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あれから1年

7月になると、無職になってから丸1年経つ。
この1年間、長かったようであっという間だったような気がする。


思い返せば、昨年の今頃は人生どん底だったと思う。


キャリアを見失い、母を突然亡くし、適応障害で無職にもなった。

これから先のキャリアをどうしようかという先の見えない不安。母を突然亡くした喪失感。いろんな負の要素が重なり、それは絶望感になっていた。

そんな状態から1年。いろんな出会いや身近な人の存在に支えられながら、少しずつではあるが、かすかな光が見えてきた感じがする。

今思うといちばん大きかったのは、むしょく大学との出会いだったような気がする。


キャリアブレイクという、仕事から離れて自分を見つめなおす期間を設けるという選択。


あの時、キャリアブレイク研究所のnoteを見ていなかったらキャリアブレイクという言葉すら知ることもなかっただろうし、人生を一度立ち止まるという選択をしなかったと思う。

そして、いろんなものから一度離れるという選択をせずに、ギリギリの精神状態ですぐに転職活動をしていたと思う。

1年間社会から離れてみて、最も変わったのは人生観だと思う。

お金はたくさん稼ぐべき!・キャリアアップこそ正義!・スキルをつけて活躍できる人材に!

世間で叫ばれているような、このような価値観に自分も囚われていたと思う。
まさに、仕事やお金に毒されていた感じがする。

お金の奴隷になっていたのかもしれない。

しかし、無職になってそれ以上に大切な存在に気づいた。

確かに仕事やお金を稼ぐことも、生きていく上ではとても大切なことだ。

だが、仕事をしてお金を稼ぐということができるのも、家族の存在・健康な体・いろんな人との繋がりなど、当たり前の日常があるからこそなんだと思う。

そんな当たり前の日常は、日々忙しく働いていると、当たり前すぎてなかなか気づけないかもしれない

しかし、そんな当たり前の日常は永遠に続くものではない。
いつかは終わりが来る。

定年退職・子供の独立・転勤など、そのタイミングは人それぞれだ。


人生だってそうかもしれない。


当たり前の日常を送っていると、寝て起きたら明日がやってくるのは当然だと無意識に感じると思う。

しかし、人の運命なんていつどうなるか分からない。

突然会社が倒産するかもしれないし、突然病気になり身体が不自由になってしまうかもしれない。


そして、突然身近な人が亡くなることもあるかもしれない。


どんなに仕事を頑張ってたくさんお金を稼ごうと、運命の前にはすべて無力な気がする。

未知なる運命に逆らうには、自分の心の声に従って生きるしかない。

情熱を注げる仕事に没頭し、遊びたい時はたくさん遊んで、休みたい時はゆっくり休む。
もっと自分の心の声を大切にして生きないと、亡くなる瞬間、後悔しか残らない。

とある本にも書いてあった。
「人生は思い出づくりだ」と。

流されて受動的な人生より、苦労も幸せも自分で背負う人生の方が面白いと思う。

安定している時より、何かに対して頑張って、もがいている時こそ「生きている」ということを実感できる気がする。

だが現実は残酷で、いろんな試練が襲い掛かる。

そんな多くの試練に対してもがき続ける人生も、自分の意思で生きてきた人生なら、亡くなる瞬間にはきっとすべて思い出となっているはずだ。

楽しいも嬉しいも悲しいも辛いも、人生の思い出の一部。
そう考えれば、少しは気持ちが楽になるだろう。

すべて楽しいと嬉しいの思い出なら最高だが、そう上手くはいかない。

だけど、きっと大丈夫

子供の頃ハマっていたドラマ「JIN-仁-」の中で、南方先生もこう言っていたから



「神は乗り越えられる試練しか与えない」

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