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理想の世界で生きるには

GW最後、いかがお過ごしでしょうか?私は朝から熱っぽく、明日から仕事だぜ…とため息ついておりました。まぁ、仕事も始まってしまえばなんてことありませんが。


今年のGWも子供達とがっつり一緒に過ごしておりました。一緒に絵を描いたり、アマプラ見たり、本屋さんでまったり本を選んだり、散歩したり、遠出はせず、のんびりゆったりな休日。


そんな連休中、賑わっている駅ビル前を通った時にふとこんなことを思いました。


「みんなが優しい気持ちで生きれたら、きっと世界って優しくなるんだろうな」


いや、別にみんなが善人でマリア様のように慈悲深くとかじゃなくて、なんというかみんなが自分をちゃんと生きれば、変ないざこざとか偏見とか無くなって丸く納まるんじゃないかなって。


というのも、GWのような連休中に子供を連れていると、周りに気を使うことってすごく多くなります。
ちょろちょろと走り回って通行を妨げてしまったり、騒いで怪訝な顔をされたりなんて日常です。


保護者たちは自分の子供の言動に目を光らせているので(笑)、そうしてもピリピリしちゃう。そりゃそうです、親だって人間。休みたいのよ、本当はね。


だから、イラついたり、曇ったオーラを醸し出すこともある。すると、チョロ松くん(ちゃん)の保護者たちはそのことに気付き、さらに気を使ってソワソワ、申し訳なくなり、静かにしなさい!とピリつくという悪循環(笑)


周りに迷惑をかけてはいけないという観念が根強い日本では、子供が賑やかでいることも「迷惑」と捉えてしまう。それは私も例外ではない。ちなみにうちのチョロ松たちは超がつくほど社交的で、隣にいる席の人にも話かけてしまうのです…。


でもね、そこで思ったんですよ。自分の育児観や生活に「他人」という存在を思い切り介入させているから、苛立ちや気まずさ、申し訳ないと言った思いを持って育児をしなければならないのではないかなと。


他者を気遣った言動は決して悪いことではない。むしろみんなが気持ちよく過ごすためには規律や節度は必要だと思う。でもね、そこで一番自分が目を配るべき自分自身や家族を差し置いて、他人を優先した言動や考え方を良しとしてしまうのはいかがなものかと思う。


じゃあどうすれば自分も他人も心地よく生きる理想的な世界になるのか。
それってやっぱり「自分を生きる」ことではないかなと。


他人を主語にせず、「I am」で生きる。
初めの方の投稿でも書きましたが、自分が自分を生きて良しとすることは、他人がその人自身を生きることを良しとして受け入れることとイコールになる。みんな違ってみんな良いってまさにこのこと。


みんなが正解な社会になると、自然と優しくなることはなんとなく想像がつきませんか?私大変、あ、あなたもそうよね。じゃあ、お互い大目に見ながら折り合いつけましょ?的な。(語彙力w)
こういうと、じゃあ犯罪も大目に見ろってこと?と言い出す人もいますが、それは違う。そもそも「犯罪」って時点で誰かが傷ついてるんだからさ。


たくさんのSNSやソーシャルメディアで、理想の自分なるには、理想的な世界で生きるにはという投稿や配信を目にするけれど、一番簡単かつ早く実現させる方法はこれだと思う。


実際にはすごく難しい、でもこれが一番簡単で早い。難しいことはわかる。でも、それが当たり前の社会になったら、もっとみんなが生きやすい世界になるのではないかなと思っています。


なんだか説教くさいような、取り留めのない内容になってしまいましたが、今日はこんな感じで。

明日からお仕事、学校という方も多いかと思います。
頑張らず、肩の力を抜いて、「I am」の意識で日々を過ごせたら良いなと思っています♡









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