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褒められて伸びるタイプ

私は、小学4年生の1学期まで、
国語・算数・理科・社会の、いわゆる勉強というもので、
5をとったことがありませんでした。

あるとき、課題の日記で、
すごく褒められたことがありました。

書き出しが
「今日こそ、1番をとってやる!」
といった、会話文で始まる日記が「個性的でとてもいい」と褒められて【はなまる】をもらいました。

とってもうれしくて、両親に自慢したのを覚えています。

単純なので、面白いようにその日からの日記は
すべて、「  」で始まってました。

いつも【はなまる】が欲しくて、一生懸命日記を書きました。

そしたら、人生で初めて国語で5がつきました。
それから国語が得意だと思うようになりました。



国語で5をもらってから、国語の勉強を今まで以上に頑張るようになりました。

本当の意味の国語力とかはどうでもいいとして、
何かの実力があるかどうかはどうでもいいとして、
小学4年生から小学6年生まで、ず~っと日記だけは欠かさず書きました。
その日記のほとんどは、「  」から始まるものだったと記憶しています。

幸いなことに、自分自身は勉強を苦手と思ったことは
あまりなかったと思います。
これは自慢というふうに受け取ってほしくないのですが、
小学4年生まで、国語で5を取る前は、
一切、勉強というもので5を取ったことがない私は、
勉強が嫌い。苦手。
ということを自覚したことがなかったというだけです。

そして、ひとたび国語が得意と思いこんだことで、
勉強というものが、面白いものだと思うようになりました。

その思い込む力というのは、私自身が体験、体感したからではありますが、
一番大切なことなのかもしれません。
基本、子どもは未熟です。
何も完成なんてされてなくて、
ただ、ただ、伸びしろしかない状態です。

でも伸びしろは、単なる伸びしろで、
完成から数えれば、マイナスという見方もできます。
それをマイナスという評価をして、
ダメ
の烙印を誰かか、自分自身で押してしまうと、
苦手
に変わってしまうんだと思います。

塾で、講師という仕事をしていて、
いろんな子どもを見てきました。
そして私も子どもの時代が当然あったわけで、
いわゆる、天才とか才能があるとか
そういうものが本当にあるのかどうかは知りません。
でも、生まれてからは、ただひたすら伸びしろしかない状態でスタートし、
伸びようとする環境があるか、
伸びる前にたたかれる環境にあるか次第で、
反応が変わってしまうというのは、事実だと思います。

その小学4年生の担任の先生にも、今は感謝しかなく、
私の両親も、日記を毎日せっせと書いている姿を見て、
いつも応援しててくれた気がします。
とても恵まれた環境で育ったことが、私の何よりの誇りです。

日記に夢中になっている時間は、
すべてを忘れて、気が付いたら何時間も経っていたりして、
「ごはん食べるよ~」
ってお母さんが言って、初めて時間の経過を知るくらい
夢中になっていました。
今でも、そのことを、ふと思い出しては、にやけてしまいます。


その数年後、高校生になって、最も苦労した科目は国語でした。
国語を苦手だと思っていました。

でも、苦手の烙印を押したのは間違いなく自分で、
苦手という意識を持ったから、勉強から遠ざかって、
国語を克服するのに多大なる時間を費やすことになったわけですが。

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