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ケアレスミス

保護者の方々と面談をすると、
割と多い頻度で
「この間も、定期テストで〇〇みたいなケアレスミスをしたんですよ~」
という相談のような、愚痴のような発言を耳にする。

最近は私自身は、ケアレスミスをしないようにしましょう。
といった言い方をしないようにしている。
もはや、この注意喚起は言っても言わなくても変わらないから。
生徒もその言葉を生まれてから今日まで過ごしてきた中で
さんざん耳にしてきたから、きっとこの注意喚起も
左から右に通過して終わる。

これは、生徒の子たちへの話ではなくて、
それを見守る親や先生にあたる方々に伝えたいことかもしれない。
自分自身で、数学や国語やもしくは何か資格のためのテストなどを
すれば、分かる。
分からない→分かった!
の状況が作れたら、人間心理として、ほっとする。


そしてその問題へのモチベがガクんと下がる。
見直しを実際にやるとなると、そこそこのエネルギーがいる。

私自身も定期的に時間設定をして、
どこかの高校の入試問題などを解く。
数年前からケアレスミスをする気持ちを知りたいと思って、
見直し作業を意識的にやるように努めている。
ケアレスミスが発生する。
見直しは、当然意識した時間配分のもと、行うが、
よし!解けた!と思った瞬間に、
モチベが下がる。
そうも言ってられない。ケアレスミスを防ぐべく見直しをやらなければ!
と思っても、変な話、解けた問題は
「ケアレスミスがあってほしくない。
 ケアレスミスが見つかると、ちょっとショックだから、
 見ないふりをする。」


的な気持ちが湧いてくる。私に限った話なのかもしれないが。
でも、そう思う心理も理解できる。
なんとか解決の糸口が見つかり、
よっしゃーと心の中で叫び、解法に向かう。
出た答えは、まず間違いなくあっているだろう。
いや当たってて欲しい。
そして見直しをするのが面倒くさい。。。

そういう心理が働くことも知っておくべきだと思う。

その上で、どう対処するかが大事だと考える。


人間なのでミスをする。
さらに、時間をかけて全集中でやってようやく答えにたどり着いたあとは
ミスがなければいいな~という心理が働く。
人間はそういうものだ。
ということもセットで想定する。

だとすると、もう手の打ちようがない。


だから、まったく違う角度から攻略する必要がある。
明日のテストのためにケアレスミスを防ごうと説いてもダメ。
これは、習慣の問題ととらえた方がよい。

そのために、
・分析する習慣をつける。
・普段から、テストと同じ設定で焦る状況をつくり、
 その中で時間内に修正するための訓練をする。

この2つ。
分析する習慣というのは、
例えば授業中に演習をして、当たってた間違ってたで
丸付けなどをする場面がある。
そこで一喜一憂をするわけだが、
そこで起こったケアレスミスの内容をその場で言語化させる。
今は、ちょっとおっちょこちょいのミスをしただけだから、
本質的な考えかたの間違いはしていない。
だから、次はできる。
で、終わらせるから、次も同じような現象が起こる。
だから、まずは、いったん立ち止まらせて、
その場で、どういう間違え方をしたのかを分析する。
例えば、
『ひっ算をして出た答えを写し間違えた。』
『考えてた式と違う式を書いて解いてた。』
『~の部分の条件を見落としてた。』
こうやって、間違いのストックができる。
言語化することで、ケアレスミスという極めて抽象的なものから
具体的なミスの内容がそのままノートに書きこまれる。
書いたからどうということはない。

もちろん、書くということで、そのミスのパターンが
インプットされるから、見直しをする際のアンテナの張り方が変わる
というのも一つある。
しかし、私は、さらにもう一歩踏み込む。
この習慣を体になじませる。
言語化することで、インプットアウトプットの効果が出る以上に
その動作をすることをルーティン化させる。
気持ちは、「よし解けた。はい終了~。」
ということになっているが、
体は、分析することに慣れているから、
見直しと称した分析をすることが、違和感なくできる。

ただし、時間制限があって、
焦った場面ではミスの確率はうんと上がる。
これは性格云々の問題ではない。

信じられないような寝坊をして、
朝、バタバタと必要なものを鞄に入れて、
外に出てくるときに、ミスが起こる確率が上がるのとほぼ同じ。

だから、普段から、時間設定をして(自学でも同様)
焦る状況を作る。
その状況の下で、宿題などをやる。
焦るから、ミスは起こる。
でも、頻度を上げることで、焦る状況に慣れることができる。
焦るという平常心から遠ざかったところで、


100%のパフォーマンスが発揮できない状況で、
いかに100%に近づけるかという訓練を積むわけだ。



この訓練を積んでいるか積んでいないかでは
本番と言われる異常な状況下での結果の出方は大きく変わる。

そこで、話は戻るが、
解き終わったら、振り返って分析する→テスト中に振り返る(見直しをする)
に置き換えて、実行する。
普段の演習の際に解き終わったら、言語化するという動作までセットでやることを一つのルーティンにすることで、
練習でもやってるから、本番でも同じ動きができる。

焦ることに慣れているから、焦りによるミスの確率は下がる。
ミスすることを前提に分析をするルーティンをするだけなので、
気持ちはさておき、振り帰りをするところまでがセットで
テスト中においてもできるようになる。
(もちろんテスト中に言語化まではしない。)


ここで、普段からしている言語化の意味が生まれてくる。
言語化するという動作になるから、
見直し(見る)というあいまいな指示とは全く異なる。
振り返って、間違いを探す。という動作
を常に行うことを授業中も宿題中もやるから、
違和感なくできる。

口で言うのは簡単だが、やらせきるのはとても大変。
危機感がない学年は、なかなか手ごわい。
手ごわいことを知っているから、やらないことに対して、
こちらも感情的にならない。
「やりなさい!って言ってるでしょ!」
といった言い方ではなくて、
「まだ、終わってないね。丸付けした後は、何をするんだっけ?」
くらいの温度で、作業をさせる。
根気はいる。
だって、人間って、終わったものに対するモチベが下がる生き物だから。
そこも、根気強く、かつ感情的にならず、
きわめて、日常的に、はい、やるよー。
やり終わって、分析し終わったら、
次はこの問題解こうか。
くらいの感じで接する。

さぁ、明日は入試本番です。
いつも通り、焦りなさい。
きっといつも以上に焦るから。
びっくりするくらい焦るかもしれないけど、
ちゃんとその時に働くエンジンを積んでいるから
まぁ、なんとかするでしょ?

そうやって送り出した。


人生初の、進路を決める本番だ。
どれだけ焦るんだろうね。
楽しみだね。
その時に、どうやって乗り越えようとするんだろうね。
先生も君たち一人一人がどうやって乗り越えるのか
分からないけど、
入試という人生最大の大勝負の自分の立ち振る舞いを
きちんと目に頭に焼き付けておきなさい。
そのときの君たちの奮闘ぶり自体が
今後の君たちの財産にしかならないから。

あーっ、緊張してきた。

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