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【中編小説】 Deneutralized, neutralized (Part 2)

第67回群像新人文学賞に応募した作品です(結果は一次落ちでした)。
面白いのでぜひご覧ください😉

なお、縦書きでもご覧いただけるように縦書きverのpdfを用意いたしました。
よろしければご活用ください。

こちらはPart2となります。
・Part1はこちら

それでは以下よりPart2本文になります。


 小坂雄二は私だ。証拠の一つ目は、"身体的特徴"である。少年サッカークラブで地面とぶつかって少し曲がってしまった鼻梁、抜歯寸前に歯医者から脱走してそれっきりの親知らず、カオリに醜いと言われた鼠径部のぶつぶつ、……。各々が、私の人生の歴史そのものと深く結びついているものである。これら小坂雄二の特徴は、一つ一つは際立った特徴とは言えないものの、全てを同時に満たしている人間はそう多くないはずであり、しかも先の特徴は非常にプライベートな特徴であるのだから(特に鼠径部のぶつぶつ)、あなたがた両親やごく親しい友人・恋人しか知り得ない情報であり、従って私が小坂雄二である証となるのである。また、さらに確実な方法もある。つまり、もし金銭的に余裕があるのであれば、DNA検査を行うことも選択肢に入るだろう。もちろん、その場合はあなた方に検査費用など全額負担していただくつもりでいるが……。
 私が小坂雄二である証拠の二つ目は、"人間関係"である。極めて簡単な話だ、友人でも昔の学校の先生でも誰でも良い、とにかく私と関係のある人、関係のあった人を呼んできてこの私と会わせてみればよいだろう。人間と人間のコミュニケーションは、一般的に思われている以上に、言葉や会話の内容だけでなく、ちょっとした動き、癖、話す「間(ま)」、瞬きのタイミング……こうした細かい所作も含めてやり取りされるものなのだ。そのため、もし私を知っている人間で、かつ正常な精神状態を持つ人物を用意できれば(両親、つまりあなた方は当然「私を知っている人間」ではあるが、今現在では異常な精神状態を持つ人物であると推測されるので該当しない)、私が小坂雄二になりすましている他人かあるいは本物か、すぐに分かるはずなのだ。例えば、小学生の時の親友だった、小野寺くんを呼ぶのはどうだろうか? まあ、こんな家族内の訳の分からない事情に小野寺を付き合わせるなんて、彼にとっては迷惑なことだし、私としても恥ずかしい思いでいっぱいなのだが……。
 私が小坂雄二である証拠の三つ目は、"記憶"である。この世に生まれ出てから今日に至るまで、実に多くの人や事物と出会い、そして様々なことを経験したものだ。こちらに関しては、あれこれ言うよりも私自身の記憶を実際にお聴きいただいた方が話が早いだろう。というのも、ある一つの精神を一貫性をもってまとめ上げ、個人を個人たらしめるものとして最も重要なものが”記憶”であることは今更疑いようがないし、さらに、ある語られた記憶が偽物ではなく経験に裏付けられた真実の記憶であるかどうかについては、本物の記憶には本物の記憶にしかない匂いが染みついているものなのだから[要出典]、あなたたちがそれこそ小坂雄二の本物の親であるのならば、私がこれからお話しする記憶の話から、たちまち私が本物の小坂雄二であることを嗅ぎとることでしょう。

【小野寺の記憶】
 小野寺悠斗という友人がいた。小学生の時の話だ。学校は違ったのだが、住んでいる地域が近くて、児童館でよく顔を合わせる機会があったのだ。かたき、というドッヂボールの個人戦のような遊びがあって、誰かガキ大将みたいなやつが投げたボールが小野寺の顔に当たった、赤色と黄色の液体が鼻穴の片方ずつからぶしゅっと出て、赤色は鼻血に違いないだろうが黄色のは何だ、色の濃い鼻水なのかそれとも膿かなんかなのか、とにかく一瞬空気が凍り付いたものの、色がアメリカンドッグにかけるソースみたいでなんだかおかしくて、風船が破裂したかのようにみな爆笑していた、小野寺も鼻血を出しながら笑いまくっていた。

【八歳の時のこと、火曜日のこと】
 休んだ沙奈ちゃんの家に宿題のプリントを届けに行くと母親が出た。マンションの七階だった。「ごめんなさいね、ありがとうね」と言う沙奈ちゃんの母親の後ろでは、青い作業着の人が二人、脚立を使って何か天井を工具でいじっていた。「実は、水漏れしちゃってて」と母親が言った。

【まだ私が自分のことを「僕」と呼んでいた頃の記憶】
 窓を開ける。窓枠のサッシがきぃっと音を立てた。窓の下には、近くの温泉施設から出てきた人が湯冷めしないようにと足早に狭い路地を歩いていた。冬だ。雨は降っていない。
部屋には僕以外誰もいない。夜の匂いを嗅げさえすれば、それが十分生きる理由になった。

