宮沢賢治の空の色
本が好き
と思っておりますが
新刊の本を購入した時に挟まっている
新刊案内の紙
じーーーーと
眺めて
たまに
お一方も知らない
と
いう時があり
そんな時には何かの答え合わせで零点をとったように
しょんぼりします
本が好き
と言いましても
途方もない
数なのですから
しかたありません
note をはじめてから以前好きだったこと沢山思い出す日々です
何だかこの頃無性に読みたいなって思ったのが
宮沢賢治さんの本です
「まなずるとダアリア」
三年前私の花壇コーナーに植えた「ダアリア」が良く繁り
秋になってももりもりと花を咲かせて、ずいぶん楽しませて
もらったので
今年も又植えてみました
でも、三年前と違う花びらの数の少ないタイプの「ダアリア」は
あたりが悪かったのか、気候のせいか?
植え方が上手く無かったのか
あんまり元気がありません
「ダアリア」って?と思われておられると思います
「まなずるとダアリア」を読んでから
「ダリア」の事「ダアリア」と発音するようになりました
影響の受け方が単純すぎます
読んだ日付がH8年となっているのでかれこれ
「ダリア」を「ダアリア」と発音するようになって28年たっている訳でして
あと2年たったら30周年パーティーとか催さなくちゃ?
【私が「ダリア」を「ダアリア」と発音するようになりましたおめでとう記念】
誰を呼ぼう?
それにしても本の日に焼け具合が凄いので
私、私の知らないうちにもっと歳とっちゃっている?
気付かないうちに亀に乗って何処かへ行っていたの?
と、しばし不安になるのですが
宮沢賢治さんの作品の中身は変わらず
安心です。
かけらもあせることがありません
ことばの、はこびかたがたまらなくよいので
きりはりするのがもったいなくて忍び無く
もういっそ
青空文庫にて
「まなずるとダアリア」読まれた方が良いのかも
と思いつつ‥
この後ネタバレになります
物語は
小さな夏の数日間のお話です
登場するのは
赤いダアリアと
2本の黄色いダアリアと
まなずると
白いダアリア
「花の女王になりたい」という華やかな赤いダアリア
それを独特の言葉で黄色のダアリアは誉め上げてゆきます
黄色のダアリアは
こころを南の青白い天末に投げかけながら
ひとりごとのように言います
『お日さまは、今日はコバルト硝子の光のこなをすこしよけいに
お播きになさるようですね』
『あなたの今日のご立派なこと あたしなんだか
あなたが燃え出してしまうような気がするは』
赤いダアリアは
『あたしの光でそこらが赤く燃えるようにならなくてはつまらない』
と言ってイライラします
宮沢賢治は
楽しい造語を作ることで有名ですが
夜明けの空を「琥珀」
夕方の空を「黄水晶」
さらに夕方の暗い空の描写に「群青」を
使って表現していたそうです
暮れていく夜
あけていく朝の描写が素敵です
すると
黄色のダアリアは
『あなたのまわりは桃色の後光よあなたのまわりは
虹から赤い光だけ集めて来たようよ』
それに対して赤いダアリアは自信溢れるままに
『あたしあたしの光でそらを赤くしようと思っているのよ』
又夜が来ます
夜があけ
黄色のダアリアは
『後光は昨日の五倍も大きくなっているあの梨の木まであなたの光が
行っている』と言いい
赤いダアリアは前のように赤く見えなくなっていきます
黒いブチになった赤いダアリアはあっけなく
通りかかった人に枝をおられ持ちさられてしまいます
まなずるは、そんな赤いダアリアと黄色のダアリアのところへ毎日飛んできて
「綺麗でしょ?」と聞かれれば「ああきれいだよ、赤くってねえ」などと
いってとおりすぎ、向こうの沼につつましくさいている白いダアリアにあいさつをしていました
物語りの終わりは
【黄色なダアリアの涙の中でギラギラの太陽はのぼりました】
真夏の夜の花火みたい
白いダアリアのようにつつましいのもいいけれど
ほんのひとときでも『虹から赤い光だけ集めて来たように』
輝くのも悪くないのかもと
思ったりするのは
夏の暑さのせいかしら
「まなずるとダアリア」の他にもたくさん、賢治独特のユーモアが
溢れる初期作品がおさめられております。
記事を紹介していただきました「あの夏の句を凍らせて」を
💕まる様 ありがとうございました。
💕枝瀬様 ありがとうございました。
マガジンに追加していただきました「あの夏の句を凍らせて」を
💕くりすたるる様 ありがとうございました。
💕コニシ木の子様 ありがとうございました。
心から感謝いたします。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
こうして好きな事出来ている今に感謝です。
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