感謝の時間
先日登場した姪っ子の発表会が一万円であったら
一万円出して観に行く。
おじさんだから五千円でいい
って言われても、ちゃんと一万円出す。
これは大切なあなたの応援だから。
自分が欲しいものにお金を払うのが買い物だけど、
それに誰かの応援というのがついてると単なる等価交換ではなくなる。
気持ちがついてくるからいい。
周りに多くの応援したくなる人がいて、
普段の買い物が全て誰かの応援のためになっている世の中になればいいなとふと思った。
ところで、今、こうして乗っている新幹線。
どれだけ多くの人が関わっている?
新幹線を作る人(数千人)
設計する人、エンジニア、技術者、組み立て作業員、その部品を運ぶ人
運行と保守(数百人)
運転士、車掌、整備士、運行管理、信号保守の技術者、駅のスタッフ、清掃員
上記の食事を作るのに、仮に倍の人数が携わるとして、一万人近くが携わる。
ボーッとしてても、自分は新潟から福井まで運ばれるけど、
一万人の人の仕事があって、こうやって呑気に字を打ちながら移動できてる。
自分の移動に二万円を支払っているけど、
自分の移動自体にそれだけの価値があるんじゃなくて、
その移動にかかる時間(効率)に対するコストが二万円。自分に応援の意思がなくても、この払ったお金は原価を除いた後に残る利益が、誰かの頑張った仕事への対価として支払われる。
無条件に応援になっている。
ならば、
今日も福井まで快適に連れて行って下さい!って思いながら二万円を駅員さんに渡すほうがいいよね。
(今やSuicaで、ピッ ですが)
いつもいつもそんなことを考えてたら
疲れちゃうから、意識して一日に一回
そういうふうに感謝を感じる時間が
あってもいいかもしれない。
スーパーに行って、
当たり前に玉ねぎが売ってるのは
私の知らない誰かの丁寧な仕事があってこそ。
そこに応援するという意思をちょっと乗せる
時間は自分を少し安らかにさせてくれるんじゃないかなと思った。
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