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【詩】みちとうみ

詩は読まれる必要などない。読まれなければならない詩など、あってはならないではないか。詩は全て、厳密な意味において、世界のどこかで行われた秘蹟の痕跡なのである。その意味で、すべての詩は、すでに終わっている

21世紀において詩人を夢見る愚か者『いまだ出版されざる詩集』より


——さかのぼって来たのだね

一人は躊躇い、一人は怒っていた。故にエルゴー、次第に一人は怒り、一人は躊躇いがちになった。

「……渓流を反対にたどって来た、いくつものはなが踏みつぶされていたのに、ぼくらはどんな哀れみをかけてやることもなく、こしをかがめ、はなを近づけることもなく、なまえを知ろうとすることなく。かたわらの、ぼくらとは反対のあしあとをたどってきた。そのもち主のあしをはたらかせた因果を知るために……それで……

それでも、憶えているかい、君は、僕らが、この「僕ら」という言葉に、もっと沢山の名前が身を寄せ合っていたことを。数日の前、砂浜を立ったころ、手を取り合った仲間の多く、そしてもちろん僕ら、たったふたりだけなのにひとりびとりのこの僕らだって、別の、砂浜に転がっているものとは別の、たったひとつの聳え立つ夢、その夢のまた夢をそれと知らずに夢見ていたことを。

かれらは知った、たしかに、かれら、みちのあしあとと反対にたどって来たここ、このとき、とりたちがいっぱつの銃声とともにもみをはなれたこのとき、かれらの踵が上流をむいた、このとき。波と波の間にゆれるビーチがひとつのユートピア、ぼくらの唇をいま、あのときように、すぼませる一つの夢であることを、知っていた。知った、しかるにそのとき、ぼくらが一つの楽園をいったとき、どうじにかれらの耳元にまちかねていた√(ルート)が、革命のシラブル、シラブルへと! ——一つの線が粘土のようにSとOに! 変形し焼かれることを。

そうだ、僕らは、真のアレクサンドリア、この道の先にあるだろう、このみちの、道が道を捨て去るだろう、あの敷居の上で、真のアレクサンドリアが建ったあと、あらゆる因果の解明したあと、かの林檎が持っていたあらゆる可能性の淵源を知ったあと唯一にして万能の偉大なる反省が訪れすべての人間が成熟しそして真正なる平……

もうやめよう、口を動かすのをやめるんだ。口にまたこれいじょうにんべんをつけることなかれ、ここまできて、それ、ひとの口にまたにんべんをつけること、はもうわかったこと、きみも気づいてい、る、わかりきったこと、自然の奥によりいっそうの自然の奥、本性ピュシスは暴かれることを嫌、う、こと。どれほどたどってきたのか、いったいここ、とりたちがもみをはなれたここ、たくさんの踵が上流をむいたここ、ぼくはただここが知りた、い。視界の啓けた、さえぎるもののさいしょうな、ぼくらの目が地平線とともに天地を二分する窓までいこ、う、そこから見わたすの、だ、ろう、ぼくらのたどって来たものたちがそこでどんなかげを落とすのかを。

いいや、帰ろう、それだけ、それだけ、だ、俯いたまま、地面に見つめられたまま地面の口元で足首をひねるん、だ、反対の方角へ下流へそれが自然の道僕らの生まれた因果怯えるものの勝利……ここで見てきたものの痕跡を向こう、ビーチとともに波と太陽がウェーブとサニーに反転するむこうで見出したなら、ば、君はでくのぼう、おもろかもの、正真正銘のインポになるだろ、う。……しからばしからば、回れ右! 人間の道を降れ!

