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不思議と思議

「不思議というのは思議が足りないからだ。思議があれば、それは不思議とは言わない。」


というのは、実家が神社の友人が言っていた事だ。

【思議】
あれこれ思いはかること。考えをめぐらすこと。

goo国語辞書

【不思議】
普通では考えも想像もできないこと。説明のつかないこと。人間の認識・理解を越えていること。

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馴染みのない民間療法、最先端すぎる医療。
奇跡を願う状況だからこそ、周りに不思議なものが満ちてきて、気がついたら霧の中へ迷い込み、正に”不思議”の状態になりやすいのかも?しれない。

もちろんそれを一方的に悪いとは言わない。
自分が信じるものを心根から信じて、それが身体中を駆け巡り、血を沸かし、躰を動かす動力となれば。
それはたとえ、毎朝一杯のコーヒーでも良いと思う。本当に不思議とか奇跡はあるものだ。

ただ、現在の医療に逆らって不思議な力を発している物の中には、一部の状況や条件には通用しても、「完治する」というゴールへ対しての思議が不足しているために、万能とは言い難いものがあるのかも知れない。
もちろん発信側、受け手側の期待する効果や結果のギャップもあるだろう。

でももし、たとえそれが不思議であっても、”真”の『不思議』なら、いつだって間違いなく100%救われて、涙を流している人はそこには居ないはずだ。

不思議の部分がより限りなくゼロに近づいて、思議な状態に満ちている…というのが標準治療というのかもしれない。
むろん、今の主力な治療が何十年後かに否定されることは十分ありえるので、あくまで「現時点において」が前提の話であります。

…と、最近色々なニュースに触れ、思ったことを生意気にも書き綴ってみました。



不思議と思議について教えてくれた友人は、彼が会社を辞めた後に些細なことですれ違い、なんとなく疎遠になってしまった。
仕事帰り、まだ薄給で飲み屋に行けない時は、コンビニの前で星空の下、カップラーメンを啜りよく語り合った。


アイツ、元気に暮らしているかな。


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