紙の門松?山梨のお正月から
ここ数年、三が日を山梨県で過ごしている。すると、お正月に各家々の玄関などに飾られる"お飾り"に違和感。
正月の神様を家に招くための依代として飾られる、あのお飾り。しめ縄に松など植物があしらわれたお飾りがお馴染みだが、山梨県では紙に門松と「賀正」と文字が書かれたものが貼られていた。山梨県の正月風景としては一般的のようだ。
一体これはなに…?!調べてまとめてみた。
山梨県で見た紙は「門松ポスター」というもので、町内会等で配布されるほか、スーパーやホームセンターでも販売されている。
調べると、ほぼ同様の紙をお飾りとして使用している地域が他にもある。呼称も違い「紙門松」「門松カード」と呼ばれているみたいだ。
北海道、千葉県、東京都、岡山県、香川県、高知県、長崎県…ざっと調べて以上の各自治体のHP上でダウンロード可能なのが確認でき、
(※まだまだ他にもあると思う)
時代の流れにより、現物配布が廃止されたところも多いようで「必要な方はダウンロードしてください」と併記されているところもあった。
起源はというと、アジア・太平洋戦争の渦中、昭和20年(1945)7月の甲府空襲によって被害を受けた森林を保護するため竹を切るのをやめて門松の自粛が広まった(山梨県)とか、松林の保護と、盆栽好きの印刷会社の社長が松が捨てられているのが忍びなく印刷を始めた(高知県)とか、戦後にそれまでの日本の伝統文化を破壊するため…など諸説あるようだ。
調べるうちに『新生活運動』というワードが浮上してきたので後述したい。
さて、千葉県では「門松カード」と呼ばれ、かなり多くの市町村で配布されていて、風習が根強いことがうかがえる。
佐倉市HP上の住民のご意見コーナーでは「配布を復活してほしい」という声も上がっていた。
さらに興味深かったのは、同県市原市のHP上で「門松カード」とともに「門榊カード」があったこと。
この「門榊カード」は、松ではなく榊が描かれており、"松を避ける習わし"がある同市の姉崎・南総の一部地域のためのもの。
この習わしの詳細は割愛するが、地域のアイデンティティにきちんと寄り添っていて素晴らしいと思う。
また、同県鎌ケ谷市の門松カードは、竹の部分が『寸胴』と呼ばれる真横の切り口が珍しい。
今日、切り口が斜めの『そぎ』という形が一般的だが、かつてはこちらが主流だったと言われている。
ちなみに『そぎ』は、徳川家康が「三方ケ原の戦い」で武田信玄に敗北し、竹を信玄の首に見立てて斜めに切ったことから生まれ、徳川氏の世となった江戸時代に広まったという逸話も。
一方、『寸胴』の門松は信玄ゆかりの山梨県で「武田流門松」と、馴染み深いようだ。
肝心の山梨県甲府市の門松ポスターは『そぎ』なのだけど。
具体例を紹介したところで、先にちらっと書いた『新生活運動』に触れて締めくくりたい。
『新生活運動』とは、終戦後に群馬県や栃木県を中心に興り、生活を改善するため封建的な習俗を見直そうと、政府主導ではなく地域住民によって自発的に行われた運動。
余分に華やかな冠婚葬祭は避けて精神・経済ともに負担を減らすために、香典や祝儀など、皆で抑えようという試みのようだ。昭和30年(1955)には、鳩山内閣も着目・推進し、『新生活運動協会』(現・あしたの日本を創る協会)が誕生している。
新生活運動は、都市部に人口が集中していく1970年代・高度経済成長期以降は下火になるけれど、現在も続いている。
とても合理的で、空気を読み協調性の強い日本らしい動きだなと思う。
群馬県などの葬儀の受付などには『新生活』という表示があるらしいし、福井県には「もう少し 地味にしましょう お祝いは」という標語が書かれた看板があり(数年前にTwitter上で話題になった)この運動の啓発看板のようだ。
きっとこうした名残が所々に残っているのだろう。
さて、「新生活運動」と「紙門松」「門松ポスター」「門松カード」らが関係があるかどうか…は明らかではないけれど、年代も被り、正月儀礼である門松を簡素化するとしたら紙になる…考えれば繋がりがあるかも、と紹介してみた。
ほんの一例に過ぎないものの「門松ポスター」を深掘りしていくと、地域の風習から現在にまで続く戦後の流れまで垣間見ることができて、勉強になった。
以上、ありがとうございました。
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