見出し画像

宮地尚子 著『傷を愛せるか 増補新版』を読んで

精神科医でトラウマ研究の第一人者である宮地尚子さんの著書の文庫本を読みました。

宮地さんが各地の旅を通して感じたこと等を綴ったエッセイです。ものごとを常に俯瞰しているような、静謐さと思慮深さが滲み出ている文章を読んでいると不思議と気持ちが落ち着きます。


最初の「なにもできなくても」というタイトルの章で自身の娘さんが幼い頃、外出先で階段から転げ落ちたとき母親である宮地さんは

“ただ黙って、目を凝らしていた。
静かに。動くことなく。”

と記しています。文だけ読めば母親がそんなに冷静でいられるなんて、なぜ慌てて助けてあげないのかと批判されることでしょう。
宮地さんはその後どのように処置したらいいのか、という一人の医師としての目線で娘さんを見ていたそうです。
なにが起きているのか観察することが診療行為として重要だと。
ただそれは後づけで宮地さんは幼少期の経験からきているのではないか、と振り返ります。末っ子らしく大人の様子をただ黙って見ているしかなかったそうです。

子どもは意外と大人を観察しています。私もよくそう感じることがあります。
例えば大人同士が言い争いをしているとき。大人が子どもである自分を叱っているとき。彼や彼女と目が合った瞬間、何かを訴えるような瞳をしているな、と感じることがあります。


宮地さんがバリ島のデンパサールの寺院でたまたま知り合った青年に祈りを捧げられた、というエピソードがあります。寺院の教会の椅子に座ろうとした時、元々宗教を苦手なものと思っていたにもかかわらず思わず泣き出しそうになったそうです。

“だれかが自分のために祈ってくれるということがどれほど心を動かすものなのかを、
わたしはそのとき初めて知った。”

精神科医の立場で宮地さんはドメスティック・バイオレンス(DV)の被害者は関係の近しい他者から暴力やおとしめによって自身の価値や能力を否定され、そのマインドコントロールや孤独から抜け出すには自分の幸せを祈ってくれる「だれか」が必ず必要であると言います。


常に沈着冷静そうな宮地さんですが(こちらの勝手なイメージです)、冬のスポーツは“鬼ごっこ!!!”で“おしくらまんじゅう!!!”であるアメリカン・フットボールの観戦に夢中になったり、医療現場では相手をほっとさせ受け入れている感じにさせるホスピタリティ精神は最低限求められるのだから「スマイル0円」をやってみてはどうだろう、と提案するなど親しみやすさも感じます。


世界や国内での旅の出来事や人との出会い、映画やスポーツ、自身のご両親、医療の現場を通してトラウマやDV、ジェンダーや男性の性的被害等を専門に様々な問題に携わる宮地さんの見解は多様性を求める現代の日本社会において非常に考えさせられます。

最後の方にこう記されています。


“傷がそこにあることを認め、受け入れ、傷のまわりをそっとなぞること。”

“さらなる傷を負わないよう、手当てをし、好奇の目から隠し、それでも恥じないこと。”

“傷とともにその後を生きつづけること。”

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?