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最近見た映画について②

えらく時間が空いてしまった。
予定を詰め込みすぎている時点で、どこかでこうなることはわかっていたのだけれど…。

幸い(?)インフルエンザにり患して時間を持て余しているところであるので、またもや映画について書いてみようと思う。

インフルエンザ、何気につらいものですね。
風邪をひくということ自体、昨年の11月までのおよそ7年間(中学入学以来)ほぼ皆無という丈夫さぶりであったので、発熱やそれに付随する身体症状とは、かなりしんどいものであるということを思い出しました、というか、もはや自分の身体についての新たな発見、未知の開拓といっても過言ではないかもしれない。なにせ最後に本格的に寝込んだのなんて小学生の時だから。

とにかく、大学二年生後半になって体調を崩しがちになってしまったので、少し生活を見直そうと思っているところです。齢が20歳を超えると同時に自分の身体が、今まで通りの無茶がきかない、扱いづらく、気遣いを必要とするものになってしまったような感じがして、身体の乖離を若干感じ始めて悲しくなります。

何を20歳が言ってるんだということをとても言われそう。
でも思っちゃうなあ、歳ってこうやってとっていくのかと。

さてそんなことは置いておいて、本題に入ろう。

今日は、最近見た映画に関するあれこれを述べる第二弾ということで、うーん、どれにしよう。
っていいながら今アマプラの閲覧履歴を見返していたら、あ、これだと思ったのが、『ブロークバック・マウンテン(2005)』です。

脱線がすごいけど、今聴いているAmber Markの2017年のシングル、とてもよい。最近胆のう辺りにどしっとくるR&Bに出会えていなかったので久しぶりに興奮している。

さて、『ブロークバックマウンテン』に戻ります。
ネタバレもします。断っておきます。

一言でジャンルをいうならばこの作品はボーイズラブ(BL)。
1963年のワイオミング州の夏、夢のような、燃えるような恋に落ちた二人の青年の人生と、決して公には叶えられることのないその後の二人の関係性の物語。
原作はE・アニー・プルーの同名小説。
物語の中心である二人の青年は、はヒース・レジャー演じるイニス・デル・マーと、ジェイク・ギレンホール演じるジャック・ツイストの二人。
以下、大まかなあらすじを記す。

イニスとジャックはお互い、季節労働者としてブロークバック・マウンテンで出会う。そこで二人は友情を超えた絆をはぐくんでしまう。自分は異性愛者だと最初は互いに主張しあう二人だが、その関係性は次第に密なものへとなっていく。一度だけ、イニスはジャックを殴る。イニスには自分の感情の落としどころの整理がつかない。
美しく雄大なブロークバック・マウンテンで、二人は二人だけのひと時を過ごす。しかし無情にもあっという間に幸せな季節は過ぎ去り、二人は離れ離れになる。彼らにはそれぞれ自分の本職があるし、やがて彼らはお互いの家庭を持つようになる。しかしそうして妻子がいるのにもかかわらず、彼らはやはりお互いを求めて、定期的に二人でブロークバック・マウンテンを訪れて、二人だけのつかの間の時間を過ごす。
そんな関係性を何年も続けているうちに、イニスの夫婦仲は崩壊し、離婚の果てに、彼は二人の娘と離れ離れに暮らすことを余儀なくされる。イニスの妻は、夫の秘密を知りながらも、見ていないふりをしていた。一方のジャックも、裕福な家庭の義父から虐げられる毎日に悶々としながら過ごしている。裕福なわけでもないから、決して生活も楽ではない。彼らは実直に働きながら、地道な生活をこなしている。ジャックの方は、裕福な妻と家庭を持ったことで、次第にその富を享受していくことになる。しかしイニスの方は、離れて暮らす娘の養育費を必死に稼ぎながら小さく無機質なロフトで一人で生活する日々を送る。
時に彼らのオアシスとなっていたブロークバック・マウンテンでの時間に、衝突が生じることもある。もっと二人で過ごしたいと訴えるジャックに対し、金銭的余裕のないイニスは、現実的な思考から離れられない。それに、牧場で働く彼らの周囲には、同性愛者への理解を示してくれるような者はいない。イニスは幼少期、自分の父が、近隣に暮らしていた同性愛者の男性をリンチして殺した死体を、父自身によって見せられたことがある。それは周囲への見せしめでもあり、彼の父から息子への訓戒でもあった。同性愛が認められる環境でも時代でもない。最も考慮していなかった人生の事態に、自分自身が該当していることは、彼の中で苦いしこりのようなものとして残り続ける。かつての妻からジャックとの関係性をほのめかされたときには、自分の動揺と情動を抑えきれず激昂してしまう。
自分の気持ちがまっすぐに受け入れられないことに葛藤するジャックもまた、男娼にそのうっぷんを向けることがある。イニスには妻との愛も冷め切っているとこぼす。二人がまっとうに幸せになることは決してかなわない。

