見出し画像

信じられない人々~愛と信念とは~

最初に断っておこう。本記事は、人に対して信じられないと非難するものではない。
「信じるとは」ということを論じたものである。

「誰しも、打算なしでは人を愛することができない」

一度は、人生の中で言われた言葉ではないでしょうか?

ここでいう打算とは、
・恋愛関係にある人
・友人関係
・会社、取引先の人

どの関係においても、発生するものとされている。

要は、自分にとってメリットがあるからその人と一緒にいる、ということだ。

しかし、そう主張する人々の中にも、例外とされる関係性があるらしい。

それは…………

親子関係だ。

パートナーとなる夫や妻は、所詮は赤の他人。
その一方で、子供は自分の血を分けた子供だから、赤の他人ではない。

そのように話す人は、多い。

親子関係は何よりも、特別なものだと。
誰もが信じている。


……………だが。

本当に、そうだろうか??

親子関係だけが、突出して特別なものだろうか??
と、私は疑問を抱く。

なぜならば、
血がつながっていても、子供を虐待した、などのニュースや噂話はよく聞く。親と絶縁する一方で、赤の他人なはずの夫、妻と厚い絆を結んでいる人、信頼している人がいる。

となると、血を分けているからといって、必ず特別なものとみなすには、早計と言わざるを得ない。

「愛する」こととは、何か?

今でも売れ続けている本で、エーリッヒ・フロムの「愛するということ」の中では、愛する技術について語られている。
母性的な愛、神への信仰の愛、性的な結びつきの愛。

それらについて説明をしながら、最後には「愛することは、技術だ」と締めくくっている。

この本を読んで、愛することについて深く理解するよりも、愛することは、ただ精神論だけで論じることができないほどの行為なのだと思ったのだ。

それまでは、最初の冒頭で取り上げたような、
・愛されているから、愛する
という、打算的な愛だったのだと考えた。

また、お金で得ようとする愛も、打算的なものだろう。それが、生活で一番大切なものだとしても。

また、今言及した本の中では、性欲で結びついている愛も、本当の愛ではないとされている。
これは、性欲だけで付き合っている男女が多くいることからも、想像できる。恋愛指南でさえも、性欲からのアプローチを是とするアドバイスも含まれているのだ。これが、恋愛経験豊富な人からだと、特にその傾向が顕著なように思われる。

フロムの言う通り、私たちは、打算的に人を愛してしまっているのだな…と少しでも、愛とは何だろうと考え直すべきなのかもしれない。

また、「愛することは技術だ」という考えは、私の中にも多大な影響を及ぼした。

そもそも、愛することとは、何だ??

結婚を条件で見ること。愛されないと愛することができない様は、フロムのいうところの、「愛することを怖がっている人たち」に分類される。

確かに、生きていくために収入は必要だし、お金がなくても幸せというのは理想論だ。しかし、その理想論を地でいく人たちも、また、存在しているのは確かなのだ。

理想を追い求める、きれいごとを言うことが悪なのだとしたら、
どうして哲学や学問というものが存在するのだろう?
それらは、現実と乖離しているものであり、実生活に根差していない空論であることも、多いのだ。

みんな、内心では。
きれいごとは好きだし、物語ではハッピーエンドで終わらないと、後味が悪くなってしまう。そう、みんなきれいなことが、好きなのだ。

となると、愛することとは、その人の育った環境でも、お金の大小でも、性的に魅力が高いことでもない。

フロムは、これといった愛する技術はないけれども、真に愛することができるのは人間的に成熟した人物だと言う。
上に述べたような、お金の有無だとか、異性に人気があるだとか。そんなものは、自己中心的な願いでしかないのだ。

愛することは、能動的にその人を「自分は、愛する」ということであり、信念がなければならない。また、それはその人の性格特性から生じるものであり、真に愛することは特定の人だけに限定されるものではないのだと言う。

愛を例に出したが、これと同じように、人は、何かを信じることができる人は少ない。実際には信じることができていると思っていても、それは既存のルールや社会に従っているだけだったりする。あえて、そのレールを外れることが、どれだけ勇気がいる行動なのか。想像できる。

信じることができない人が、増えてしまった世の中で

信じることができないとは、その人を信じられないと言っているのではない。「信じる」という行為をすることができない人が、今の世の中では溢れてしまったように思う。信じるということは、ハードルがすっかり高くなってしまったのだ。

戦前の軍拡主義や、戦後の経済成長こそが豊かになれると信じられた時代とは、今は違うものになってしまった。

バブル崩壊、経済低迷、増えない収入。老後の生活。
不安なことが浮き彫りになってしまっている時代だと言わざるを得ない。
直近では、コロナショックやウクライナ侵攻、北朝鮮のミサイル問題など、不安になってしまう要素が多すぎるのだ。

信じるとは、自分で見出すしかない行為だ。
この言葉自体がひとり歩きをして、「信じて!」というキャッチコピーも増え、無条件に信じることができなくなってしまった。
信じることとは、自分で取捨選択するのと同義なのである。

信じることは他人から強制されるものではなく、自分で選ぶことができるもの。そこには、これが正しいというものがないのだ。
自分の感覚で選ぶからこそ、信念になる。

あなたが心の底から信じられることは、なんですか??


参考書籍





サポートありがとうございます! いただきましたものは全て、読者様へ紹介する書籍へ使わせていただきます! これからも、読んでいただけますと嬉しいです。