見出し画像

なぜ『異世界もの』の主人公には男友達がいないのか?【読書感想】

小説や漫画、特にオンラインのものには”あるある”がある。例えば…

・男性向けのオンライン小説のタイトルにはよく「最強」という文字が入っている
・女性向けのオンライン小説のタイトルには「私」はあまり入っていないが、男性向けには「俺」がよく入っている
・殺し屋は男性も女性もいるが、殺される側は大体男性である

漫画に限らないが、サブカルチャー創作物の全体の傾向や売れ線は、人々の”欲望”を描いているというのが筆者の主張だ。

100%ではないが、そういう部分はあるかもしれない。私が以前読んだ、“天才”を売る 心と市場をつかまえるマンガ編集者という本でも、ハーレクインコミックスの編集者である明治理子さんが「漫画は欲望を描き肯定するもの」と言うことをおっしゃっていた。そこで、創作物の”あるある”から、心理学を学んだライターが大衆心理を分析してみようという試みの本だ。

①なぜ異世界もの主人公には男友達が居ないのか?

異世界ものの男主人公にはあまり男性の友達がいない。また、「あの子と友達になれて嬉しい!」という描写もない。ましてパーティメンバーにはまずいない。

出てきても「舎弟」キャラだったり、最初の追放役だったり、身体は男性でも実質ヒロインである「男の娘」だったりする。少年漫画の「友情」も現実的な友情と言うよりは、仲間が故の固い絆みたいなものだったり、あまり普通の友情は描かれない。

一方の女性向け異世界転生モノでは、可愛い女の子と友達になる展開はありふれている。

ここから読み解けるのは、「男性読者は同性との”目的の無い友人関係”を持つことにあまり魅力を感じない」という傾向だ。これは裏を返すと、男性は他者から友人として求められることが少ないという世情を反映しているかもしれない。

内閣官房の孤独・孤立対策担当室の「人々のつながりに関する基礎調査」では「他者を手助けしようと思う」という質問の答えに対して、男女で明確に差が出ていた。10代のうちは5~7割が男女ともに「手助けしようと思う」と答えているのだが、年とともにその割合は特に男性が低くなる。

本書

とは言え30~50代で男性が50%未満、女性が55%くらいで落ち着いてる感じで、あまり差はないと思うのだが。(参照年不明)

この資料が見つからなかったので、令和5年の同調査を調べたところ、
「年齢階級別不安や悩みに対する家族・友人等からの手助け状況」では男女に差があることが分かった。「助けたい」と思うかはともかく、「助けられていると感じる」割合は女性の方が多いようだ。

若くない男性が職場以外で居場所を作るのは難しいものである。新しいコミュニティでもあまり親切にされない。

まとめると、男性は30代に差し掛かると他者をサポートしたい気持ちが減
る。お互いを支えある同性の友人を求めようとしない心理につながり、異世界ものの男性主人公は男友達が少ないと思われる。
」と筆者は述べている。

②なぜ「主夫」キャラの家事レベルは皆高いのか?

「極主夫道」の主人公や仮面ライダーアギトの津上翔一(記憶を戻す前)などの主夫っぽいキャラはいずれも家事が玄人レベルである。(数がまだ少ないが)

一方で主婦キャラは、令和の今では減った感があるが、あたしンちのお母さんなど、必ずしも家事が得意とは限らない。

こうした現状に筆者は「男性が女性のように生きる難しさ」を観る。例えば、男性がスカートをはくのは難しいのは想像できるのではないか。

女性目線の夫が家事をやらない~と言った愚痴を男女反転させたら違和感はを感じるはずだ。

フィクションにおいて、専業主から「君が働いているのはわかるけどちょっとは家のことも手伝ってくれよ」「俺は君の召使じゃないんだよ」と言った言葉はまず出てこない。一方、専業主がこういう発言をしても違和感はないだろう。

この背景には、結婚しても出産は必ず女性の仕事になるし、日本は男女の賃金格差が大きいなどの理由がある。実

「フィクションにおける「ぐうたら主夫」が少ないのは、女性の社会進出はマスコミが煽るほど進んでおらず、男性を養える女性はまだ少ないことに加えて、経済力のある女性は男性への家事・育児の要求水準が高いことが伺える」と筆者は分析する。

③なぜ「婚活」がテーマになった漫画で、婚活が成功することは基本的にないのか?


