演劇を芝居と呼んでいた頃
唐十郎が亡くなった。
実は若い時は演劇青年だった。
いつからそうだったのかはわからない。
高校の国語で、ブルータスとオクタヴィアヌスの演説に材を取ったテキストがあって、(あれは誰の書いた何という作品だったろうか?)皆の前で「気持ちを入れて」読まされたことがある。
それがまぁまぁ評判が良くて、どうもあの辺りからその気はあったようだ。
大学に入ると怪しげな演劇のサークルがあって、同じ学科の可愛い女の子に手を引っ張られて、一緒にやろうよなどと誘われたものだから、ふらふらと参加した。
そこで出会った芝居は、それまで自分が学校の演劇観賞会などでみたものとまるで違っていて、大いに感銘を受けた。
不条理を叫んだり、耽美的な台詞を吐いたり、空を飛んだり、舞台を崩したり、とにかく過剰であった。
美大生たるものこういうものをやらなきゃいかんと思い、すぐにのめり込んだのである。
ところが劇団の連中と、唐十郎とかその亜流とか、とにかく外の芝居を観に行ったら、そこにはもっと過剰で、訳のわからん世界があった。
要は、自分らはこの人たちの猿真似であったのだ。
なんだか少しがっかりした。
少しだったけど。
芝居というのは麻薬で、一度ステージでライトを浴びてしまうと、もうその快感に抗えなくなる。
ちょっとがっかりした程度では元には戻れないのだ。
業の深い世界である。
80年代初頭、時代は唐十郎、寺山修司らのアングラ演劇から、野田秀樹や鴻上尚史の小劇場系の芝居に移り変わっていった。
アングラが「過剰」なら、小劇場系は「笑い」である。
世の中はどんどん軽くなって、芝居も肩の凝らないものになっていったが、それでも根の部分にはまだまだ不条理とか社会批判があったと思う。
最近、吉住のやった「絶対許せない」のコントはだからわたしには受容できないのだが、それはまた別の話だな。
とにかく大学での4年間、わたしはアングラも小劇場もつまみ食いしながら、脚本を書いたり、大道具を作ったり、舞台に立ったりしたのである。
唐十郎の話だった。あらめて合掌。