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18-2 能登半島地震 ボランティア報告 輪島市 令和6年9月8日

車中泊していて強い雨の音で目が覚めた。今日はよさこいがあるというのにひどい雨で踊る事ができるのだろうか。晴れることを願いながら起床。朝ごはんをいただきに、NPO法人ありんこの家に入る。幸い雨はだんだん小降りになっていった。

ありんこの猫たち


朝食の準備を手伝いながら、ボランティア同士の情報や意見交換。宮城県から来ている男性は東日本大震災を経験し、そこでのボランティアの話をされた。写真の取り扱いが話題になった。

昨日富来で、私は写真や賞状などを捨ててくれと被災者さんに言われた事が気になっていた。他の場所でも輪島塗は救って欲しいと言われた被災者さんは、写真は捨てて下さいと言っていた。

宮城の男性の経験では311の時も被災者さんは写真アルバムを捨ててくれと言ったとのこと。昔の写真アルバムは分厚くてかさばるので、仮設住宅に置く場所もなく、精神的にも見る気持ちにならないのだという。

彼の話では、被災者さんは身辺が落ち着いて心に余裕が出て来た時に初めて写真を見る気持ちになるようだと。そして、誰のものかは分からない回収された写真も発見された地区ごとにプールし、その地域の人たちの集まりに見せると、ああこの写真はどこそこの何ちゃんだとか、あんなこともあったね、こんなこともあったねと懐かしく語り合うのだと言う。
一方で輪島塗は現在金沢の中古市場に大量に流れて来て売れなくて困っているのだという。

実のところ、私も以前のボランティア活動の中で50セットの輪島塗のお膳を金沢に持って行くという被災者さんがいらして気になっていた。金沢の避難先のお宅に50人分のお膳を置く場所があるのだろうか。またもしも売却して当座の生活費にしようとしても想定より安いのではないかと。そして気持ちが落ち着いた時に写真を捨てた事を悔いはしないだろうかと。老婆心かも知れないが。

宮城の男性の言うように、心に余裕ができた時に写真が必要になるのだとしたら、大量の写真データを電子化してDVDやBlu-rayやハードディスクなどに保存し、コンパクトなデバイスでスライドショーなどができるのでは。重たいアルバムの保管場所に困らなくなる。そんな事はお年寄りには難しいが、若い人やボランティアでできないだろうかと。実現性は別にしてそんな話をした。


ありがとうありんこの家

一宿二飯の恩義に対するカンパをありんこの貯金箱に入れて発つ。
今日は門前の仮設住宅で慰問屋台をする。そしてよさこいの演舞も来る。雨もあがった。


会場となる集会場前

10時から屋台。11時と2時によさこいの予定。9時半集合ということだが、富山を早朝出発したはずのとやま311ネットの皆さんのキャラバン隊は来ない。どうしたのだろう。


設営は早い!

10時すこし過ぎてとやま311ネットの皆さん到着。途中でひどい大雨にあい、ノロノロ運転になって遅れたとのこと。そういえば朝方ひどい雨であった。一方屋台の設営は手際が良く、あっという間に準備が整う。
どんど焼き、焼きそば、かき氷がメニュー。私はかき氷担当に。


人がどんどん集まってきた

仮設住宅の皆さんはどんどん集まって来る。
今日はイベントが2つ重なり、小松で行われるピアノコンサート希望者はバスで行ってしまった。(門前⇒小松って片道3時間以上かかるでしょ!?かなり元気な人向きではないでしょうか。)そのため屋台とよさこいに集まる人は通常より若干少ないとはいえ、集会所は人でいっぱいに。


手回しのかき氷マシーン

かき氷も忙しい。よさこいを楽しみにしてベンチに並んで座る皆さん全員の分を作る!焼きそばもフル回転!どんど焼きもフル回転!

よさこいを踊る若い女性も10人くらい着物に着替えて登場。場はとても華やかな雰囲気になった。

鳴子を配布
皆で楽しむ
きみまろ顔負けの楽しいMC

11時になるといよいよよさこいが始まる。舞芽桃季というよさこいチームだ。


たくさんの観客の前でどうどうの演舞


旗もカッコイイ!

30分の演舞が終わり、午前の分用意した食材と人の波が無くなったところで12時、昼休み。

今日のお昼ご飯

日陰は午前と午後と位置が変わったので、観覧ベンチを移動。やはり今年は暑いので、熱中症を防ぐために日陰は必要。
1時からまた屋台の方も再開し、かき氷を作る。いちご味が人気でなくなってしまった。



午後の演舞

14時から再び午後の演舞。一部曲も変わる。私も鳴子を受け取り一緒に鳴らす。
屋台の食材も次々と売り切れに。


盛況で終了。舞芽桃季と仮設住宅の皆さんで記念写真

舞芽桃季のみなさんは引き続き近くの介護施設にも慰問に足を運ぶ。私たちは片づけを。
すっかり片づけが終了したところで舞芽桃季のみなさんも戻り、とやま311ネット全員で總持寺に行く。ひどい被害を受けたが一部公開しているという。車5台のキャラバン隊だ。


門の柱はずれている
灯篭は崩れている


倒壊したお堂


崩れた渡り廊下の片づけの最中


仏殿の中に山岡鉄舟の書が展示されていた



再建を祈る

災害に負けない伝統建築を残すのはどのようにしたら良いのか悩む。壊れないように近代的な技術を投入したらそれは伝統建築になるのだろうかなどと考える。

とやま311ネットとはここで分かれて、私は温泉や観光をしながらゆっくり帰宅することにする。

トトロ岩のある海岸へ降りてみる
岩の下部の白い部分は隆起する前は海面より下だったところ


土砂崩れ


世界で一番長いベンチで夕暮れの日本海を眺める


岸壁の母の歌が刻まれた石碑の母子像
シーサイドヴィラ渤海

ゆったり温泉につかる。露天風呂、サウナ、水風呂もあり、疲れをとるためサウナと水風呂を2セット繰り返す。

その頃七尾のNPOで活動を終えた夫と連絡をとると、「今から七尾に寄ったら?君に会いたいという人もいるし、夕飯も一緒にしたら?」と提案を受ける。まあ帰り道だし、七尾に寄っていくか。

巌門


大きな風車
この近くに志賀原発が右側にあるはず


七尾の能登支援チームに辿り着く
沢山の夕食に感激

今回七尾でボランティア活動をしていないのに申し訳ない。しかも夕飯のカンパするのを忘れてしまった。また今度来なくてはならないと思いながら夫と帰宅した。

今回の活動は慰問屋台だった。とやま311ネットのSさんと話した時、炊き出しから要望が変わって今はイベントや屋台に変わって来たと言う。確かに復旧復興が進んで、ニーズも変化しているのだとは思うのだが、それにしても倒壊したまま放置されているように見える家が多い。解体の手続きは終わって、作業待ちなのかも知れないが。門前町に初めて訪れたがやはり他の地域よりも被害が多いような体感だ。
これからも能登に足を運ぼうと思った。


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