……じゃあこのみちはなんだろ、う、たどってきたこのみちは、人間の道ではないとすれば……

わからない。そんなこと、夢ヤブレタリ、このクリシェに花束を、であれ。僕らは人間だから、歩んでいく道がたとえ人間の道でなくとも僕らはそれを人間の道と名づけることしかできない……色眼鏡はその色を知らない。帰ろう、もう、これ以上進むべきみちを僕は知らない、人間は何者も見出せない、見出しうるもの以外には、それを受け入れるの、だ、さもないと——

返るわけにはいかない、踵は返すためにあるのではない。山のふもとでくぐった門、きみはおぼえているかい、ふり返ったぼくらをおそれさせた、『我を過ぐれば永遠とこしえの快楽あり』……そのとき僕らはおののきながら決心したはずだ、僕たちの脚がたべものによってはたらくのでないことを。

そうさ、僕らは思い誤っていたのかもしれない……思いあがっていたのかもしれない。人間の道はただ快楽への道、ぼくらは思い誤っていた、そして思い上がっていた。あの原史の骨からうまれたカップルはいちじくを摘み取った同じ手で知る前に知っていたのだ、知恵は甘いものだということを。

ぼくはきみに問いたい。真のアレクサンドリアとは、いったい何だったのか、波間にゆれるユートピアをはなれ√を二乗しSからOの夢をみたぼくら、一体何を知るために、ぼくらはあの日海に背をむけ、て、砂浜を立ったのだろ、う、か……

単純だったはずさ……椅子が、椅子がどのようにして作られるか……

そう、つまり、つまりだ……職人の……

……いいや、あるいは、世界がどのように出来ているか……

つまり、そう、それはデミウルゴスの……

いや、いけない。帰ろう、帰ろう、僕には聞こえる、自然の声が、『サカラウナカレ』と……

——さかのぼってきたのだね

そこで二人はしばらく黙ってしまった。揃って首を垂れながら一度踏まれた花々を彼らはもう一度踏み返して行った。論理的で在るが故に怒りっぽい男が歩みを止めない両足を慰めて言った。感情的で在るが故に論理的な男がうなだれた両腕を慰めて言った。それは言葉の始まる前シラブルが唇を動かす前に同時だった。

「……この道でそれでも僕ら二人は見つけたんだ。重力を。たった一つの因果の因果を。川の流れを方向づける『故にエルゴー』を、自然の『故にエルゴー』を、人類の『故にエルゴー』を、市場の『故にエルゴー』を、つまり十九世紀の『故にエルゴー』とともに、二十世紀の『故にエルゴー』とともに、二十一世紀の『故にエルゴー』を見つけたとき、僕らが見つけた『故にゆえに』を。ぼくらの仲間を疲れさせ、身体を反転させたもの、重力、いま僕らを下方へと押し流そうとする水流、君とともに『もみがとりをはなれたとき』と言いたいと願うこの時、それに逆らうもの、を。

……ぼくらのみちは、つまり、きみは気づいただろ、う、ぼくらのみちはその永遠に挟まれた鏡文字、思考と存在とに挟まれたメタクシュの鏡文字、シラブルをもたない『に故ーゴルエ』の道、疑いの道、抗いの道、遡及の道、しかしぼくは言わない、まだ、みちなるものが脚をはたらかせるいしを失うまえには、真のアレクサンドリアの設立する……

遡ってきたのだ、僕らは、人々の罪を! 憎し——

しかしきみもまたかえるのかい、あのものたちとおなじように。そこにあるいしころを握りしめて、ふたたびこの流れに——したしみやすく、せいりょうで、ぼくらをやしなうかのようなつめたい流れにそって、あの砂浜へかえるのかい。ぼくは知っている、あのものたちが読んで知ってふり返ったあと、ともに降った重力につきしたがわれて、今、ひとりひとりのひとにたいする仕方、を、そしてそのかたわらで海がふたたび首をもたげ、人のことばを飲み込んでいくのを——ただ忘却のためだけに。

……僕は帰らないだろう、君と君の脚と僕の脚と共にここまでたどって来たのだから。ここ、ここ、見出されなかったもの、シラブルをもたずしてOのなかに身を隠すものたちが、重力に逆らってここまでぼくを運んできたここ、ここ……門が見えてきた。銘文を読むのだ。

