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思い込み、がとまらない


#創作大賞2024 #エッセイ部門
 いつの間にか、世の中はデジタル一色になっていた。
 アナログ人間と呼ばれる私たちの世代にとって、デジタル化とは未知の得体の知れない世界だ。携帯電話もずっとガラケーだった。
 だけど、こんなにも急速に進む現代社会の中ではそこを無視するわけにはいかなくなった。自分がデジタル社会の難民になりつつあると実感した。
 そこで私は、私にとっての禁断の扉だった、パソコン、インターネットの世界へと入った。
 すべての手配はお兄ちゃんがしてくれた。
1年半ほど前のクリスマスイヴ、ジングルベルの音とともに私のパソコンが届いた。
 ノート型パソコンは、洗練された貴婦人という感じで私の前にあらわれた。「Hime」、私は彼女をそう呼ぶことにした。
パソコンが来る前から予備知識を入れようと、図書館から何冊も本を借りてきて自分なりに勉強したのだが、いざパソコンと向き合うと、勝手が違い戸惑うことばかり。
 彼女は紛れもなく時代の最先端をゆく頭脳の持ち主だと知る。そして、恐ろしく気難しく油断ができない。ほんの一瞬の私の指の動きで、私の意とは別の所でとんでもないことが起きるかもしれない。
 よしよし、と機嫌よく作業をしていると、突然「たった今、ウイルスに感染しましたのでOO番へすぐご連絡ください」と警報アラームが鳴るし、「ここからはプライバシーの領域に入りますので確認が必要です」と堅苦しいことを言うし、わずかな操作で画面が変わってしまうし、文字の改行をしようとエンターキーを押したらなんだか妙なことになるし、油断も隙もあったもんじゃない。
 あまり指示を求めないで。あまり選択を急がせないで。
 私はパソコンを始めたばかりで、よく理解できないことを矢継ぎ早にいろいろと質問してほしくないのだ。
 スタート画面のアプリのウエブ検索をクリック。
方向音痴で地図が苦手で何よりも出不精の私は「Hime」の力を借りて地図を開いた。
 まず、幼なじみのMちゃんの家を検索。
 これはすぐ上手くいった。町名を入れ番地を入れ拡大をクリックすると赤い印がMちゃんの家を指し示した。次は、親友のKさん。ルート検索なども自由自在。
 それから、Wordを使って文章の作成にとりかかった。
 今まで手書きだったので、パソコンで手紙を書いてみよう。まずまずでスタートしたのだが、あらっ、いつの間にか、カーソルが画面上から行方不明になった。
 探せど、探せど、見つからない。
 焦って、あっちこっち弄くり回しているうち文字が飛び散らかった。私は、また、デジタル世界という青い森の中に迷い込んで途方に暮れた。それでも、何とかカーソルを見つけた。
 文書は葉書では軽すぎ、手紙では重すぎのちょうど中間あたりのいい感じにできた。
 パソコンを始めて5ヶ月ほど経ち、私は記事を発信することにした。
 お兄ちゃんに私の意向を伝えた。すると、「note」はどうか? という。なんだかよく分からないけれど、すごくいい気がした。
 お兄ちゃんに横についてもらってクリエーターペイジを立ち上げた。初めて、「まるちゃんとカボチャ」を投稿すると、パンパカパーン、画面上で紙吹雪が舞い散ってなんだかお祭り騒ぎになった。"おめでとう”その言葉に私は思わず「ばんざい」をした。他で、私の作品、小説、エッセイが受賞したときよりも嬉しかった。
 何よりも、まるちゃんのとびっきりの笑顔がいい。
 「緑色のビニールシートの嘆き」では、自分の頭の中でイメージした画像を映し出すことに苦戦した。
 「まるちゃんとハエ」では、画像を入れないまま投稿してしまった。それはそれで、そのままでよかったのかもしれないが、なにせ私、まるちゃんとハエの絵に相当に気を入れて作り上げたので、もう悔しくて悔しくて。再度、投稿するという大失態をしてしまった。今なら、編集し直すのだということを理解したのに。
 よしよし、順調だ。
 ところが、ひょいと、青い森の中に迷い込んでしまう。どうしても出口が見つからないとき、私はお兄ちゃんに度々助けを求めた。それが、そんなにお兄ちゃんをイライラさせているとはつゆ知らず。
 とうとう、お兄ちゃんの堪忍袋の緒が切れた。
 2週間に一度、実家に顔を出し、まるちゃんと遊んでは夕飯を食べ、車で30分ほど離れた自宅に帰るお兄ちゃんが、この間、帰り際に「ああ、うっとうしい」と、嫌-な言い方の捨て台詞を残して帰った。確かに、私がいろいろ質問攻めにしているとき、煩わしくてたまらんという顔をしていた。
 ゼネレーションギャップ。
 私はベビーブーム世代で、お兄ちゃんはY世代。物心がついたころからデジタルが身近にあった。
 自分たちが何でもなく熟すことを、とろい質問をしてくる私たちがどんなにか鬱陶しく、どんくさく感じるのだろう。
 申し訳ございません。お若い方々、さぞやご不快でしょう。
 でもね、私たちの世代の人間たちを侮るのは間違っているわよ。