【八歳の時のこと、土曜日のこと】
 小学校の図書室で、カーテンにくるまった。

【カオリと出会って間もない頃、十四時頃】
 横浜の海が見えるレストランで、屋外の席でソファーに座りながらカオリとビールを飲んだ。トンビが鳴いていた。カオリが何かを喋っているが風で聞き取れなかった。喋り終えたカオリはにっこりと笑った。私もつられて笑った。

【私は確かに上野の国立科学博物館の鯨が空を飛ぶのを見た】
 鯨が空を飛ぶのを見た。
「ね、本当だったでしょう?」
と女が言った。

【夏が終わり秋が来ようとしている】
飼っている、いや、かつて飼っていた蟻たちが入ったままのペットボトルを逆さにするとたくさんの砂に混じって蟻の死骸が出てきた。幼くて何も知らなかった私は、全ての死者を、死んだという理由のために軽蔑した。

【ある時期、小野寺の家には確か、居候の男が一人いた】
小野寺と、学校の前の家の庭に忍び込んで、アロエの葉を一本、折って盗んだ。火傷に効く、という話を知っていたからだ。僕は火傷していた。

【仏の顔も三度まで】
見渡す限り延々と広がる大雪原にはポプラの綿毛のような雪が降り続けていて、後ろを振り返ると私の足跡は見えなくなっていたがそこには一匹の動物がいた。
最初、たぬきだと思った。
瞬きをして、うさぎだと思った。
目を擦って見ると、オコジョだった。
オコジョは去っていった。オコジョが居た場所からは湯気が出ていた。おしっこだ!
雪が溶けて春が来た。

【ノックスの十戒を全部破った推理小説】
 図書館で借りて読んだ。それは青い表紙の本で、あまりにその青色が鮮やかで美しかったので受付の若い青年が私にこんな風に話しかけてきたほどだった。「とても綺麗な本ですね、まるでニューカレドニアのラグーンのように」彼がそう言い終わるか言い終わらないうちに、私は深い海の底にいた。海底には一匹の大きな馬の死骸が沈んでいて、その周りには細くて人間の骨でできたような骨格の蟹がたくさん集まっていた。まだ崩れ落ちてない馬の眼球がぐるりと回って私の方を見た。私も馬の目を見ていた。
 図書館の受付でこんなふうに話しかけられるのは初めてだった。

【九月、ある週刊誌のコーナー「コンフィデンシャル武蔵・東京」からの抜き書き】
「新聞やTVといったメジャーなメディアでは報道されていないことだが、小坂雄二の遺体が発見された時、腹が破れ腸が飛び出し、大腿骨の周りの肉が削ぎ落とされていた、あまりに陰惨なその死に様とは反対に、彼は顔に笑みをうっすらと浮かべていたと言われている、さらにその遺体のジャケットの内ポケットには、06から始まる謎の電話番号のメモ、そして意味深長にばつ印がついてある東京都全体の地図が折り畳まれていたのだという! テロの計画とも、三億円事件で盗まれた金の在り方を示す物とも言われるこれらの、笑み、電話番号、地図には、一体どのような秘密があるのか? 事件から一か月が経った今でも議論を呼ぶこの謎を紐解くには、当然のことながら、小坂雄二の過去の中に手がかりがあると考えるしかないだろう……本記事では……」

【06から始まる謎の電話番号のメモ】
06-56……(これ以降はかすれていて読むことができない、右上に、ホチキスの針で一度閉じられたような穴があいている)

【意味深長にばつ印がついてある東京都全体の地図】
(国立科学博物館、大森貝塚遺跡庭園、石神井公園、日比谷公園、秋葉原ラジオ会館、銀座ソニービル、多摩川台公園、昭和記念公園、…… その他、六か所にばつ印がついている)

