を片手に、兄の死を悼んでいる様が伝わってきます。動かぬものとなった兄の体を、炎が照らし出しています。恐ろしいほどの静寂が感じられます。ろうそくは、もう残りわずか。作者はそのことに気付いています。しかし、立ち去ることはできません。まさに、その名残惜しい心を歌っています。わたしはここに、いつまでいるのだろうか、あかり

        • 最底辺で生きたい。ジュネみたいに。きっとそこが人間の故郷だから。

        【詩】見つめろ、新しい狂気を

        • 聖人しか許されない国になってきた。それは天国だから、はやくりんごでも食べて、楽園追放されなきゃ。

        • 【和歌】ともしびの のちのほのほを 我が身にて きゆとも人を いつまでか見む

        • 最底辺で生きたい。ジュネみたいに。きっとそこが人間の故郷だから。

          【詩】死のとなり

          抱き寄せないでください まだ けれども そこにいてください はなれてしまうと 花も、太陽も、海も みんな あなたを忘れて うそをついてしまうから 抱き寄せないでください まだ それでも 見つめてください あなたの目で その瞳のなかで わたしが正しく生きてることを やさしく ささやいてください 抱き寄せないでください まだ そちらが 暗くて こわいから 手のひら分だけ  開いた このベンチの上に あなたのかたちを 探しています おずおずと あきもせず いつも 裏切ら

          【詩】死のとなり

          タルコフスキー映画が教えてくれたこと

          タルコフスキーの映画にはじめて触れた、その翌朝。バイト先へ向かいながら、わたしは、街中の光景を貪るように見つめていた。 暑いが、しかしカラッとした夏の日だった。 澄み切った青空、水色に反射するビルの窓、新緑にかおる木々、道路脇を彩る花々、銀色に煌めく川、暗く静かな高架下・・・。目の前を次々に過ぎていく、見慣れたはずの景色は、明らかに昨日までとその粧いを異にしていた。それは不思議な体験だった。わたしの脳裏にはそのとき、昨晩見た映画の映像が残っていた。感動に導かれ、わたしはタルコ

          タルコフスキー映画が教えてくれたこと

          遠い国の砲撃よりも天井の足音が気になるのはどうしてだろう(国立西洋美術館におけるデモを受けて)

          先日、国立西洋美術館で、「展覧会出品作家有志を中心とする市民」(抗議文より)によるデモが行われた。 彼ら/彼女らの訴えの内容は2点ある。 1)国立西洋美術館のスポンサーである、川崎重工業株式会社は、イスラエル製ドローンの輸入販売を取りやめること 2)国立西洋美術館は、川崎重工に対して、イスラエル製ドローンの輸入販売を取りやめるよう、働きかけること、 川崎重工は、詳細な真偽は不明だが、防衛省との間で、イスラエル製の攻撃型ドローン(現在パレスチナの地で使われている可能性のある

          遠い国の砲撃よりも天井の足音が気になるのはどうしてだろう(国立西洋美術館におけるデモを受けて)

          「頂き女子りりちゃん」のつぶやき

          それは、あらゆる美しいものがわたしの目の前で朽ちていって、その感動の余韻すらも過去の淵に消えていき、生きる喜びは萎え、死の臭いが鼻腔を揶揄い始めたときだった。季節外れの新芽のように「りりちゃん」の言葉が艶やかに光っていたのは。 (一市民のやるべきことは、犯罪者を貶すことでも、裁くことでもない。前者は無益であるし、後者はそのための専門の人がいるから。それは、自分の進んできた道に孤独な人が立っているかのように、あるいはこれから進むかもしれない道に、同じ人が待っているかのように、

          「頂き女子りりちゃん」のつぶやき

          現代詩の必然性とその行末

          現代詩と資本主義言葉への懐疑  オーストリアの詩人、フーゴ・フォン・ホーフマンスタールに『チャンドス卿の手紙』という散文作品があります。現代詩の祖としては、『荒地』の作者、T.S.エリオットが今日広く知られていると思いますが、人類の歴史における「言葉の崩壊」を最初期に、もっとも鋭敏に感知していたひとりとして、ホーフマンスタールの名は忘れてはならないと、わたしは思います。『チャンドス卿の手紙』は、フィリップ・チャンドス卿なる架空の詩人による書簡体の小説であり、言葉に対する深い

          現代詩の必然性とその行末

          ヘーゲル『精神現象学』:感想と考察

          先日、ヘーゲルの『精神現象学』(長谷川宏訳、作品社、1998年)を一通り、取り敢えず、読み終えました。せっかく読んだので、私の頼りない記憶から消えてしまないよう、感じたこと、考えたことをここに記しておこうと思います。 1. 全体の印象まず、全体を通しての最も素朴な印象ですが、言うまでもなく難解で、正直なところ、読み通す中で何度か(物理的にも精神的にも)投げ出したくなりました。はじめは理解できない自分に情けなく腹が立ち、次は読みにくい文章そのものにイライラし出し、それからこん

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          生きる意味を問うことは自らを化石にする行為である

          こんにちは。今日は「生きる意味」について考えてみます。 「文学的、詩的に」というよりも、「論理的に」考えて見たいと思います。くだらない試みですが、少々お付き合いください。 「生きる意味」のイミそもそも、ここでの「意味」とは何でしょうか。まずは「意味」そのものについて考えます。 手元の辞書を引きますと、まず、「意味」にたくさんの用法があることに気づきます。それらを私なりにまとめると、次の三つが基本的な「意味」の「意味」になると思います。 ① 内容 ②意図、目的、理由 ③意

          生きる意味を問うことは自らを化石にする行為である

          デートで男性はおごるべきか?

          こんばんは。今回は「デートで男性はおごるべきか?」という問題を考えてみたいと思います。 二種類の「おごる」はじめに私は「おごる」という行為には区別される二種類の意味があると思います。 ひとつは、「借りを返す」という意味での「おごる」 もうひとつは、「自己表現」という意味での「おごる」 最初の意味は、「おごる人」と「おごられる人(たち)」との間に、はっきりした「力関係」がある場合に適用されます。 例えば、記者がカフェにインタビューの対象となる人(インタビュイー)を招いて取

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