私たちは、あなたたちが想像もできないほどのたくさんの人生経験をし、大切なことを学び、培ってきたものがあるんです。
 それは、人にとってとっても大事な、大事なことだ。
私にとってパソコンとは、あくまでも私の手助けをしてくれるツールだと考えている。
 デジタル世界の中で、そこに安易に溺れないよう、私は軸足をしっかり自身に据えてこれからの人生を生きていくつもりだ。
 それはそうなんだけど、とんちんかんで方向音痴の私が一人で遠出をすることは難しい。誰か、できたらお兄ちゃんの付き添いが必要だ。お兄ちゃんは私と違ってとてもすばしっこい。私の有能なアシスタントだ。そのお兄ちゃんに一方的に腹を立てた自分を扱いかねて私はどんどん気持ちが落ち込んでいった。
 しかし、こういうときに限って遠方に出かける用ができてしまう。
 それで、どうしてもスマホが必要になった。幸い「Hime」は画面にタッチして操作するのでスマホの扱いに困ることはなかった。ただ、ここで私はとんでもない思い込みをしてしまった。スマホを「Hime」と同じように自分の20センチほど前に置き、対面で相手の声を聴き話すものだと、今の今まで思い込んでしまっていたのだ。
 だから、相手の声が小さくて聞こえず、その度にイライラして「もうちょっと、大きな声で話してもらえない!!」と、勝手に一人で怒っていた。
 どうしてこんなに聞き取りにくいのか、その理由を自分なりに考えてみた。私の聴力に問題はない。どんなひそひそ話だって聞こえる。ということは、そもそもスマホの形状に問題があるのではないか? 固定電話のようにきちんと耳に当てる部分と話す部分が一本につながっていればいいのに。固定電話で相手の声が聞こえないなんてこと一度もなかったのだから。スマホでの会話がとても嫌だった。
 ところが先日、銀行でのこと。
預金証書のことで予約を取り銀行に出かけた。どの証書も名義が夫の名前なので電話での本人確認がいるといわれた。時間は12時からだった。せっかちな私は11時半には銀行に着いた。案内の方にその旨を伝えおとなしく待っていると、少し早めにご案内頂き8番の窓口で手続きがはじまった。前もって言われた通りにスマホで夫に電話を入れた。
 行員のTさんは規則通りにとても慎み深く夫と話し始めた。ただ、本人確認をするだけでいいのに夫が何やら長々と喋ってTさんが電話を切ろうにも切れずにいる。彼は私が気が強いものだから、相手の女性が物優しい口調で話し始めるとすぐ調子に乗って長話を始める。仕事ですよ。仕事。
 本当にもう、男という者の軽薄さには辟易する。
帰宅したら注意しなければ、と思って何気にTさんを見ていたら、そのうちに私はあることに気づいた。Tさんがスマホを耳に当て会話をしているのだ。ガラケーの時と同じように。これがスマホの正しい使い方に違いない。
 そうか。そうなんだ。私がスマホに腹を立てていたのは筋違いじゃないか。
 などと思いながら、私が8番の窓口に座ってからかれこれ1時間は経ったかなあ。普通口座を総合口座にして、そこに預金証書を移しかえるのってどうしてこんなに時間がかかるのだろう。待てども待てども終わらない。その間いったい私は何枚の書類に夫の名と証書番号を書いただろう。ちょこちょこっとTさんとのやりとりがあり、サインをしてはTさんは30分ほど席を外す。やれやれ戻ってきたと思ったらまた同じことの繰り返しで40分ほどいなくなる。
 とうとう待ちくたびれた私は座っていた回転椅子を弾みをつけてくるっと回してみた。なんだかおもしろかった。もう一度やってみた。なんかやたらと面白い。くるくる、くるくる……。一人で遊んでいると、カウンター正面で戻ってきたTさんと目が合った。手続き完了まで3時間かかった。
 お兄ちゃん、捨て台詞をはいて帰ったのでしばらく来ないのかと思いきや2週間後ピンポーン、やってきた。まるちゃん大喜び。私がどんなに可愛がって世話をしてもまるちゃんが一番好きなのは、お兄ちゃんだ。だって、似た者同士だもの。
 玄関でもじもじして、見ると紙袋をもっていた。そこには小さな花籠が入っていた。
「嫌な思いをさせたから、持ってきたの?」
「うん」
 小学校1年生のとき、母の日のプレゼントだと近所のケーキ屋さんで買ってきたスワンの形をしたシュークリームを恥ずかしそうに抱えていた、その時と同じ息子がそこにいた。花籠から、まるちゃんそっくりの小さな犬の置物がのぞいていた。その顔ときたら、なんとも不安そうなのだ。
「この犬、なんか不安そうね」
「うん」
 私とお兄ちゃんがにっこりすると、まるちゃんのつぶらな黒い瞳が嬉しそうにキラキラと輝いた。
 よく洋ちゃんが言っていた。
「K子のあかんとこはな、なんでも思い込んでしまうことやで」と。
 もしかしたら私は、人生の迷路に迷い込んで、何かを思い込んで、どこかを間違えているのかもしれない。なんだか生きづらい。だけど、あともう少し、私、私らしく頑張って生きてみようと思う。
 あっ、今、庭でメジロの澄んだ鋭い鳴き声がしたよ。




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