【土くれ】
(注: 以下の文章を読む前に、次の三つの事項を順番に実行すること。
一、太陽が登っている方向に可能な限り直線的に歩き、最初に視界に入った草地に入ること
二、草地で、左手で草をむしり、右手で土を握ること
三、帰宅後、手を石鹸で丁寧に洗うこと
以上の手順を守らずに読んだ場合、胃や小腸をはじめとした消化器系を中心に、深刻で不可逆なダメージが与えられる可能性がある)
 無病息災、無病息災ぃ! と隣の一人暮らしの爺さんが夜中に庭に出てきて叫び出すのはここ四十年間あまり毎日繰り返されていたことだったので、小野寺たちの家族が最初にここに越してきた時は大変困惑させられたものの、住み始めて半年後に産まれた小野寺悠斗がそれこそ"無病息災"を体現したように成長し続けて十二年経ち、髭や陰毛が生え始めた今となってはそうしたことはすっかり普通のこととなっていた。爺さんが庭に出てくるのは大体夜中の一時頃だった、いつもケチなささくれだった木材を燃やして呑気に焚き火をしていたので、灰の微粒子のせいで風が吹くと近隣の住人たちが一斉に咳き込む音が聞こえてくるのを小野寺の家の前の住民は埼玉県の浦和に引っ越した後もたびたび懐かしがった。
爺さんは、周りの住民たちの咳がひと段落して静かになった後にこう叫ぶのだ。
 「無病息災、無病息災ぃ! デカマラ、デカマラ……」
 小野寺が、爺さんの様子をこの目で一晩観察し続けてやろう、と思い立ったのは街にキンモクセイの香りが漂い始めた季節のことだった。狭く、外壁が煤けた一軒家がひしめくこの一角で、小野寺の家も例外ではなく狭く、外壁が煤けていたのだが、小野寺たちもこのあたりに住んでいる住民も、必ずしも不運に従順なわけではなかった、その日だって小野寺とその友人たちは小学校が終わると、キンモクセイの香りがひと際濃い、いつも遊んでいる公園に集って中央の大きなシダレヤナギの枝でターザンごっこをしたり、駄菓子屋ですもも漬けを買ってみてみんなで不味がったり(小野寺だけは酸っぱくておいしいと思っていたので、他のみんなが不味いというのを心の中では不思議に思っていた)、捨てられているビニール傘からボタンの部分を取り出して、その部品を使って放置自転車をピッキングしたり、とにかく愉快に過ごしていたというわけだった。家に帰って夕食を食べて、お風呂に入って、布団に入って……。いつもと変わらない一日だったが、小野寺は、その日はどうしても眠ることができなかった、それはその日の月が満月だったことに関係があるのかもしれなかったが、小野寺は月が満月であることを知らなかった。虫たちの甲高い鳴き声の中に、大きなカエルがぐぅ、と鳴く声が混じっていたが、このあたりで大きなカエルなど、やはり小野寺は見たことがなかった。
「無病息災、無病息災ぃ!」
ああ、またあの変な爺さんか……。小野寺はその声を聞いて、もう夜中の一時になっていることを知り、今一度入眠しようと寝返りを打ったがどうにも眠れなかった。次第に小野寺は焦りだし、いらいらとし、ますます眠れなくなってしまったのだが、いらいらが怒りに変わった時、半ばやけくそのような気分で心の中でこう叫んだ。あのクソじじいめ! 毎晩、毎晩、訳の分からないことを喚き散らしやがって! どんな権利があって人の安眠を妨害できるというんだ、何が無病息災だ、早く変な病気にでもかかって死んでしまえばいいんだ! しかしまあ、何年も、それも毎日毎日、無病息災だのなんだのとくだらないことを言い続けるのもある種の才能と言えるだろう、いいだろう、お前のばかばかしさ加減に敬意を表して、今日は朝まで一晩中、お前のことを観察し続けてやる! 僕は一睡もしない、僕が小学生だと思って、舐めてもらっちゃ困るぞ!
「デカマラ、デカマラ……」
実のところ小野寺は、母に「隣の焚火のお爺さんをじっと眺めてはいけない」ときつく言われていたのだった、それは恐らく、因縁をつけられたり無用なトラブルを避けるためなのだろうと小野寺は理解していたが、詳しいことはよく知らなかった。
