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鬱で退職した職場の近くに、一年振りに行ってきた

(写真は全然関係ない旅館の鯉)

新卒で入った役所をうつ病で退職してから、もうすぐ一年が経つ。
当時は、お金の手続きとか、仕事の引き継ぎとかで精一杯で、最終出勤日を終えた後もしばらく、退職したという実感が湧かなかった。職場の荷物が詰まったままの段ボールは、二ヶ月近くリビングに放置され、埃をかぶっていた。

あれから季節はどんどん巡っていき、退職してから初めての夏が来た。たしか一年前のちょうど今頃、「あっもう、無理だ」と悟って、辞めることを決断したのだった。

今日は、本当はこんな場所に行くつもりじゃなかった。近所のブックオフに久々に行こうと思ったのだ。それが、閉店していた。何度も通った、青と黄色の看板があるお店は、白い鉄の壁に覆われて工事中だった。後任に何が建つのかは、看板を見ても分からなかった。いつ終わったのかも知らなかった、しばらく行ってなかったから。

不思議な虚しさを抱えたまま、ふと「前の職場の近く行ってみようか」と思った。
辛い経験が多いとはいえ、一応若い新卒時代の二年半を捧げた勤務地なので、懐かしいという気持ちが無いわけではない。近くのお店は変わってないか、一度見に行こうと思っていた。

ブックオフが閉店していたショック(ブックオフ・クライシス)のまま、のこのこ家にも帰れない。私は駅に向かい、一年前まで目をつぶっても乗れるぐらい何度も乗った通勤電車に乗り込んだ。準急の車内は空いていて、冷房が心地よくて少し寝た。

ほどなくして、職場の最寄駅に到着した。ホームの広告の顔ぶれは、変わっているような、変わっていないような。相変わらず歯医者の広告多いな。
エスカレーターが点検中だったので、階段を降りていく。この階段を、毎日憂鬱な気持ちで一歩一歩降りていったな。足首に、罪人がはめられる鉄の枷がついている感覚だった。

出口を抜け、さて、いつも通っていた通勤経路を歩いてみる。全然変わっていない。呑気に寝ている鳩、なんか怪しげな飲み屋街、タバコ臭い地下通路。
ここを通るのは一年振りのはずなのに、なぜかちっとも、「懐かしい」という気持ちにならなかった。というか、昨日も一昨日もここを通って出勤したような気すらした。今日ですら、時間休をとって午後から出勤している途中のように錯覚した。

そんなわけない、もう辞めたのだ。職員証を返却して、荷物をすべて段ボールに詰めて、私はこの職場を辞めたんだ。もう一年近く経つんだ。
なのに、私はまだあそこで働いていて、今日もこれからタイムカードを打刻して、自席に着くような気持ちになった。そんなわけない、警備員を呼ばれて捕まる。わかっているんだけど、そう思えて仕方なかったのだ。

ほぼ毎日使っていたファミマに入ってみた。陳列棚のレイアウトも、謎の香ばしい揚げ物のような香りも、変わっていない。客層が若干ガラが悪いのに、店員さんの対応が優しいことも、変わっていないじゃないか。私は乳酸菌ドリンクを買い、飲みながら日差しの強い中を歩いた。

自分でも不思議なくらい、懐かしいという気持ちがなかった。
かといって、当時のことを思い出して辛いとか、悲しいとか、そういうネガティブな気持ちもなかった。フラットな感情だった。
「これから出勤だっけ?」と一瞬本気で錯覚した。すぐに、「そんなわけない、もう辞めたんだよ」と理性で否定するのに、通い慣れた通勤経路の道を眺めていたら、心が一年前にタイムスリップしていくような気がした。

未練があるのだろうか?公務員という肩書きが、今でもまだ惜しいのだろうか?薬を飲まないと歩けないぐらいボロボロに打ちのめされ、吐き気と腹痛をこらえながら通ったのに、それでもまだ、公務員神話を頭の片隅で信じているのだろうか?分からない。ただ、一年前の退職は、私の中ではまだ完結していなかったのだろう。当時は忙しくて、これからのことを考えるのが精一杯で、ちゃんと自分の気持ちに向き合えていなかった。

公務員として働いていた時の私の魂は、まるで地縛霊みたいに、今でもあの場所にいるのかもしれない。同じ道を通り、同じファミマに通い、同じ動作でタイムカードを打刻する。
「もう終わったんだよ、帰ろう」と言って、迎え入れられる日は、来るのかな。
それもまた、分からない話だな。

不思議な気持ちになった、文月の蒸し暑い日だった。

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