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8050問題について

こんばんは。今回は少しヘビーで真面目な話をさせていただきます。不快に思う方がいたらそっと離れていただいて構いません。

近年、8050問題が挙げられることがあります。江戸川区の区民調査では“ひきこもり”といわれる人の数が76人に1人いるそうです。それは何も家庭環境や経済的理由などといった特別な家庭だけの問題とはいえません。   じつはちょうど江戸川にある私の実家もそうなのです。

私には年子ですが学年が2つ下の弟がいます。
小さい頃の弟は写真で見るかぎり可愛らしく非常に素直な子であったと聞いています。その頃母が弟を連れて知人宅へお邪魔した時、弟が自分の靴だけでなくその知人の家族の靴までキチッと揃えてから框に上がるのを見た時、「まだ幼いのに何てしっかりしていて優しい子なんだ」と惚気る程でした。

私自身はそこまで気が回らない子どもでしたが幼いながらも明らかに自分より弟の方がかわいがられているな、と感じていました。

小学校まで弟は友達も多く、逆に友達の少ない私は弟と同級生の男の子達と遊ぶ機会が多かったです。
そういうわけで将来まさかこんなことになろうとは誰か予測したでしょうか。

弟が中学校に入ってから当時でいう「登校拒否」を起こします。実は私も短期間中学校に行かなかった時期がありました。自己紹介でも少し触れていますが授業がつまらない、先生に理不尽なことで叱られた等で「なんかヤダなあ」と学校に行かず家で好きなレコードをガンガン聞くなどして過ごしていました。しかしあんなに少なかった友達は中学では恵まれて毎日「◯◯(私の名前)学校行こーよ~」と懇願されて仕方なく行く、という軽症で済んだのですが、弟の場合は違いました。

今となっては想像でしかないのですが、弟が学校に行かなかった理由はいろんな要素があったからだと思います。母から耳にした話だと仲のよい友達に冷やかされたことがあったこと(本人にとってはそれで済まされない)、年頃で誰にも相談出来ない性器の悩みなど。そしてその相談相手は母だけであったこと。

ほとんど学校に行っていない状態でしたが三年の時の担任の先生が本当に良い先生で弟に対して本当に親身になってくれた、と母から聞きました。卒業式とは別の日に卒業証書を渡していただき定時制の高校進学も決まっていたのですが、、、やはり高校も次第に行かなくなり母が通信制の高校を探し出して始めさせても長続きしませんでした。親身になってくれたその先生ともだんだんと連絡が途絶えてしまいました。

ひきこもってしまったのはおそらく弟が自ら動くのを待たず母が先走りして何でもかんでもお膳立てしてしまうのが良くなかったんだと思います。弟が自分で決めたことといえば家族の中で初めて車の免許を取ったこと。そこまではいいのですが、、、なんと父や私に相談せず母が弟のためだけに車を購入していました。両親も私も車は使わないどころか免許も持っておらず運転も出来ないのに。

そして私の父は当時のほとんどの父親がそうであったように“企業戦士”でした。帰りはいつも残業続きで遅く、私も弟もちゃんとした会話らしい会話を交わした記憶があまりありません。父親不在、というより元々父は口数が少なく存在感自体が薄かったように思います。休日は遊園地などにつれていってもらったのは覚えていますが、大抵いつもニコニコしているだけ。私は母には叱られたことはあっても父からは叱られた記憶がないのです。弟は基本的に良い子であったため、父だけでなく母にも叱られたことはなかったのではないのでしょうか。

弟はおかしくなった、と確信したのは私が大学生の頃でした。授業やサークル活動、バイトで忙しく疲れてしまいいつも眠りが深い方だったのですが、その日の夜は突然、居間にある電話の受話器をガチャン!と激しく叩きつけるような音がしました。何か罵倒しているような声も聞こえてきたのですがあまりに眠かったのか再び眠ってしまいました。

何日かたって母にその話をすると、実は弟が当時働いていたバイト先の飲食店に無言電話をかけたり「バカ野郎!」等罵声を浴びせたりした後ガチャン!とすさまじい勢いで受話器を叩きつけることを繰り返しやっていた、と打ち明けたのです。

今まで親に叱られたことがない世間知らずの人間が社会で働きだして、生まれて初めて家族でない他者に「なんで出来ないんだ!」と怒鳴られ、それを真に受けることしかできなければ当然自己嫌悪に陥るか、逆恨みをするようになります。ましてや昔はパワハラなどという言葉もなければ現代のように声を挙げる人もなく、ハラスメントを訴える環境などは到底ありませんでした。

結局バイトを辞めるとなったときも昔のバイト代は現金支給ですから取りに来るよう言われたそうですが行きたくない、という弟の代わりに足が元々不自由な母がわざわざバイト先に受け取りに行ったそうです。

弟は病院で「統合失調症」と診断されました。母親の過保護を今さら批判できません。私自身も自分のことにせいいっぱいで弟や母を気遣うことをしませんでした。母だけが悪いわけでもありません。後から母の話を聞いて初めて知ることが多すぎた。ひきこもりの話題によく聞くように苛立って部屋の壁をぶち破く程殴ったり、おとなしい父を蹴りつけたりするのを目撃はしても何も出来なかった。

私も弟も比較的母が高齢で生まれたため成人になってすぐ父も母も定年を迎えていました。弟のひきこもりを母は自分の親やきょうだいも含め親戚にはいっさい相談しませんでした。父はもしかしたら誰かにしていたかもしれません。父も精神的に参っていたのですから。でももう既に亡くなっているので確認のしようがありません。

私が結婚し実家を出た後、両親と弟が暮らすようになってから母は変わらず弟のために走り回っていたらしく、近所の就労継続支援B型の方が集まるサークルを探したり弟個人にヘルパーさんをつけたりした甲斐もあって弟は徐々に心が落ち着いてくるようになりました。弟と父との関係も以前よりはだいぶ良くなってきたように思います。

父がもうそんなに長くはないと医師に宣告をされた頃と同時期に私もバセドウ病を患い、会社を退職してから初めて、弟と二人で高齢の両親ときちんと向き合わなければ、と気づきました。

これから先のことを考えるともし母に何かあったら、弟はまた病が悪くなるのではないかという恐怖はあります。しかし昔の私たちと違って今ならもっと人に頼っても悪くないんじゃないか。子育ては少し手を差し出しすぎたかもしれませんが、いつも朗らかで強い母のように何とかもがきながらも生きていかなければ、と思うのです。



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