小野寺が焚火を眺め始めてから三十分が経過した。小野寺が振り返ると、二階の同じ部屋で眠る母と弟2人は寝息を立てていた、父はいなかった、いや父は三年前に母と離婚したのでもうこの家に住んでいない、家には父が住んでいた気配すらもう消えていた、小野寺にとって父の存在が感じられる唯一の物体はかなり昔に野球を観戦する前に買ってもらったおもちゃの双眼鏡だけだったが、しかしそれはいつの間にか弟の物になっていた。
小野寺がトイレに行こうか迷って一回背を後ろに傾けた時、窓の外の上方に満月が昇っているのが見えた。爺さんの焚火の煙が揺らめきながら満月の方に昇っていき、やがて煙に含まれる塵が空中で核となり水分を集め、まもなく雲に成長し、一週間後に関東周辺に雨を降らせることになるのだが、この時点では、日本で最も優秀な天気予報士や最も巨大なスーパーコンピューターでさえその雨を予測することはできていなかった。今は雨は降っていない。デカマラというのはどういう意味なのだろう、今度お母さんに聞いてみようか? カラスが鳴いた。猫は鳴いていなかった。爺さんは少し呻いて地面から立ち上がった。そして焚火を燃やしたまま家に入るとしばらくしてからまた出てきて、玄関を勢いよく閉めると大きな音がして爺さんの家の二階の窓がガタガタ言ったので、トタン屋根の上にいた黒猫がどこかにすっ飛んで行った。爺さんが持ってきたのは四、五個のタッパーと、ラグビーボール大の何かを包んでいる緑の古い毛布だった、これらをいっぺんに両手に抱えて持ってきたので、タッパーの一つが滑って地面に落ちてしまったが、蓋が開いたりはしなかった。タッパーには、液体に浸された動物の内臓のようなものが入っているように見えた。まさか、庭でもつ焼きでもやるのか? ほんと夜中に、やりたい放題だな……。小野寺はそんな風に窓枠に肘をついてぼやいていたが、爺さんが再び地べたに座って毛布を開けると、小野寺はその中身を見て、驚きのあまり小さく悲鳴をあげたので、小野寺家の屋根裏の梁に隠れていたネズミやアオダイショウたちは驚き、もんどりうって転げ落ちそうになった。
「人間の頭だ!」
思わずそう叫びそうになったが、すんでのところで小野寺が叫ぶのを堪えることができたのは、そもそも小野寺に独り言を言う習慣がなかったためである。開かれた緑の毛布の中央には、人間の遺体の頭部が鎮座していた、しかし風が少し吹くと、その頭部はころりと横に倒れた。倒れた頭部には焚火の火の揺らめきがそのまま反射していたので、何か蝋細工や飴細工のようなものを連想させた、その皮膚には何らかの加工が施されていたのは明らかだった、つまり、その頭部は非常に状態の良いままにミイラ化していたのだ。それは年齢不詳の女性の頭部のミイラだった。もともと、腐らないように内臓を取り出してタッパーに入れたのに違いない、そして丁寧に、丁寧に皮膚に薬を塗り続けていたからこそ、これ程美しい状態が保たれているのだ。しかし、それならば胴体はどこに行ったのか? 爺さんは、まるで長年使い込まれた木製の杖の取っ手のような滑らかな質感のミイラを手に取り、腕に抱いた。そして、頭部の首の部分を少しむしって焚火の炎に粉を投げ入れた時に、小野寺の後ろで何かが動く気配がした。
「見てはいけない、といったはずなのに」
母が気づいたら後ろに立っていた。窓の外の焚火の光が母の顔に反射していたが、怒っているのか笑っているのか、火のゆらめき加減でいくらでも表情が変わるように感じられたので、どんなことを考えているのか推し量るのは困難だった。
「無病息災、無病息災ぃ!」
爺さんがそう叫んだ。爺さんはまた、ミイラの粉を焚火に投げ入れている。燃えたミイラの粉は、紫色に発光しながら、風に乗って空中に漂っている。近隣の人々が咳き込む音が聞こえた。母が言った。
「しかし、あなたも来年は中学校に通うくらいの年齢になったのだから、自分のことではなく、むしろ他者のことをよく考えなくてはならない年齢になったのだから、そろそろ知っておくべき時が来た、ということなのでしょう」
そう言いながら小野寺の母が布団の上に正座すると、大人の真剣な顔の迫力に気圧されたのか、小野寺も正座し、向き合った。そして小野寺の母は、寝起きでまとまりのない髪を後ろにかき上げると、滔々とこの街の昔の話を語り始めた……。

