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別れの情景 その2 安部恭弘「MANHATTAN」

ベンチに腰をおろした男はイースト川の対岸のマンハッタン島をぼんやりと眺めていた。

何時間経ったのだろう…

いつの間にか陽が傾き、摩天楼の隙間から西陽が射し込んでいる。男は眩しそうに目を細め、マンハッタン島のシルエットを見た。

こうしてみるとマンハッタン島は巨大な客船のように見えてくる。摩天楼のシルエットは客船のブリッジやキャビンを描いているかのようだ。

この巨大客船を目指して世界中から多くの人々がそれぞれの夢と共に乗り込んでくる。
男はこの巨大な客船に乗り込み、乗客のひとりとなった女のことを思った…

「本当に来たのね」
「あれから2ヶ月、いろんな事を考えた。自分の悪かったところも…」
「あなたが悪かったわけじゃないのよ。私は私の夢を選んだだけよ」

男は改めて女を見た。爽やかなブルーのシャツにタイトスカートを着こなして、いかにも“出来る”女性である。

「こっちに来てどう?充実してる?」
「ええ、頑張った分はちゃんと応えてくれるわ。時間に追われてるけどね。日本人のことを”働きアリ“なんて言うけど、よく言うわって感じよ」
「さすがニューヨーカーって感じだな…今晩、食事でもどう?」
「うーん…」

女は困ったように眉をひそめた。

「今、ある日本企業の買収の案件が大詰めなのよ。ごめんなさい、時間が取れそうもないわ。今もランチタイムを無理やり取って抜け出して来たくらいなの」
「そっか…突然来て悪かったね」
「ううん、謝らないで。すぐ謝るのはあなたの悪い癖よ」

女は男の右手をとった。

「もう行かなきゃ。来てくれて嬉しかったわ」

女はそう言うとカフェレストランを出て行った。その姿はすぐに雑踏にまぎれ見えなくなった。

男はその消えていく後ろ姿をただ呆然と見送るだけだった。

彼女のことを思い悩んだこの2ヶ月の結果は珈琲一杯を飲み干す間もなかった。用意していた言葉の数々が虚しかった。

この3月に日本を旅立った時より女は確実に綺麗になっていたし魅力的になっていた。しかし、男の思い描いていた女はもういない。男はその事実を思い知らされただけだった。

…自分が知っている女はもういない…帰るべき場所を無くしてしまった…このマンハッタン島という巨大客船はどこへ向かっているのだろうか。その客船に乗れずに降りて対岸の公園から見ている俺はどこへ漂っていくのだろうか。

男は昨日のことを思い出して、女の手の感触が残る自分の右手を見つめるだけだった。

筆者作

と、こんな感じで安部恭弘の「トパーズ色の月」の続編として安部恭弘の「MANHATTAN」を解釈してみました。

リリースは「MANHATTAN」の方が早く1983年3月で「トパーズ色の月」の1年前。しかし、この2曲を聴いていると、3月に日本からニューヨークへ旅立った女性(トパーズ色の月)を5月の連休あたりに追いかけて渡米した男(MANHATTAN)という構図が浮かんできてしまいます。

両者に共通するのは“未練たらしい男”が描かれているところですが、なんか格好良いですよね。普通なら惨めなはずなのに…「トパーズ色の月」の男はあくまでも受け身ですし判断を彼女に任せて狡さが見えるし、特に「MANHATTAN」の男は生命を断ってしまおうかという思いがよぎったくらい打ちのめされてボロボロの状態なのに。

作詞は誰やねんと見てみたら両方とも詩聖の松本隆でした。松本隆の詩に安部恭弘の曲が合わさると一気に洗練された雰囲気になるんですね。うーん、流石です。

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