しかし、二人は決して離れることはしない。定期的に二人きりでの時間を過ごし、幾度のすれ違いを経験しながらも、必ずお互いのところへ戻ってくる。

ある日、唐突に、二人の関係性に終止符が打たれることになる。
イニスのもとに、ジャックの妻から電話がかかってくる。それは、ジャックの死の知らせである。彼は悲惨な機械の事故により非業の死を遂げた、とジャックの妻は、はがきのやり取りが頻繁であったイニスのもとへ初めて連絡をする。映画では、ここでジャックが複数の男によって集団リンチに合う描写が流れる。あたかも、イニスの父がかつて同じコミュニティに暮らす者に加えた制裁のように。実は同じ悲劇がジャックを襲っていたのか、ただイニスの脳裏によぎった悪夢にすぎないのかは明らかにはされない。しかし、このシーンは、最も映画の中で苦しく、暗く、絶望的なシーンだ。

イニスはジャックがかつて過ごした家を訪れる。ジャックの両親の、イニスに対して率直には感情を表さない演技もまた巧妙である。おそらく息子と特別な関係にあったことは知っており、しかしながら、そのことには言及しない。父の方はまともにイニスと口を利くそぶりがないが、母の方は優しくジャックの部屋へイニスを通す。そして、イニスが見つけた血の付いたジャックのシャツを、黙ってそのまま差し出すのである。

最後のシーンは、イニスの家に、娘が結婚を知らせにやってくる場面である。イニスは彼女にささやかな祝杯をあげる。そして、彼女の帰宅後、しまってあったジャックのシャツを抱きしめる。ここで、映画は終わる。

物語の概要をまとめることにかなりの文量を費やしてしまったが、以上のようなあらすじである。

この映画はアカデミー賞にもノミネートされた作品であるが、一方で、映画公開時には否定的な意見も多く寄せられたという。まだまだ世間が同性愛というトピックに敏感で、不慣れであったこともある。

今日となっては、同性愛を描いた作品は多く見られる。電車の車両内の広告はかなりの確率でBL作品が取り上げられていることが多い。男女間でよくみられる‛ラブコメ’が男性同士の間でも適用されて制作されるようになったことの表れだなと思っていつも見ている。

少し話がそれたが、ブロークバック・マウンテンは間違いなく悲恋物語だ。
イニスもジャックも報われないし救われない。二人の幸せの絶頂は初めて出会い、過ごし、働いたブロークバック・マウンテンでのわずかなひと時だ。下山すれば二人は二度と同じような関係性には戻れないと知っていた。実際に彼らの永遠の回顧の対象はブロークバック・マウンテンの最初の夏だ。あの時が一番幸せであったのだと心にかみしめながらままならない日常を生きている。だからこそ、二人の関係性は美しい。二度と戻れない最初で最後の二人だけの幸せな空間は、永遠の輝きを失わないからだ。ひそかに胸にしまっているから、誰のものにもならないし、介入もされないし、けがされない。恋愛という二人の人物の間に成り立つ事象において、究極的に排他的要素をそぎ落とした結果というか、成り立つべき関係性のある意味理想形ともいえるような気がする。

猛烈に思い出したのが『君の名前で僕を呼んで』だ。なんか、色々似ている。詳しくこの作品に立ち入ることはやめておくけれど、わりかし残像が残ってしまう具合にはもうどうしようもなくやるせなくなるラストシーン、自然の多い画角の圧倒的な映像美、カット数、シーンがとても多く展開的に映画にしては贅沢感があるところ、どちらも原作が小説ということもあって、神妙で、明確な答えを避けて言いまわすセリフ、そしてその機微を体現する役者の表情や立ち回りなど…。ああ、ここ小説だったらどういう風に書かれていたんだろうと気になるような繊細な演技がとても光る。あとは、時代背景的に、二人の恋仲が公にはされるべきではないという無言の圧力と、彼らの関係が決して永遠のものにはなり得ないという当事者間の暗黙の了解と、その中でもがく登場人物の描写。

ブロークバック・マウンテンは、二人の人生が大きく激動的に、しかし一方で、かすかに細かく揺れ動きながら交差する様を描く。彼らは絶対に結ばれることのない間柄ではありながら、お互いを想い、また苦しませ、切り離せない情に拘束される。

かなわない恋や愛を描く物語はなんともいえない魅力がある。幸せにゴールインを迎えた作品というのもまたいいのは事実だが、それよりも、どこか不可抗力的な条件に逆らう二人を描いた作品の方が、カタルシスの要素も手伝って、忘れられない鑑賞体験になるような気がする。それはたぶんまだ自分が経験したことのない痛みがそこにあって、少なからず衝撃を受けるからだし、その無常さが胸を打つことが往々にしてあるからだろう。もし、自分が大失恋をした際に悲恋ストーリーに出会ったら、違った見方が出来るようになるのだろうか。それはそれで積極的には望まないが、一つの楽しみとしてとっておこう。そして、そういった時がきたら、真っ先にもう一度見たいなと思うのが、このブロークバック・マウンテンである。



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