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【ためにならないコラム】故事成語辞典:その7 「蟷螂の斧」篇 本当は知識欲を刺激して人間性を深めるコラム

 今日は天気がいいのに、なんかだるくて家に居ます。
 低浮上クリエイターのnaoです。無言フォロワーさん歓迎します。
 必ずしも無言の必要はありません。できれば構ってください。

 家に居ると、割と頻繁にセールスの人が来ます。やれ太陽光パネルをつけませんか、やれダスキンのレンタルマット置かせてください・・・などなど。新興宗教の人たちがやってきて、チラシを渡そうともします。
目ざめよ!」って書いてありました。

 ・・・そういう意味で構ってほしいんじゃない。いっそ放っておいてほしい。

 きっと皆さん普段からそう思ってますよね。しょせんは自分本位です。

・・・・・・と、なんの影響力もない者がひとり毒を吐いて立ち向かおうとする。これこそが「蟷螂の斧」の意味するところです。うまくまとめました

 それでは今回は「蟷螂の斧」です。早速いきましょう!


【蟷螂の斧(とうろう・の・おの)】

意味:弱者が自分の力量や立場もわきまえず、強者へ立ち向かおうとすることのたとえ。無駄な抵抗を揶揄したもの。弱者に向けて「がんばれ」と応援する意味ではない。

用法:応援する意味ではなく、強者が弱者を揶揄するための言葉なので、使用する際は「吐き捨てるように」言い放つのが効果的である。
 
 例:「蟷螂の斧ってのは、おまえみたいな奴のことを言うんだ」
「悪あがきしているが、しょせん蟷螂の斧に過ぎん」
 
さあ、格好良く言ってみよう。
意味が通じないことの方が多いですけどね。

解説:今となっては文学的表現に過ぎず、日常の会話で用いることは殆どない。しかし、たまに新聞の記事で見かける。それと、ゴルゴ13のタイトルにもあったと思う。
 いずれにしても、一般市民が政治・経済的権力を持つ者に対して抵抗するさまを印象的に表現しようとして使用されることが多い。

 しかしゴルゴ13はともかく、大衆雑誌や新聞などで、ひとことの解説もなくこの言葉が使用されると、たいていの読者は「????」となる。だいたい「弱い者」というイメージはできても、それがどういうものか具体的に説明できる者は少ないのではなかろうか。

 以降、次の項目でそれを説明する。

由来:「とうろう」は「灯籠」ではない。「弱い者が振りかざす斧」という意味は連想できるが、「とうろう」と聞いて多くの人が連想するのは「灯籠」であることは間違いない。

「灯籠」は明かりを灯す道具である。「弱い者」から連想して、紙ちょうちんや紙あんどんを思い起こす人は多いのではなかろうか。つまり多くの人たちは「紙でできた斧」だと思っているに違いない(個人的見解)。

 しかし「とうろう」は「灯籠」ではなく「蟷螂」である。「蟷螂」とは「カマキリ」のことである。

Canvaで作ってみたら微妙に違う生物が生成されました。カマキリだと思って見てください

 由来としては、古い文書にいくつか記録となるものが見受けられます。ここでは、それらの大本となったと思われるエピソードを「韓詩外伝 八」からご紹介したいと思います。

 以下は原文です。

齊莊公出獵,有螳蜋舉足將摶其輪。
問其御曰「此何蟲也?」
御曰「此螳蜋也。其為蟲、知進而不知退,不量力而輕就敵。」
莊公曰「以為人,必為天下勇士矣。」
於是迴車避之。而勇士歸之。

 これを訳するあたって、時代背景を説明しながら・・・と思います。
 時代的には紀元前550年前後の話です。春秋時代ですね。

 冒頭にある「齊」というのは国の名前で、現在の中国・山東半島に位置する国でした。現在は「」と表記されます。そこの殿さまが「莊公(荘公)」で、「獵」は「狩り」のことです。つまり最初の一文は「斉の荘公が狩りに出かけた」と訳すことができます。

