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【子育て日記】息子のおっぱいの卒業があっさりだった記録

1歳4ヶ月の息子がいる。

先日、おっぱいを卒業したので、その記録をしておきたい。

息子はミルクを飲まず完全母乳だったので、私たち夫婦にとっておっぱいの卒業は大変なイベント(になるはず)だった。

1歳過ぎてからおっぱいの卒業がどんどん難しくなっていった


息子にとってのおっぱいの位置付けを振り返ってみる。


生まれてから離乳食が始まるまでの間は、母乳が栄養を得るための唯一の手段だった。

新生児のときはミルクを飲んでいたが、いつの間にか飲まなくなってしまった。

そのため、母乳がないと栄養をとれず生きていけない状態だった。


離乳食が始まってくると、徐々に食べられるものが増えていった。

離乳食を食べるようになったとはいえ、この時期も母乳からの栄養が主だった。


1歳を過ぎた頃から、少しずつ位置付けが変わってきた。

食べられるようになった食品の数も増え、食べられる量も増え、栄養的には母乳に頼らなくて良くなった。

この頃から、おっぱいを吸うことが息子の心の支えになっていったように思う。


例えば、息子が不安になったときは、妻の胸に近づいておっぱいを吸わせろと主張していた。

最も顕著だったのは夜眠る時で、気がついた時には妻がいないと眠れない状態になってしまっていた。

息子の寝かしつけや夜泣き対応の担当が妻で固定になってしまうし、妻もお酒が飲めないし、夫婦の間では「おっぱいをやめようか…どうしようか…」という話題が出るようになった。


しかしながら、息子がおっぱいを飲みたいときに飲めないと、強く抵抗する。

最近では、泣いて暴れたり、噛んだり、引っ掻いたりするので、私や妻が根負けしておっぱいをあげてしまうことも多かった。

この抵抗が、日に日に強くなっていったのだ。


親の意思でおっぱいをやめることを断乳という。

断乳では数日間かけて、おっぱいがない状態に慣れさせていく。

つまり、その間は昼夜を問わず抵抗する息子をなだめ続けるという困難な状況になるのだ。


先輩のパパママの記事やお話からは、断乳が大変だったとも聞く。

共働きの私たち夫婦にとって、断乳が現実的な選択肢とも判断つかず、控えめに言って悩んでいたのだ。

幸いにもおっぱいの卒業はあっけなかった


病気にかかって、完治した頃には卒業していたのだ。

息子がかかったのは手足口病という病気で、その名の通り手や足や口の中に発疹ができる。口の中に口内炎がいくつもできるのだ。

そのため、食べ物や飲み物を飲み込むのが痛かったようで、息子の食欲が大きく落ちて、ピーク時は本当に好きなヨーグルトしか食べなかった。

おっぱいを吸うのも辛かったようで、あんなに大好きだったおっぱいを吸うことすら嫌がるようになっていた。


そうして、おっぱいを飲むのを避ける生活を2日ほどしていたのだが、気がついたら卒業していたのだ。

おっぱい卒業についての夫の感想


これはあくまで夫側の視点であって、一年以上おっぱいを上げ続けてきた妻から見たら異なる意見があるだろう。


まず感じたことは、おっぱい卒業という大変なイベントを終えられた安堵感だった。

手足口病の看病の時には、夜間も1時間おきに抱っこをしていたので、もしかしたら断乳と同じようなことをしていたのかもしれない。

2-3日で熱が下がることがわかっている病気だったからこそ、断乳よりも前向きに取り組めたのかもしれない。


そして寝かしつけや夜泣きの対応を妻と分担できる安堵感もあった。

我が家は共働きなので、育児や家事を代われる状態が重要だと考えている。

妻か私のどちらかが仕事で外せなくなった時に、もう一人が代われることで仕事に集中できるためだ。

今までは、おっぱいという男性にはない要素があった影響で妻にしかできない部分が多かったのだが、今後はより分担を進めていけそうだ。


卒業した息子はおっぱいを吸っていたことを忘れてしまったようで、妻のおっぱいをみても見向きもしない。

ほんの3日前とは全く違う態度である。この変化にも驚いた。

卒業によって、息子は乳児から幼児になった。

息子にとって、1番最初の親離れが進んだのかもしれない。そう思うと感慨深い。





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