フィクションの世界では能動的に婚活すると失敗するというジンクスがある。マッチングアプリをつかって出会う「焼いている二人」など婚活して結ばれる男女自体はいるが、「婚活」が主題となると、婚活で出会った相手と結ばれる確率はかなり低いはずだ。「婚活中にたまたま会った人」「婚活していたが、最終的には身近な人と」結ばれる、または婚活をこれからも続けていこう!Endになることが多い…らしい。

この背景には「自然な出会い症候群」「受動的恋愛志向」があると筆者は分析する。

「 結婚前にどのような流れで結婚したいと思っていたか」(理想)と「実際どうだったか」(現実)を内閣府ホーム > 内閣府男女共同参画局が調査した。

どうやら、恋愛は恋愛以外を目的とした出会いから発展する、”自然な出会い”が理想と言う信仰がまだあるようだ。見合いとかマッチングアプリを求めない人の少なさよ。

「自然でない出会い」を「能動的に起こす必要がある婚活」を行う主人公は、読者の理想とは程遠いのだろう。

読後の感想 「男はいいよね」「女は楽だ」と思ったら…

全体的に生々しい、無意識の差別が創作物には散りばめられていることが感じ取れた。例えばテロリストや殺し屋のターゲットは大体「男性」であることは、男女問わず人類は「男性を助けたいという思い」<「女性を助けたいという思い」の表れだと筆者は言う。

このように創作物の細かいところで、無意識の偏見というか価値観が表れているのかもしれない。

実際には男女にはそれぞれ別の辛さや悩みがある。

男性は恋愛のフェーズにたどり着けない、恋人がほしくても居ないことに悩みがちだ。一方で、女性はストーカーや嫌な奴につきまとわれる、結婚した後クソ化した男が離してくれないといった悩みがある。

男女の辛さは別のものであり、表裏一体とは言い切れない。と筆者は指摘する。人間は自分が受けた苦しみは想像できるが、そうでないものは鈍感にならざるを得ない。お互いの想像力が大切なのだろう。

それはそれとして本書の主張は結構強引じゃないかな。例えば本書の話を飲み屋で話されたら、同意できるかもしれない。だが、素面で文章にされるとうなずけない主張も多い。要は論証などできておらず、意識高いオタクが「テンプレ」からこじつけてる感じ。

例えば「胃を痛め胃薬を呑むような苦労人キャラは男性が多い」(例:土井先生)というところから、「女性がストレスで意を痛めている姿は観たくない」「ストレスが強い”まとめ役”は女性に任せるべきではない」という論を展開している。

しかし、「NARUTO」のシズネや、「ぼくたちは勉強ができない」の古橋文乃、「NEWGAME!」の阿波根うみこなど、中間管理ポジにいる女性キャラもいる。彼女らは”胃薬”こそ飲んでいないが、まとめ役としての苦労はしているし、そういう位置で悩む女性は”頭痛”で表現されていたりすると思う。だから前者の「女性がストレスで意を痛めている姿は観たくない」はわかるのだが、後者のまとめ役に関する論はどうかなぁ?と言う気がする。

全体的にジェンダー論の話にもっていきたいがあまり、結論の飛躍や強引な解釈が多いように感じた。そもそも本書の話、全然心理学関係ないしいて言えば社会学的な批判だ。筆者は大学院で心理学を学んだことを喧伝して多数の書籍を出版しているが、学術的な信頼性は無い。博士号もとってないしね…。

しいて言えば「あるある集」としては結構価値があるかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?