ある男の魂の彷徨(伊勢正三とともに)その6 完 「夜汽車は南へ」

ふらっと降り立った駅のホーム。男はその駅がある北の町で数ヶ月を過した。暮らし始めた時は、あんなに綺麗に見えた彼女の星座も今はよく見えなくなってしまっていた。

でも、それは男にとって特別な感慨をもたらすものではなかった。男にとって彼女は心を惑わす存在ではなくなっていた。彼女の思い出はどれも懐かしく愛おしいものであった。

「東京へ戻ろう」

男は彼女と暮らした街へ戻り、思い出の場所を巡った。少ないけど、友だちにも別れを告げた。

「故郷へ帰ろう」

東京で培った絆たちに別れを告げ、男は夜汽車に乗った。

「南へ、故郷へ、帰ろう」

夜汽車は南へ

「夜汽車は南へ」は風の5枚目のシングルとして発表された曲です。当時、正やんはシングルにしたことは失敗だったと思ったらしいです。でも、私はラジオから流れるこの曲を初めて聴いた時、大いに感動しました。何か輪廻転生を思わせる歌詞が秀逸です。「君と歩いた青春」から始まった男の魂の彷徨でしたが、その魂の再生に相応しい曲だと思います。人にはそれぞれの夜汽車があるのかもしれません。たまにはその夜汽車に乗ってみるのもいいかもしれません。

どこかで目覚めたばかりの赤ん坊の泣き声が響いてきた。母親のあやす声も微かに聞こえる。

今のうちにたっぷり泣いておけばいい。いずれは泣きたくても思いっきり泣けなくなるから。男はそんなことを思いながら車窓に身体を預けた。

男は窓の外を流れる景色に目をやった。窓ガラスに車内の様子がボンヤリと映っている。見知らぬ者同士が偶然にこの汽車に乗り合わせている。ある場所へ帰る者もいれば、ある場所へ行く者もいる。帰る者は東京での絆を一旦解き、行く者は新たな絆を結びに行くのかもしれない。

「自分はどちらなのだろうか?」

男はふとそんなことを思ったりした。東京での思い出の場所や知り合いには別れを告げたばかりだ。故郷の幼馴染みたちは私を受け入れてくれるだろうか?彼女はどうだろう?また会えるだろうか?

「人生が繰り返すものなら、またいつか君に出会うだろう」

東京での思い出の中にいる彼女とは遠ざかっているけど、故郷にいる彼女には近づいていってるとも言えるんだよな。

「あゝ遠ざかるほど、君は近づく。僕の心のレールを走って」

男はそんな取止めもないことを考えていた。不安はない。全てはその時の成り行きに任せればいい。

夜汽車は南へ走っていく。




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