トラウマ治療:ソマティック・エクスペリエンシング(SE)体験⑥ ディスチャージ、ペンデュレーション…

SE(ソマティック・エクスペリエンシング)のセラピーで、足の震えが続いていると話したら、先生から「足からディスチャージ(トラウマのエネルギーが体の外に出ていく)が起こっているが、それが体全体に統合されていない。トラウマというのは、もともと身体の一部分に負担がかかっていて、統合されていないから仕方がないのだけど、統合された方がよい」と言われました。

先生から「身体の中で、大丈夫な部分はどこですか?」と聞かれたので、私は「お腹」と思ったので、そう言うと、「お腹に意識を向けるようにして、震えている足には、意識を1-2割向ける感じで」と言われて、そのようにしたら、足の震えは自然に止まりました。

それとほとんど同時に、今度は、両足の裏が、熱くなる感じがあったので、セラピストに伝えると、それは多分、足裏からディスチャージが起こっているのでしょう、と言われました。

トラウマのエネルギーが解放されるサインとして、震え、しびれ、じんじんする感覚、熱、涙、あくび、くしゃみ、咳などがありますが、私は「熱」というのも、日常生活で何度も経験しました。特に多かったのは、朝目が覚めた時で、その時みていた夢に関連した感情を感じながら、顔のあたりが、カーッと熱くなる、ということが何度もありました。そういう時は、ただそれを観察して、その熱さが過ぎ去るまで待つようにしました。

セラピストからはよく「凪(なぎ)のような状態になるまで待つように」と言われました。自分の体が「安心・安全な状態」になるまで待つ、その状態まで変化することをしっかり見届ける、体験する、ということが大切で、それを繰り返し体験していくことによって、少しずつ自分の感じられる「安心・安全な状態(耐性領域)」が広がっていきます。

足裏の熱さをしばらく観察していると、それが微妙に変化していったのですが、(細かい話になりますが)足裏の土ふまずのところと、土ふまず以外のところを、熱さが行ったりきたり、また、土ふまずの所がスース―する感覚があったり、ということが起こりました。セラピストによると、それは「ペンデュレーション」というそうです。ペンデュレーションというのは、振り子がゆらゆらと左右に揺れることですが、SEでは、振り子のように行ったり来たりして、トラウマのエネルギーに「再交渉」します。ゆっくりゆらゆらと行うようにして、一気にガーっと行かないようにする、というイメージです。

トラウマが、凍りついた状態、または固まった状態であるのに対して、ペンデュレーションは、収縮と拡張という生得的な生命体リズムである。言い換えれば、いかに恐ろしく感じていたとしても、その感覚は変化しうるし変化するであろうことをおそらく初めて知ること(内から感じること)によって、固まりが解けていくことだ。

ペンデュレーションは、困難な感覚や感情を切り抜けるために、すべての生物に備わっているものである。そのうえ、ペンデュレーションは努力を要さず、完全に生得的である。(略)クライアントがこのリズムを知り、体験することは不可欠である。この安定した潮の満ち引きのようなリズムは、いかにひどい気分であっても、拡張が必ず後に続き、開放、安堵、流れの感覚がもたらされることを告げる。

ピーター・A・ラヴィーン『身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア』(p.97, 99-100)

トラウマを持つ人の過敏さに対処する方法として、ピーターは「ペンデュレーション」という概念を用いている。少しだけ内部の感覚に触れ、それを感じても生きていられると気づき、そしてまた意識的に安全な場所へ戻ってくることを学習するのである。このやり方は、解除反応や、私がよく使う表現だが、「トラウマを吐き出す」こととは異なる。「フェルトセンス」への慎重なアクセスのやり方を学ぶことによって、奥深くつねに鳴りやまない危険信号に気づきつつ、巧みに生き抜くすべを身につけていくのだ。戦慄と無力感に付随する感覚を感じても大丈夫だと思えるようになるには、まず内なる強さと健全な攻撃性に触れなければならない。

ベッセル・ヴァン・デア・コークによる序文、P.A.ラヴィーン『トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復』

トラウマ治療でも曝露療法という方法は、一気にトラウマを再体験するものですが、ソマティック・エクスペリエンシング(SE)は、その方法とは異なり、もっと穏やかに、少しずつ、トラウマ体験と向き合う、といっても、トラウマ体験そのものを思い出していくわけではなくて、トラウマ体験によって体に残っているエネルギーと少しずつ対峙する、再交渉する、という感じです。

私たちがスローダウンして自分のトラウマ・パターンにともなう感情と感覚のすべての要素を体験し、先へ進む前にそれらを自然に完了させてやれば、私たちはそれまでトラウマを再現せずにはいられない気持ちにさせられていた衝動や動機にたどり着き、次第にそれらを変容させることができます。フェルトセンスを通じてたどりついた意識的な気づきは、動物が行動を通じてたどり着くのと同様に有効な、無理のないエネルギーの放出をもたらします。これが再交渉です。

ピーター リヴァイン『心と身体をつなぐトラウマ・セラピー』(p.212)

このような本の解説は少し分かりにくいかもしれませんが、実際のセラピーでやっていることは、自分の体の感覚、小さな感覚(フェルトセンス)をじっくりと味わうこと、そしてその変化を見届けることです。感じられる感覚をセラピストに報告すると、「いいですね~」などの声かけがあって、セラピーでは、自分で自分の体をみつめる、自分の体の感覚を大切に感じる時間をたくさん持つ、という感じです。(セラピストによって加減があると思いますが、セラピーを受ける側の印象としてはそんな感じです)