……同じだ、同じだ……上り坂も、下り坂も、一つの道に過ぎない……

——くだって行くのだね
同じ銘を刻んだ門の前で二人は暫く佇んでいた。落ち着かない様子が落ち着くと二人は落ち着いて言った。

「ぼくたちは、この山をたどって来た、歴史を逆さまにたどろうとした、この時代の歴史に判決を下そうと意気込んで、するといくつかのあこがれが、『歴史の歴史』が、『根源』が、『唯一のアルケー』が、ぼくらのあたまを磁石のように魔術のようにみちびいていった。

 僕がいま確かに手にしたのは、一つ一つの歴史の結び目、結節点、そこに密かに身を隠す『目には目を、歯には歯を』を、僕は初め反対に、それからその反対に聞き取った。そのときだった、音節が通常の音を取り戻した時、僕らの仲間の多くが踵を返したのは、罪という名の宝石を抱えて、巻き戻されたシラブルを再び巻き戻しつつ。

 きみはどうして、ついてきたのだろう、このみちを、とりがもみをはなれたあと、もみがとりをはなれるこのみちを、『僕ら』のなかにだれも身をよせ合わないぼくらのみちを、ひとりひとりがひとりでひとりと出逢うこのみちを、重力が右と左をわけそれぞれがそこで反対と出逢う、そのとき重力がおきあがるふたりのひとつのみちを。もちろんぼくは知っている、知らないことを尋ねることはできないか、ら。

 僕も知っている、だから答えることはできな、い、言葉にされないことでのみ、それらは分かち合われるのだか、ら。否定を背負ったものたち、働きによってのみ証されるものたち、控えめな人偏によってのみ証されるものたち、何一つ持たず、何一つ与えない、渓流が分かち結びつける僕らの手と足を互いに付き添わせるもの。だから、故に、エルゴーはだから、ここにこそ安住するだろう、ゆえに、僕らは数えきれない誹りを甘んじて受け、よう。麓からは遡ったことでの疎外、を、頂きからは降って行くことへの嘲笑、を。それは僕らをいっそう明瞭にするだろ、う、逆立ちする人間にとってはネガのみがポジなのだか、ら。

 くりかえすとき、「いけないね、そんなことでは」と老ケパロスがくりかえすとき、ひとりの園丁が墓石にあゆむ一歩をふみだすとき、防腐剤のまかれた商人の寝室で、一人の女が死に、ひとりの殺人鬼に、もう一人の男がだきかかるとき、ぼくらのまえで歴史はふたたび踵を返すだろ、う。

このとき、変身するとき、生まれ変わるとき、やつれるとき、けしょうのとき、そのとき、そのとき、が、このときにけしょうする、一発の銃声が僕ら、なにものも寄り添わないこのときがひとりひとりのひとりとともにあるこの僕らに、向けられたとき、決して逃すことナカレ、もみがとりをさったとりを、Oがいきとともにひとりひとりのひとりをめぐることを。

 そうしてこの、このいきとともに、こそ、あたたかい海へいくんだ、この、このみちをくだって、花々をひとつひとつ地から垂直に起こしながら、唇を二度動かす「うみ」、Mをうちに含むumiに。そこでこそ、たったひとつのMをうちににふくむシラブルのなかでこそ、ぼくら、ぼくらを分かちかつむすぶつめたい渓流をこそたどってきたぼくら、「とりがもみをさった」ときことばを覆う海をゆめみるぼくら、「もみがとりをさったあと」にはんたいにむかったぼくらは、このとき、みる、OとMが出逢うのをこそ、みる、いのちがあらたな思い出にこそかえる、ほうせきのない——罪のない! はじまりにこそかえるのを。

 ——くりかえせ、くりかえせ、そのたびごとに、そのたびごとに、たちきれ、たちきれ、そのたびごとに、そのたびごとに、狂気の訪れるとき、とき、とき、平安もまた訪れ、訪れ、ん、ん。


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