感情を優位にしたら、理性や論理は乏しくなるのか
僕がnoteを書き続けることができるのは、そこに「感情の揺れ」があるからです。
感情の揺れを感じた時に書く文章の方が、正直で、切実な文になりますし、臨場感もあります。 そして、なにより共感を得やすいと思うのです。
元々、noteを始めた目的は、自分が生きていく上
で生じる不安や焦り、怒りなどといった「感情と向き合う」ことでした。
しかし、ある時、とあるパラドックスに気がついたのです。
「負の感情が無ければnoteが書けない。」
そう。noteの深みにハマればハマるほど、
自分の中にある「マイナスの感情」を呼び起こすような癖がつくのではないか。
そんな不安が頭をよぎりました。
よく、感情と論理は相反するもののように語られます。
それゆえに、仕事において大事なことのひとつに、「いかに感情を抜きにして話を進められるか」
があると思うのです。
「職業病」という言葉があるように、
こうした理屈で考える習慣が続いていくと、日常生活の中でも論理や理屈で物事を考えるようになるのかもしれません。
実際私は大学時代、化学の研究を行っていたのですが、毎日のように実験を行っていると、
日常生活のありとあらゆる場面で、ものの「原理」が気になるようになりました。
例えば
「トイレの水の流れる仕組みは?」とか
「虹って何でできるんやだっけ。なんで7色なんやっけ」とか。
そう考えた時、「感情」を優位にさせる仕事
(演者や、芸術家、小説家?)をしている人は、日常生活の中でもより、「感情的」になるのであろうか。
そんな仮説がふと頭をよぎりました。
まあこの仮説は、あくまで仮説です。
あっているかわからないです笑
感情を表現するのが楽しくて、沢山表現したいと思う反面、
「理性的」な大人になりたいとも思っている私。
「どうしようもんかなぁ」なんて思っている今日この頃です。
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