気の利かない自分が好きになれない
今日、同僚の先生に「今年で辞めちゃうんだって?もったいない!」とのお言葉を頂きました。
私は、教員を辞めてもったいないと思われるに値するのか正直自信がないので、このお言葉には戸惑ってしまいました。
私はスーパー気が利かないので、他の先生方の負担を増やしてしまってるんじゃないか、自分のことを職員室のお荷物だと思ってるんじゃないか、だったらいっそのこと今すぐ辞めちゃった方がいいんじゃないかと思ってるくらいです。
昔から気が利かなかった
思い返せば大学生のころ、飲み会の類が大嫌いでした。
音大の金管界隈は意外に体育会系気質で、飲み会のときは常に先輩に気を遣わなければいけませんでした。
しかし、先輩の飲み物が減っていても気付けない、気付けたとしても怖くて声を掛けれない、サラダをよそうタイミングが分からないと困ることが多く、飲み会の度に先輩に叱られる始末。
それがトラウマで、未だにお食事とか飲み会とかは苦手です。(自分で勝手に飲む分には大好き)
やれる限りの努力はした
飲み会のセンスは壊滅的でしたが、それ以外はなんとか気が利く人になれるように努力しました。
演奏会の準備や後片付けのときに「何がすることはありますか。」と聞くのではなくて「この荷物はどこに置けばいいですか」と具体的に聞くとか。
ちょっとしたひと工夫だけで、「手伝わなくていいよ〜」と遠慮しちゃう心優しい人でも「じゃあお願い!」と言わせられることを学びました。
そのテクニックは今でも役に立っていて、行事の準備後片付けのときにガンガン使っています。
いつの間にか仕事が終わってる
それでも、気が利かない場面が減ることはありませんでした。
たとえば、行事の担当なのに出欠確認票の取りまとめを主任に指摘されるまでやっていなかったり。
連絡帳の保護者欄に書いてあった学校でのトラブルについて指導しなきゃと思ってた矢先にほかの先生が既に指導していたり。自分の担当生徒なのに。
常に自分の担当業務が何なのかアンテナをビンビンに立ててないと、ほかの先生が仕事を終わらせてしまいます。
さらに、後々それで「あなたの担当なのに仕事してない」と指摘されたり文句を言われたりするんじゃないか心配で心配で仕方がありません。
どんなにアンテナを立てても、気の利かない自分には気付くことができない業務が多すぎるのです。
どうやったら自分を好きになれるんだろう
アラサーにもなって気が利かないのは、一種の特性のような、一生付き合って行かなきゃいけないものなのかなと半分諦めています。
しかし、どうも気の利かない自分が好きになれません。
誰かの役に立ちたいのに、誰かの負担を増やしてしまってる。そう考えると、しょぼんと落ち込んでしまう日々です。
どうやったら、気の利かない自分を認めてあげられるんだろう。
どうやったら自分を好きになれるんだろう。
今日は、そんなことを考えていました。
何か、いいアイディアはないものか…。
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