 「前置きが長くなることを許してちょうだいね。まず、この話にしたって実際のところ、私が直接見聞きしたものではありません。なにしろ、私たちがここに引っ越してきたのは、高々十二年前のことなのですから。引っ越してきた直後、私が出勤なり買い物なりに出かけるたびに、近隣の方がかわるがわる話しかけてくれ、教えてくださったお話です。つまり伝聞に過ぎないと言うことですが、しかし伝聞が経験に劣るということは必ずしも言えないのではないでしょうか。私たち人類は、祖先が言葉を用いずとも星々の美しさを語ることができた太古の昔から、この世界自体を内包するような、深淵な物語を語り継いできたのですから(「言葉を用いずに語る」、悠斗、お前にこの意味が分かりますか? 分からないでしょう、何といったってお前の国語の成績は二がよいところなのですから)。私たちが夜、月を見ると狼の遠吠えや息遣いが耳に聞こえるのは、あるいは私たちが昼、太陽を見ると平原でネズミを獲るワシの羽風を頬に感じるのは、私たち人間、全員の身体に物語が語り継がれているためなのです。
 ですから、あの頃も今と変わらずに昼時には太陽が昇っていた以上、人々の頬にはワシの雄々しい羽風が感じられるはずだったのですが、実際に頬に感じていたのは、オオクロバエの忌々しい脚の感触、という有様でした。焚火の爺さんがちょうど三十四歳になった頃、親戚の営む塗装屋で働き始めてから十六年が経った頃のことです。オオクロバエという蝿の大群が、一日中、街の上や中を悪霊のように飛び回っていましたので、街の人は外出すると自分が巨大な糞の塊になってしまったような気がして、それは大変不愉快なことでした。高度経済成長期の日本では、その成長の代償として———あるいは、人間の思慮の浅さ、傲慢さ、思いやりのなさがそのままの形で表出して———様々な環境問題が生じていて、当然ですが東京都も例外ではなく、特に江東区では、ごみの埋め立て地「夢の島」で大量発生したイエバエが押し寄せ、食事すらまともにとることが困難なほどひどい状況でした。そして江東区の外においても、焚火の爺さんが住み続け、そして今は私たちも住んでいるこの街も、ハエの大群に悩まされていたのです。しかし江東区とは違ってこの街の近くにはごみ処分場などもなく、どこからオオクロバエの大群がやってくるのかは分かりませんでした。
ある休みのお昼時、焚火の爺さん———名前は孝信(たかのぶ)さん、というのですが———若い孝信さんは、自宅で妻の光恵さんと食事をとっていましたが、通常時では一か月程度で交換するので十分だった天井から吊るした蝿取り紙が、交換して一分も経つと蝿でびっしりになってしまいました。孝信さんと光恵さんは、食事を一口分食べるたびに席を立って蝿取り紙を交換しなくてはならなかったため、食べ終わっても全く食べた気がせず、体重もどんどん減っていってしまっていました。
「ちくしょう、こんな状況で、いつまでも暮らせるものか! 蝿が、というよりは生物一般が、何もないところから自然に発生するなどということは考えられないことなのだから、必ず発生源が近くにあるはずなのだ」
事実、フランスの科学者であるルイ・パスツールによって生物の自然発生説は否定されていましたから、どこかにオオクロバエが発生する原因があるはずでした。
 事態が動き始めたのは、孝信さんが依頼された外壁の塗装の仕事をこなし、事務所に車で帰ろうとした時のことです。蝿の体液まみれの車のドアを開けた時、大勢の犬たちがけたたましく吠えている音が遠くの方からかすかに聞こえました。孝信さんは今回の仕事を依頼してくれたお客さんに尋ねました。
「何やら犬の鳴き声が聞こえた気がするが、あれはなんですかね」
「ああ、犬をたくさん飼っている家があるのですよ。無計画に飼育しているせいで数がどんどん増えて、ほとんど阿鼻地獄のような犬の声が毎日聞こえてきます」
「ひょっとして、近頃の蝿の大群、あれらはその家から発生している、ということはありませんかね、ずいぶん不衛生なようだから」
「蝿ですか? 確かにあり得ないこともないですね」
思い立ったらすぐ行動する孝信さんは、数時間後、塗装屋の同僚や後輩を四名引き連れてその家を訪ねましたが、番犬として飼われている立派な土佐犬が玄関からすさまじい形相で吠えてきたので、一同は縮み上がりました。
「くわばら、くわばら! 一体、何の用かね」
玄関から現れたのは、つるっぱげの、甚平を着たガタイの良いおじさんでした。犬たちの高い鳴き声が響き渡る中、糞尿の匂い、獣の匂い、それからものすごい死臭が漂っていました。孝信さんは、この家が蝿の発生源であることを確信して言いました。
「この街を荒らしまわっているオオクロバエの大群、あれはすべてお前の家から湧いてきているのだろう! この人でなしめ! 禿げ頭!」
その言葉を聞いて怒りで口をきけなくなった犬飼いのおじさんは、顔を真っ赤にさせながら番犬の土佐犬の首輪を外すと、孝信さんたちの方に番犬をけしかけました。
「いけっ! 自らの思い込みで善良な市民を人でなし扱いする、この不埒な者どもを噛み殺せ!」
孝信さんたちは、なすすべもなく、頭を抱えながら散り散りに逃げていきました……。その夜、早まった後輩の一人が報復として例の立派な番犬を殺しましたが、問題の解決にはならず、むしろ犬の死体から蝿が湧き出し、空を飛ぶ蝿の大群の仲間に加わり、この街の蝿の総数が増えただけでした。