 大昔の「狩り」は単に獣や鳥を捕らえるための遊びではなく、「軍事演習」の意味も伴っていました。林や草原で勢子が獲物を追い詰めて一箇所に集め、それを弓などで仕留める・・・その一連の作業が敵兵を追い詰める際に応用できたのです。よって、「狩り」は兵士を鍛錬する機会でもありました。

 それと同時に、狩りに向かう行列を民衆に見せびらかし、その威光を示すという目的もあったようです。つまり、王さまや皇帝が国内を巡幸するのと同じ目的でもあったのでした。

 しかしこの時代の中国では、まだ人が馬に跨がってそれを操る文化はありませんでした。偉い人は馬車に乗り、御者が鞭や手綱でそれをコントロールするスタイルが通常で、これが史書の中に出てくる「戦車」です。

後漢の時代の絵らしいのですが、つまりはこういうヤツです。
(画像はWikipediaからの借用)

 ちなみにこの「戦車」は英訳すると「タンク」ではなく、「チャリオット」です。ジョジョ第3部で、ポルナレフが操ったスタンドの名前が、西洋風の戦車に由来していた、というわけですね。昔の映画「ベン・ハー」で主人公が乗ってたやつです。

 すっかり話が逸れました。話を戻しますと、荘公も狩りにいく際には、このような戦車に乗っていました。原文の一行目末にある「其輪」とは戦車の「車輪」のことで、二行目・三行目の冒頭にある「御」とは御者のことを指すのです。

 これらのことを踏まえて、訳文を以下に示します。

 斉国の荘公は狩りに出かけ、その際一匹の虫が戦車の行く手を塞ぐように立ちはだかっている姿を見つけた。その虫は前足を振り上げ、いまにも車輪めがけて打ちかかろうとしていた。
 荘公はその御者に聞いた。「こりゃ、なんの虫だ?」
 御者は答えて言った。「なに、こいつは蟷螂(カマキリ)って虫ですよ。前に進むばかりで後ろに下がることを知らない、力の差があっても敵を恐れるような知恵もない、そんなヤツです」
 荘公は言った。「ふうむ。こいつが人であったらなあ。必ずや天下の勇士となること、間違いないのに」
 そして戦車を回させ、蟷螂を避けたのである。

 というわけです。概略としては以上ですが、実は最後に「而勇士歸之(しこうして勇士これに帰す)」という一文があります。これをまだ訳していませんが、いったいどういう意味でしょうか。

 御者の返答には、小さな虫がいきり立って(イキッて)立ち向かおうとする姿を馬鹿にする態度が見え隠れします。嘲笑うニュアンスがあり、これが現在の「蟷螂の斧」の意味となっていることは間違いないと思われます。

 しかし実際の話、荘公はこれを轢き殺しませんでした。彼の言葉には勇敢な虫に感嘆した様子が読み取れます。

 荘公は勇者であれば虫すら尊ぶ。まして対象が人であればなおさらだろう、・・・当時の人々はそのように考え、荘公のもとには勇士が多く集まった・・・これが最後の一文の解釈です。

 実際の荘公は気性が荒く、美女を好んだ人物でした。彼はそれが原因でときの宰相から恨みを買い、殺されてしまいます。しかし蟷螂の話をきっかけに荘公のもとへと集まった勇士たちは、その復讐戦を挑んで、見事に命を散らしたそうです。

まとめ:最後に見事に命を散らした、と表現させてもらいましたが、これが美談であるかどうかは脇に置きます。
 荘公の御者は、蟷螂(カマキリ)のことを身のほど知らずだとして馬鹿にしましたが、まあこれは自然なことだと思われます。ですが長い人生、ときには無謀なチャレンジも必要なことがあるでしょう。あとさきを考えず、カマキリのように小さな斧を振りかざした結果、荘公のような人物が現れて、その勇気を認めてもらえるかもしれない。
・・・これは、そんなお話なのです。


いかがだったでしょうか。無理にうまくまとめましたね! ムダというものです!

まったく役に立たない話でした(笑)!

次回以降も皆さまの貴重な時間に、ムリ・ムダをぶち込みたいと思います!

それでは次回もお楽しみに。

バックナンバーをマガジンとしてまとめています。過去の記事もぜひお楽しみください。

お読みくださってありがとうございます。

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