SE(ソマティックエクスペリエンス)のセラピーは、話さなくてもできるセラピーですが、私の場合、トラウマ体験の話はしました。セラピストによって、話す量の多い少ないはあって、話し続けていると止められることもありました。トラウマの出来事の詳細に深入りすることよりも、その時に話しながら自分が感じている感覚、体の状態について、「今、体で何を感じていますか? どこでどのような感じがしますか?」ということを度々聞かれて、話の内容よりも体の状態に注意を向けるように促されます。そして、体がつらい状態になっている時には、「今、体で大丈夫な所、マシな感じのする場所はどこですか?」とよく聞かれました。深呼吸を促されることもありました。

あるセラピストは、「体が大丈夫であれば、いいんです」という言い方をしていました。どんなに悲惨な体験が語られていても、体が大丈夫であれば大丈夫なのだという、セラピストはそこを見ているのだと思いました。

トラウマを再体験する曝露療法は、一昔前には、有効な治療法とされていたそうですが(実際に効果のあった事例もあった)、それによってかえって悪化する事例もあって(私自身もそうでした)、SEの開発者であるピーター・リヴァインは、曝露療法を批判しています。

持続エクスポージャー療法を含めたカタルシスを用いるトラウマ療法に決定的に欠けている視点がある。トラウマの記憶についての正しい理解である。一つの記憶を何回も再体験させれば、トラウマの記憶を切除できるというのは幻想である。(略)
こうしたカタルシス療法は、確かに一部の人には効果はあるのだろうが、それによって悪くなってしまう人もいる

(SE/ソマティックエクスペリエンスは)暴露療法などのカタルシス的な療法に比べ、ゆっくりとタイトレーションされたプロセスを経ることで、再トラウマ化の危険を軽減し、安全を確保できる。

P.A.ラヴィーン『トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復』(p.164-165)

再交渉という概念は、カタルシス的な「トラウマ的再体験」などのトラウマ・セラピーによくある形態とは完全に異なるものだ。最近の研究では、このようなトラウマ・セラピーは、多くの場合、ほとんど有効でないだけでなく、再トラウマ化被害を引き起こすと言われている。

ピーター・A・ラヴィーン『身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア』(p.219)

持続エクスポージャー療法は、ジョセフ・ウォルピの単一対象物の恐怖症を治療する方法ともとにしている。しかし、持続エクスポージャー療法では、単一対象物の恐怖症の治療に効果があるというエビデンスが示されたものを、PTSDおよびその他のさまざまなトラウマという、はるかに複雑でまったく別の様相を呈しているものに応用しようとしている。(略)
元々単一対象物の恐怖症治療のために開発された療法を、はるかに複雑なトラウマ治療に転用してはばからないというのは、思慮に欠けると言わざるを得ない。

P.A.ラヴィーン『トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復』(p.166)

ゆっくり進み、体験が一つひとつ展開するのに任せれば、私たちは未消化のトラウマ体験を、耐えられるだけのペースで消化することができます。

ピーター リヴァイン『心と身体をつなぐトラウマ・セラピー』(p.213)


SE(ソマティック・エクスペリエンス)を開発したピーター・リヴァインは、精神分析療法や認知行動療法についても、トラウマ治療として限界があるという意見を述べています。

現代の心理療法は、フロイトとその弟子たちの精神分析的アプローチか、認知行動療法的アプローチが主流となっている。しかし、人間の苦痛を緩和するこれらの手段は、トラウマとその潜在的な記憶の刷り込みへの対処に関しては限界を持つ。これら従来の治療法は両方とも、トラウマに関連する一部の機能不全には確かに対処しているが、原因の根本には到達していない。従来の治療法は、トラウマによって衝撃を受けた重要な身体および脳のメカニズムに十分に対処していない。そのため、癒しを希求するもっとも基本的な欲求は満たされないままになっている。

P.A.ラヴィーン『トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復』(p.5)

SE(ソマティック・エクスペリエンシング)の原則は、「ゆっくり進むことが、一番の近道」です。一日一日少しでも、自分の体の感覚を大事に味わいながら、過去のつらい記憶を少~しずつ、思い返しては引き返し、という感じでやっていけたらと思います。セラピストからは、小さなトラウマ体験から取り組むのが良いと言われました。そして、あ、つらいなと思ったらすぐに「自分の体で大丈夫な場所はどこだろう? それを感じてみよう」と思うこと。自分にとってのリソース(安心・安全を感じられること、もの)を思い浮かべること、安心できるものに手を触れることも良いです。セラピーでは、よく「このクッションを持ちますか? この毛布はどうですか?」等と勧められました。

トラウマ体験の根の深さや、本人の資質によって、効果のある治療法も異なると思います。ただ、自分にとって、余計に悪化することや、効果がないことに長い時間かけて行っていても、一向に楽にならなかった、という私自身の苦い経験から、私と同じような方々に向けて、このような方法があるとお伝えしたくて書いています。セラピーへ行く機会のない人でも、少しでも同じような体験ができたらと思って、今苦しんでいるどなたかの役に立てたらと思っています。一日でも早く、少しでも、トラウマの苦しさから私も解放されたいし、皆さんにもそうあって欲しい。少しずつ、ゆっくりと、確実に。