 困ったときに頼りになるのは、いつも神社の神主さんでした。平将門が京都でさらし首にされて数日後、将門の首が胴体のもとへ戻ろうと東の方へ飛んでいき、その飛行中に抜け落ちた数本の歯の落下地点に造営されたという伝説を持つその神社は、周辺の人々が一か月に一度は参拝を欠かさないほど愛されており、また神主さんの人柄ゆえに悩み事や困りごとがあるとみな神主さんにこっそり相談しに行くほどでした(悠斗、私たちが毎年初詣に行っているあの神社のことです)。その時の神主さんは七〇代くらいだったものの、五〇代と言っても通じるほどの若々しい容姿で、たびたびスナックでブランデーを舐めては堂々とママさんを口説く姿が目撃されました———そういう俗物っぷりが、かえって皆に愛されていたというわけです。ある十六夜のこと、そんな神主さんのところへ孝信さんは一人ででかけていきました。
「こんばんは、神主さん。ますます若返ったのではありませんか?」
「これは、孝信くん。なに、月明りの下では、どんなものでも美しく見えるものですよ」
その日はこのあたりにしては珍しく霧が出ていました。上空では、夜でも構わず蝿たちが飛び回っていましたが、霧が出ているこの神社のあたりにはなぜか近寄ってこず、羽音も霧に吸収されてあたりは静寂に包まれていましたので、孝信さんは、神主さんと孝信さんしかこの世にいないような錯覚を覚えました。
「実は、あの忌々しい蝿の件についてご相談がありまして……」
神主さんは、真剣な表情で孝信さんの目をじっと見ました。孝信さんは、なぜかまるでこれから怒られるような気がして何も言えないでいると、神主さんは目を伏せて言いました。
「なるほど」
七月の涼しい夜でした。一〇〇〇坪ほどの、都内の神社にしては広い敷地の中で、二人は拝殿の目の前の石畳に立っていました。昼間に子どもが悪戯でもしたのか、そばには砂利が集められ小山ができていて、孝信さんはそれを無意識に足で蹴り散らかしていたので神主さんが怒っているのではないかと心配しましたが、それは関係ないようでした。神主さんがなんでもない日のこんな夜更けでも赤い正服を着ていることに今さら孝信さんは気づきましたが、それは大きな風が一度吹き、正服の袖がはためいたためです。それと同時に、りん、りん、という鈴虫のような鳴き声や、風にそよぐ葉の音があちこちの茂みから聞こえ初めましたので、七月にも関わらず、まるで永遠の秋に迷い込んだような気分でした。しかし、神主さんの様子はそんな気候には似合わず、相変わらず妙に真剣な表情で、再び「なるほど」と言うと、身体の力が抜け、うなだれ、言いました。
「実は、あなたがここにいらっしゃることは、昨日の夜から分かっておりました」
身の回りの風景が、我々の行く末や心象風景を表すために存在しているわけではないことは自明の理ですが、この時の孝信さんには、神主さんの赤い正服や、辺りを覆う霧や、突然遠くから聞こえてきた不良学生たちの馬鹿笑いと言ったすべてのものが、何か不吉なものを暗示しているように感じてなりませんでした。
「このような不幸が、罪のない二人に訪れることになるとは……。神職を勤め始めておよそ五〇年が経ちましたが、私は明日から、どのような顔で、日々のつとめに励めばよいのでしょうか」
そういうと、神主さんは拝殿の裏の枯れた井戸の方へ孝信さんを案内して言いました。
「弘法大師がお水をお飲みになった井戸と言われております。狭いですが、どうぞお入りください」
 半ば落下するようにロープをつたって二人とも降りると、小さい六畳ほどの空間に着きましたが、孝信さんは周りを観察することができませんでした。神主さんが着地時に足をくじき、また手の皮もズル剥けて、痛くてうずくまってしまったからです。
「大丈夫ですか!」
「……」
見かけは若くても、中身は七〇歳並みというわけでした。孝信さんが、むせる神主さんの背中をしばらくさすってやっていると、やっと神主さんは口が利けるようになりました。
「この周りに生えている苔を取って、私の足にまぶしてくださいませんか」
足を苔で覆ってやると、神主さんは安心したのか欠伸をしました。しかし、すぐに顔を引き締めると、こう言いました。
「私のことなどどうでもよいのです。誠に申し上げにくいことなのですが、神主として、どうしてもお伝えしなくてはなりません。孝信さん、そして妻の光恵さん、あなた方のいずれかが……捧げられなくてはなりません」
「捧げられる? とは、一体どういう意味でしょうか? ……何か、私たちが、捧げるということでしょうか? 何か……例えば財産とか、祈りをするとか、そういうことでしょうか」
「御命を、です」
そう言われた時の孝信さんが一体どういう表情をしていたのか知る者はいません。ぽたっ、ぽたっ、という水の音、どこから吹いてくるのか吐息のような生ぬるい風の音、壁の岩から剥がれて転がる小石の音……。この空間に入ってしばらく経って慣れたためか、ようやく、孝信さんにも周りの物音が聞こえ始めました。神主さんが続けて説明したところによれば、最近の蝿の大群の発生は数百年単位で概ね周期的に起こっていて、神主さんの家では次にいつ頃起きるかが大雑把に記された古文書が代々受け継がれている、そして蝿の発生の原因は分からないものの、鎮める方法は伝わっており、それはこの神社で結婚の儀を行った夫婦のうち、今も妻と夫の両者が生存していて、かつ一年あたりの性交渉の回数が最も多い夫婦———つまり、もっとも愛多き夫婦、その片割れが捧げられなくてはならない、とのことでした。
「昨夜受けた神託によれば、あなた方は、ダントツでした」
