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演劇という新しい世界が開けて夜も眠れない

のだが、この災害級の暑さの中、命を守るため夜はちゃんと眠るように努力している。
※2023年7月に書いた文章です

元々ミュージカルが好きだったり、中高大ダンスをやってたりで「舞台」という空間そのものは大好きだった。でも、ここ数ヶ月で舞台以上に「演劇そのもの」の良さに気がついてしまい、とにかく新しい世界が面白くてたまらなくて仕方がない。自分の世界がまたひとつ広がったように思えて非常に嬉しい。

以降、私による演劇おもしろポイントを書くのだが、これは別段、演劇だけがこの特徴を有しているという訳では恐らくない。ただ、いまとにかく「演劇、おもしれぇ」という感情が昼夜巡ってしまい、とにかく一度書き連ねなければ落ち着かないというだけなので、許していただきたい。また、私は演劇論などを読んだことがないのでただのそこらへんの人が感情のまま熱弁振るってるなぁくらいの気持ちで読んで頂けたら嬉しい。


1.表現と想像

演劇おもしれぇポイントの一つとして、その表現方法の多様さにある。つまり、舞台美術や演出方法である。芝居を楽しむというのは大前提ではあるのだが、とにかく舞台演出が素晴らしいとスタンディングオベーションしたくなる。

演劇というのはあの限られた舞台上で、実に様々な世界を見せてくれるのだが、その土台とも言える世界観そのものを作り出してくれるのが舞台美術・演出・音楽となる。たまらない。役者が舞台に登場する前から、客席のライトが消える前から、物語はすでに舞台の上に始まっているのである。

微かな風の音がうら寂しく流れていれば、そこは既に荒涼とした異国の大地であるし、柔らかな白い幕に淡い色のライトがゆらゆらと照らしていれば、そこは既に夏の夜の夢の中なのだ。

また、舞台美術や小道具は簡素なほど面白い。簡素なほど想像力が引き出されるからだ。

役者の手にかかれば、なんでもないゴム紐が立入禁止のテープにもなれば翻弄される運命の象徴となり安いカップ麺にもなる。

演出と芝居が共犯し、観客の想像力が最後の仕上げとして働く。そこに生まれた虚構の世界にすっかり入り込んだ自分に気がついた時、あっやられた!と笑ってしまうのである。

2.言葉あそび

ひとくちに演劇といっても多種多様な作品があるが、その中でも特に私が惹かれるのは言葉あそびが愉快な作品だ。

演劇は言葉が中心だから、より一層言葉そのものの面白さというのが際立っているものが多いように思う。言葉あそびの面白さを表現できるほど私に言葉を操る力がないのだが、普段自分が使っている言語とおなじものであるはずが、どうしてこうも美しく、滑稽で、かなしく、ずっと聞いていたいようなものになるのだろうかと不思議でたまらない。

言葉は本来、書かれるものではなく音として存在するものだったなというのが、肌感覚で腑に落ちるのである。

この言葉遊びの面白さというのはラップや俳句などと似たようなものがあるが、上品な皮肉さみたいなものが演劇の言葉遊びにはあるように思え、それもまたたまらないのだ。どういう訳か私は昔から皮肉屋の言葉が好きな傾向があり、演劇における言葉遊びはそれに合致することが多い気がしている。

3.人間の内面とそれに伴う内省

日常では、舞台上のように感情を剥き出しにすることは少ない。演劇は日常ではない。虚構であるということは間違いないのだが、しかし現実よりも現実をうつすことができるという演劇の持つ側面は非常に面白い。

舞台では、様々な人間がそれぞれの主張をし、考え、一生懸命いきている。

それは我々が生きる現実世界と同じであるが、現実と違う点といえば、舞台上の出来事や感情が虚構であり、自分が客席で傍観している立場にあるということ。

観劇をしていると、自分自身が誰に共感し、何に反発したかがよく分かる。そして自分自身が共感・反発したものが作品の中でどう扱われているかということも考慮に入れると、自分でも気がつかなかった自分の内面が見えてくるように思われる。

観劇という行為には、観客として傍観する一方、舞台上の世界に酷く感情移入するという相反する状況が同時に存在する。

そうした相反する状況が自分自身を見つめ直し傍観するようなきっかけを与えてくれているように思う。

4.古典や歴史との関係性

演劇はよく考えたら歴史が古い。ギリシアでは円形劇場が多く残され、ギリシア悲劇と言えば教科書に必ず載っている。アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデス。円形劇場には沢山の浪漫が詰まっているように思え、その跡地を写真で眺めては不思議な高揚感に包まれたものだ。

古典テーマの演劇には、そうした一種のタイムワープのような体験ができるのだと気がついた時、嬉しくて堪らなくなった。勿論当時と全く同じ上演がなされているとは思わないが、当時から脈々と人の手によって受け継がれてきたものが、今こうして自分の目の前で生き生きと表現されているのを見ると、なんともいえない感慨深さがある。

演劇に対するわくわくは、世界史を学ぶときのわくわくに良く似ていることに気がついた。国を超え、時を超え、自分の知り得ない世界を見ることによって、自分がこの広い世界のどこに立っているのかがようやく分かる心地がする。

そして、今まで名前だけしか知らなかった数々の古典に、出会うことができる。しかも一人ではなく、周りにはその古典に強い関心を示し集まった人たちがいる。そうした体験はしたことがなく、とても嬉しかった。

おわり

久々に「この作品面白い!」ではなく「この分野面白い!」という感覚になった。書きそびれたが、戯曲というものを読む機会もつい最近までなかったもので、これまた新しい世界だ。もう上演していない作品まで、こちらの工夫次第で脳内上演できるという新しい世界だった。

以上、つらつらつらつらと書いてしまったが、ここ最近観劇予定を詰め込みすぎたあげく演劇おもしれぇの気持ちが収まらず、夜な夜な考えていたことの大枠は書けたと思う。

満足した。これで今夜は心置きなく眠れそうだ。多分。

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