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介護をしている全ての人へ#94 ~ 副作用

 6回目のがん剤治療2日目、体に現れる副作用の前に、心に現れる副作用が母と自分に出ていた。

2019年4月4日(木) 母の日記

 午前10時にがんセンター婦人科外来へ
 今日は長男と、夫が同行。昨日は、こうちゃんがいたから会話も弾んだけど今日はお通夜のよう。夫は家を出る前から、「病院に同行してやる」「待っている間は退屈だけど、義務だから」と色々恩着せがましい。
 誰も付いてきてほしいなんて言っていないし、ついて来たら足手まとい。それでも長男はだまって我慢してくれている。
 待合スペースで40分ほど待ってジーラスタ投与をうけた。
 抗がん剤は、脱毛、吐き気、倦怠感などの副作用。これはこれでとても辛いけどウイックもあるし、薬で抗がん剤の副作用は抑えられる。
 ジーラスタの副作用は体中の骨をハンマーでたたかれたような痛み。痛み止めも効かない。これが恐ろしくて気分が沈んでしまう。
 長男が家にいていろいろ面倒をみてくれるから頑張れる……でも、誰のために頑張るのかわからなくなる。息子たちのことを考えたら、治療をやめて私たち夫婦はさっさと消えてしまうのが一番いい、辛い治療からも解放される。必死で守ってきた今の家を追い出される前に旅立つことができるかもしれない。いいことばかりのような気がする。
 でも、もう少しいい思い出を作ってから安らかに逝きたいと思っている自分もいる。
 こんなことで悩んでいることは息子たちには言えない。夫に行っても理解してもらえない。苦しい。
 

2019年4月4日(木) 私の日記

 今日は昨日に引き続いて母の病院、今日は会社から連絡が来る可能性が高いのであらかじめ介護休暇の申請をしておいた。
 8:30に出発、父がしきりに通院同行の難儀さと重要性を喧伝している。母はすごく嫌そう。無関心よりもマシな気がして黙っていたが、しつこいので「うるさい、そんなにいやなら碁でも打っててくれ」と一括すると黙り込んだ。おかげで車内での会話は全くなくなって、気まずい時間になってしまった。
 母は、免疫機能を刺激するジーラスタがとにかく嫌らしい、できることなら止めたいし、膵がんを患っている父にも同じ思いをしてほしくないと言っている。
 祖母、父、母が「がん」ということは、自分は完全に「がん家系」、きっとがんを患って死んでいく……嫌な想像ばかりが頭をよぎる。
 山崎章郎著『病院で死ぬということ』には、治療さえしなければ、がん患者は枯れるように静かに死ぬことができると書いてあった。治療はしないで、海か山の景色がきれいなところで、眠るように死んでいきたいとも思う。でも、いろんな業を背負って最後に受ける罰が「がん」ならば、治療をうけて苦しみながら生きながらえるほうが良いのだろうか?
 夕方Mちゃんから、筍のちらし寿司の差し入れあり、ありがたい。
 今週末あたりから、母のケアが始まる、美味しい氷やお気に入りのコンソメスープ、イチゴ牛乳なんかを買っておくことにしよう。
 

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