いきなり井戸に案内されて、命を捧げよ、などと言われて納得する人間などいるはずもありません。馬鹿にするな、こんなことだったら神社になんかくるんじゃなかった、蝿でも見ながら糞をひりだしてた方がよっぽどましだ、孝信さんはそう思って神主さんを殴りつけてやろうと思いましたが、それができなかったのは、急に誰かに首を締められるような感じがして倒れてしまいそうになったためです。
「なりません! この神聖な場は、暴力は厳禁です。また、逃げだしたりしようなどとも考えないでください」
しばらく孝信さんが苦しんでいると、見知った手の感触が背中をさすってくれているのに孝信さんは気づきました。妻の光恵さんでした。
「光恵!」
「驚かせてごめんなさい。あなたより先に、ここに神主さんに案内されていたのです。夕飯を二人で食べた後に家の中でお茶を飲んでいたら、畳の上を小さい蟻が列をなして歩いているのに気が付きました。これはまずい、どこか家の中で食べ物でも落としたかしら、と重曹と砂糖片手に蟻の列を辿っていくと、どうやら蟻は、律儀にも玄関口からどんどんと入ってきているようでした。さらに靴を履いて外に出ると、蟻の列は暗い夜道の道路沿いに途切れることなく、遠くまで続いているようでした……好奇心に負けた私は、蟻の列の発生源を突き止めるため下を向いて歩き続けました。やっと発生源の巣穴を見つけた! そう思って顔を上げた時には、目の前には神社の鳥居、そして神主さん……」
話につられて孝信さんが顔を上げて周りを見回すと、孝信さんは、今更初めてこの空間を見たような心持がしました。二人の左側には大きな岩があり、なにやら難しい漢字がびっしりと刻まれているようでした。上の井戸の入口からは月明りが差し込んでいて、月が移動するのに従って時間とともにゆっくりと明かりの位置も移動し、もうまもなくその大きな岩を照らす、というタイミングでした。そして、六畳ほどの空間の中央にいるのは神主さんですが、神主さんは、よく見るとかなり怯えているようでした。孝信さんと光恵さんに深い同情を寄せつつも、できればこの場を一刻も早く離れたいと考えていることが、孝信さんにはありありと伝わってきました。
「今から私は……しばらく壁の方にいます。どうか、お二人で、納得のいくまで話し合って……」
そう言った瞬間、月明りが、漢字が刻まれた岩を照らしました。すると不思議なことに、岩に刻まれた漢字が、蛍の光のような少し黄色がかった色で、なんと発光し始めました! 孝信さんと光恵さんはそれを驚きをもって眺めていましたが、刻まれているのは画数の多い難しい漢字ばかりで、何が書かれているかは全く読み解くことができませんでした。しかし漢字の中に、アルファベットのような、何か見慣れない文字が混じっていることにはすぐに気が付きました———孝信さんと光恵さんはその文字を知りませんでしたが、それは「ルーン文字」という、ここから遠く、遠く離れた世界の地域の、古い文字でした。
神主さんは、発光した漢字を目に入れたくないのか、顔を両手で隠しながら奥の壁の方に移動し、言いました。
「話し合いの結論を、私に伝えたり、口に出して宣言したりする必要はありません。「そのお方」は、既にこちらにお見えになっています。「そのお方」には、わざわざ言葉を用いる必要はございません」
天井から垂れた水滴が孝信さんの首筋に落ち、そのまま背中の方に伝っていったので、ぞわっとして孝信さんは身体を振るわせました。
「どうか私のことを恨まないでください……「そのお方」の神託、命令は絶対なのです……」
光恵さんは、唐突に目をかっと見開くと、左の方の、例の巨大な岩の方を向きました。
「姿は見えないですが、そこにいらっしゃるのは感じます」
「分かるのか? 光恵……」
「こういうことには、少なからず経験があります」
光恵さんは孝信さんの方は見ずに岩の方を見ながら、さらに話を続けました。光恵さんのその横顔を見て孝信さんは、結婚した当初見に行った立川の花火大会でも、垂れてくる横髪を何度も手先で戻しながら、花火を妙に真剣に見続けている光恵さんの横顔をこんな風に眺めていたことを唐突に思い出しました。
「私の母は東京の奥の方、奥多摩の御岳山の麓で産まれました。孝信さん、あなたには一度もお話していませんでしたが、私の母は、霊を呼び寄せ、死者と対話し、この世とあの世の調和を図ることを、かつて生業としていました……つまり、母は霊媒師をやっていたのです。私たち一家は、私が中学生になった時に奥多摩を離れ、その後一切霊媒とは関わりを持たずに生きてきたのですが、離れるまでは私も母から霊媒の技術を少し習っていました。
 ある霧が立ち込めた朝のことです。小学二年生だった私が、休日の日課だった修練と霊界への挨拶を終え、帰宅するために日出山から御岳山の方へ山道を歩いていると、体長40cm、直径2cmほどの巨大なミミズが、正面からこちらに這ってくるのが見えました。巨大といってもこのあたりでは珍しくなく、別に驚きはしませんでした(イイヅカミミズという名前だそうですが、その時は知りませんでした。ちなみに、西日本には、同じくらいのサイズで色が青いシーボルトミミズという種類がいるそうです)。そういえば、おしっこをミミズにかけるとおちんちんが腫れる、という迷信を聞いて、よくみんながこのミミズにおしっこをかけてはしゃいでいたのを思い出しました。私も何回かかけたことがありますが、特に腫れたりはしませんでした。私にはおちんちんがなかったためです。
