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【ためにならないコラム】故事成語辞典 その3 「完璧」の巻 本当は知識欲を刺激して人間性を深めるコラム

 皆さまに無駄な知識を植え付けるためだけの存在・迷惑系クリエイター・低浮上のnaoでございます。
 思うところあって、今回はタイトルにテーマを掲げさせてもらいました。由来を知っている方には、タイトルを見ただけで読まれない可能性もありますが・・・どうかお付き合いください。

「完璧」って、皆さん普段からよく使う言葉ですよね。子供のころ、「」を「壁(かべ)」と書いてしまった結果、漢字テストでバツされた人も多いのではないでしょうか。すでに知っている方は多いと確信しますが、「璧」は宝石の一種から作られた装飾品を示します。壁のことではありません。

 では今回もいきましょう!


【完璧(かんぺき)】

意味:完全。欠けている点がまったくないこと。

用法:主に他人の仕事の結果を褒める際に用いられる(君の作った書類は完璧だね!/ここまでできたら完璧だ!・・・などなど)。転じて、まったくそうではない状態を揶揄するために、反語的に用いられることもある(・・・か、か、カンペキですね・・・/『私ってきれい?』『完璧ですよ!』・・・などなど)。この場合は主に立場上反論できない相手に向けて用いられることが多い。

文字の意味:「」とは「玉(ぎょく)」と呼ばれる宝石の一種(正確には『軟玉』)から作られる。古代中国で主に祭祀用、または威信財(権力を象徴するための財物)として重宝された。形状は円状の平板であり、中央には穴が開いている。わかりやすく言うと、ドーナツ状の円盤である。

「璧」とはこんなものです。画像はWikipediaからの借用(フリー画像)

 ちなみに「軟玉」とは学術的には「ネフライト」と呼ばれる。これに対して「硬玉」は同様に「ジェダイト」と呼ばれるが、日本ではこれらを総称して「翡翠(ひすい)」と呼ぶことが多い。しかしこの二つは厳密には違う物質で、「璧」の語源となった中国では「軟玉」しか採取されない。

 なお「」の文字は、「完う・まっとう(全う)する」の意味である。

由来:時代は戦国時代、紀元前279年頃に遡る。俗に「戦国七雄」の時代と称されるが、その実際は「一強の秦とその他六国」と言うべきであろう。
「完璧」にまつわる逸話は、その一強である秦国と、他の六国中のひとつである趙国の関係から生じたものである。

画像はWikipediaからの借用です(著作権フリー画像)戦国初期の地図なので、まだ越国が存在しています(のち、楚に滅ぼされました)

 この当時、趙は恵文王の世でした。その恵文王のもとに、もともと楚国由来の「和氏の璧」が届けられたことから、この話は始まります。


「和氏の璧」とは?

「和氏」とはこの璧となる原石を最初に見つけた卞和(べんわという人物のこと。
 卞和は類い希なる原石を見つけた、と当時の王にこれを献上しました。王はこれを専門家に鑑定させたものの、残念ながらただの雑石だと判断されてしまいました。この結果卞和は罰を受けて、左足を斬り落とされました

 それでも納得のいかなかった卞和は、王が代替わりしたのを機に、次の王にもこの石を献上して鑑定してもらいました。
 しかし結果は同じで、このとき彼は残された右足も斬り落とされたそうです。卞和はこの石を抱きながら3日3晩泣き続けました。

 楚ではさらに王が代替わりし、文王が即位しました。文王は石を抱きながら泣き続けたという卞和の噂を聞きつけ、試しにその石を預かって磨かせたといいます。結果的にそれは見事な宝玉であったので、文王は卞和に対して歴代の王の不明を詫び、彼の名前をこの石に与えた・・・これが「和氏の璧」です。


藺相如の登場

 その「和氏の璧」が回り回って、趙国に届けられました。その噂を聞きつけたのが、当時の最強国である秦の昭襄王です。秦の昭襄王は、趙の恵文王に向けて、

和氏の璧と秦国内の十五城とを交換したい

と書簡を送りました。

 これを受けた恵文王は、迷いに迷いました。なぜなら秦は昔から信用できる国ではなく、申し出は嘘だとわかっていたからです。

 美しい璧を秦に贈ったところで、彼らは約束を守らない。十五の城を明け渡すなど嘘に決まっている・・・でも、璧を贈らなければ、それを理由に趙は攻められ、滅ぼされてしまうだろう・・・恵文王はそう考えたのです。

 そこで秦への使者として選ばれたのが、藺相如(りんしょうじょ)という人物でした。

藺相如(私の勝手なイメージ)

 藺相如は気骨ある人物で、恵文王に呼び出された際、自らが使者として秦に赴くことを宣言しました。その際、彼は啖呵を切るように言いました。

城が趙の手に入りましたならば、璧を秦に残してまいります。城が手に入らねば、わたくし、はばかりながら璧をそのまま持って帰って(壁を完う)きましょう
(原文:『城入趙而璧留秦、城不入、臣請完璧歸趙』・・・史記「廉頗藺相如列伝」より)

 秦に赴いた藺相如は、それを昭襄王に献上します。しかし案の定、昭襄王は侍女たちにそれを見せびらかして自慢するばかりで、城を趙に渡す様子は見て取れませんでした。

 腹を立てた藺相如は、昭襄王に向けて言い放ちます。

その璧には傷があります。ご説明致しますので一度お貸しいただきたい」

 昭襄王は言われるままに藺相如に璧を手渡し、彼はそれを受け取りました。そしてさらに言い放ちます。

「市井の庶民でも約束は守るもの。まして大国が弱国相手に約束を守らぬとは言語道断の行い! 趙王は礼を尽くしたというのに、その見苦しいザマはなんだ! だから取り戻してやったまでよ!」

 趙の恵文王は璧を秦に送り届ける前に、礼儀を尽くして五日間斎戒沐浴したと言います。藺相如は秦の昭襄王にそれと同様の礼儀を尽くせと要求し、昭襄王はその条件をのみました。藺相如の勢いに圧倒されたというわけです。

 しかし昭襄王が実際に斎戒沐浴をしている間に、藺相如は璧を雑人に託して趙へ持ち帰らせ、臆することなくそれを白状しました。

璧はもうとっくに趙へ届いている頃合いでしょう。わたくしは大王からどのような処分を与えられても甘んじて受け入れます。たとえ釜茹でにされようとも本望でございます

 昭襄王はこれを受けて、璧のことは諦めました。それどころか藺相如が秦に滞在する間、彼を厚くもてなしたといいます。その覚悟と度胸の良さに感服するところがあったのでしょう。

 これにて璧は趙へ無事にもどることとなり、秦に攻められることもなく、事態は解決しました。

 藺相如は、璧を完うしたのです

諸説あり:私の脚色あり:信憑性は疑わしい


少し説明が長くなりましたが、いかがだったでしょうか?
相変わらずムダな話です。

まったく役に立ちませんね!

次回も無駄話を披露して、皆さまの貴重な時間を失わせたいと思います(笑)。

次回もお楽しみに!

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