見出し画像

40歳 無職の男性

「40歳 無職の女性」 


20 年前の私の母だ。 
父と結婚してから、母はすぐに仕事を辞めた。

母には本当に沢山の愛情を注いでもらったし、 
感謝もしている。  

だが時々、働かない選択を取っても社会から咎められることのない、母親に対して。 
いや、母親の持つ「女という性」に対して、 
羨ましいなと思うことがある。 

「40歳 無職の女性」は何も特別じゃない。 

けれど、 

「40歳 無職の男性」と聞くとどうか。  

「何かあったのだろうか」とか 
「大丈夫?」とか 
詮索してしまう。

私は最近の社会の動きは良いなと感じている。
 
「女だから」という理由で、仕事の機会を奪われる事実があることには大反対だからだ。 

しかし、 
「やはり男は働いて当たり前」  
「男は働かなければならない」 
という社会からの押し付けは、まだ残っているように感じる。 

僕自身、働く行為自体は、それほど苦じゃない。
暇を嫌う性分だし。 

だが、もし働けなくなった時、
「男なのに、働いていないなんて」 

こう言った焦りや劣等感で、より働くことから遠ざかってしまうのではないだろうか。

そんなことを時々考える。 

「男はこうすべき。女はこうすべき」という思いが強すぎると、それに適合しない他者に対しても攻撃的になるのだろう。

僕はあくまでも「自分はこうしたい」を、これからも優先させる。   


そして今、自分の中の、労働への価値観はこんなかんじだ。

生きていくために、仕事はする。
1人で飯を食っていける生活力は維持したい。  
でも、バリバリじゃなくても良いかな。 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?