 休憩がてら立ち止まった私は、そのミミズがこっちに這ってくるのをただ眺めていましたが、ふと周りを見渡すと、ミミズが大量に、左からも右からも、そして前からも後ろからも、ゆっくりと這って近づいてきているのに気が付きました。私は、何か重要なことが始まる予感があったので、運命に身を任せてそこから動かないことに決めました。すぐにミミズが足から身体に昇ってきました。しかしやっぱりミミズは気持ちが悪いものです。右足を地面から離すと左足からミミズが昇ってきました。左足を地面から離すと右足からミミズが昇ってきました。最後に私は両足を地面から離しましたが、当然ですが重力が働いているため、いつまでも滞空できるわけではありません。足が落下していき、ミミズを踏み潰したので、ぶしゅぅぅ、と音を立てて黄色い汁や赤い汁があたりに飛び散りました。それに腹を立てたのか、ミミズたちは勢いを増して昇っていき、私の身体にまとわりつき、最後にはまるでミミズ団子の中に押し込められたような状態になってしまいました。独特で強烈な匂いと、ねばねばした粘液に囲まれて私はえずきました。真っ暗な視界の中、しばらく猛烈な吐き気と闘っていると、突然、視界に、焚火をして火を眺めている老人が現れました。真っ暗で何もない空間に、私とその焚火の老人だけがいました。
「無病息災、無病息災ぃ!」
老人がそう言いました。老人は私の視線に気が付くと、こちらを見て微笑み、「光恵……」と一言だけ、言いました。私は、自分が涙を流していることに気が付きましたが、理由は全く分かりませんでした。その老人は、焚火の側に置いてあった大型の人形を手に取り、私に見せました……いえ、それは人形ではありませんでした、それは、人間のミイラでした! 
「こんな綺麗なミイラにしてもらえるなんて、私は幸せ者に違いありません」
私はその言葉が喉から自動的に出ることに全く驚きませんでしたが、驚かない理由がまたしても分からないことには、大変に驚きました。
「タオルを、一枚くれないかしら」
私がませた声でそう言うと、タオルがなかったので、老人は着ていた薄手のセーターを脱ぎ、私に渡しました。私はそれを口に噛むと、霊媒の修行のため常に左腰に差していた短刀を抜き、身体の中央に沿って、膀胱のあたりから胃の辺りまで一気に掻っ捌きました。
 大腸や小腸など細長い器官がドボドボと落ちて……人間の腹の中にこれだけの物質が詰まっているとは、老人にとっても私にとっても———特に私本人にとって———驚きでした。一回、私が嘔吐するように、うぇぇ、うぇぇぇ!! と塊のような血を吐くと、私の目は焦点を結ばなくなり、目の奥の光がなくなり、そして最後に、一羽の鳥が、粘液まみれの羽をバタバタと動かしながら肺のあたりから内臓を搔い潜って現れ、私の開いた腹から旅立っていきました。それは、巨大な白いカラスでした。しかし、出てくるときに左足が私のお腹の皮膚の内側に引っ掛かり、まだ産まれて間もないためにグズグズとしていた身体から、左足がもげてしまいました。
 注意深い人であれば、公園などで鳥たちがよく片足立ちをするのを見たことがあるでしょう。あれは、この新たに再誕生した<鴉の王者>(Corvus rex giganteum)に敬意を表しているためです。また、鳩や文鳥、さらには馬などでも、体毛が真っ白な動物を見たことがあるでしょう。あれは、<鴉の王者>(Corvus rex giganteum)への憧れからあのような色になるのですが、誰も本物の白さには敵わないのです。
 白いカラスは北の方へ、北海道の方へ向かって飛び去って行きました。鳥は北と南を間違えたりはしません。地球の磁場を感じているからです。
 先ほど申し上げた通り、<鴉の王者>(Corvus rex giganteum)は「再誕生」したのであり、今回示されたような光景は我々の歴史の中で幾度となく繰り返されてきたものです。<鴉の王者>(Corvus rex giganteum)は産まれるのが上手ではなく、毎回どちらかの片脚を失ってしまいます。しかしそのことを<鴉の王者>(Corvus rex giganteum)が嘆いたことは一度もありません。その必要がないからです」

 小坂雄二は、自分が小坂雄二であることを家族に対して証明することができず、実家を出禁となった。その後の彼の消息を知る者はいない。










【記憶(その1)】
以下の鍵括弧の中の空白に、あなたにとってなにか大切な記憶を一つ書きつけること。ただし、書くものを持っていないなど事情がある場合は、書く文章を想起するだけでよい。











【記憶(その2)】
以下の鍵括弧の中の空白に、あなたの生涯でなにか楽しかったことを一つ書きつけること。ただし、書くものを持っていないなど事情がある場合は、書く文章を想起するだけでよい。

 」









【増殖】
以下の鍵括弧の中の空白に、あなたが今書きたいことを自由に書くこと。ただし、あなたの親しい友人や兄弟、家族などに後で見せることを前提に書くこと。親しいものがいない場合でも、気にせず書くこと。書くものを持っていないなど事情がある場合は、書く文章を想起するだけでよい。











(※このページには特殊な印刷技術が使用されています。下に印刷されている
文字を指で擦ると、ピザの匂いがします。どうぞお試し下さい)

ピザ (←この文字を指で擦る)











以上、『Deneutralized, neutralized』Part 2 でした。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
Part3もぜひご覧ください。

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