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おばあちゃんが語る愛

(メインブログ「神様達と共に」で2014年1月12日に公開された「おばあちゃんが語る愛」の内容を、一部修正&加筆して再アップしております。)


今日はちょっと趣向を変えまして・・・神様ではなく、いわゆるご先祖様とお話ししてみよ―かなぁって思います(^^)

ご先祖様と言っても、僕が子供の頃に亡くなった父方のおばあさんなのですけどね。

おばあさんが亡くなった当時・・・僕は幼い子供でしたが、父は祖父と仲が悪かったこともあって、結局僕は生前会うことはありませんでした。

でも、実家にはお写真が飾られているので、お顔は知っていたのですね(^^)


7年ほど前に・・・やけにリアルな夢を見たことがありまして、その時にあの世でいろいろな人の相談に乗る仕事をしているおばあさんに会ったことがありました。

その時に拝見したお顔は今でもクッキリと覚えています。

実家のお写真と違って、聡明で、活発そうな方だなぁという印象でした。

その時に、笑顔で僕にいろいろとアドバイスをくれたんですよね(^^)

残念ながら大部分を忘れちゃいましたが・・・(^▽^;)


でも・・・今も毎日寝る前に手を合わせてご挨拶していますが、時々おばあさんの方から話しかけてくれて、いろいろとアドバイスをくれることがあるのです(^^)

神様達は大きな愛と癒しのエネルギーを届けてくれるのが特徴ですが、おばあさまや他のご先祖様たちは、どちらかというとハッキリとした言葉を届けようとしてくれるのが特徴だなぁと思っています。

さて、ではせっかくですので今日はおばあさんと話してみようかなぁ~(^^)

おばあさ~ん(´∀`)


おばあさん「やあ・・・元気にやってるかね。

あなたのことをずっと見ているよ。

あなたはバカみたいに正直に生きて・・・バカみたいに真っすぐに生きようとしてきたね。

昔・・・嘘をついたり・・・頑固な考えを持った時期もあったから・・・それに対する贖罪なのかねと見ていたけど・・・今は一本筋が通ってきて安心しているよ。

あなたはね・・・いろいろなことを頑張ってきた。

だけど・・・私がこの間言った様にね・・・人は愛し合いたいものなのだよ。

その気持ちに気付いてほしいと言ったね。

思い出してくれたかな?」


ああ~・・・そうですね(´Д`)

そう言ってくれましたね。

僕も気付きませんでしたが、知らず知らず『愛し合いたい』という願望にフタをしていたんだなぁってわかりました・・・。

そして、ずーっとずーっと子供の頃の気持ちを思い出しましたよ。

小さい子供の頃って、人と人が愛し合うことが当たり前なんですよね。

もー感覚的に、全身で愛し合うことが当たり前なんですよ(*´∀`*)

ここでの愛って、男女の愛とかじゃなくて、なんと言いますか信頼というか、許し合うというか、心の触れ合いみたいな雰囲気のことです。

そういう感覚を持って、お互いに心と心を重ね合うことが、子供の世界の中では当たり前なんですよ(^^)

でも、だんだんと両親とそれが「できないなー」って感じることが多くなってきて・・・だんだん微妙に寂しくなってきたのを思い出しました(TωT)

なので、その記憶をもう一度あたたかく見つめ直して・・・『愛し合うことができるよ(^^)』って思うようにしてみたら、過去の寂しさや、恐れなどの魂のフタが癒されていくように感じました。

もちろん、完全ではないと思いますし、僕も人様に会うと、まだ無意識でどこか閉じちゃう部分を感じる所があります・・・| 壁 |д・)

でも、おばあさんの話を聞いて・・・『愛し合いたい』という願望に素直に気付くこと・・・そして大人になった今だからこそ、もう一度『愛し合えるよ』と信じて、少しずつでも見つめ直し癒していく時期なのかなぁと思いました。

おばあさん、あの時は熱心にアドバイスをくれて本当にありがとう(^^)

おかげ様で、また一歩心が癒された様に思います。


おばあさん「いやね・・・あなた無理をしている時があるでしょう。

『愛し合いたい』という願望に気付かないまま・・・人に愛を注いでも・・・あなたが苦しくなるだけだと思ってね。

いいんだよ・・・そういう願望を持っていると・・・何か恥ずかしく思う人もいるのだろうけどね。

特に・・・男性はそうかもね。

でも・・・いいんだよ。

人と人は・・・本来愛し合うべきもの・・・それが自然なことなんだよ。

これは・・・あなたの言うとおり・・・何も抱き合ってキスすることを言ってるんじゃないよ。

愛し合うっていうことは・・・当たり前の様に・・・心を許し合うことなんだよ。

お互いに・・・心を許しあえた時に・・・人っていうのは『幸せだなぁ』と感じるものなんだよ。

わかるかい・・・。

この文章を呼んでいる人は・・・わかる人もいるだろうね。

頑固になることはない・・・。

人は皆・・・愛を求めているのよ。

それを素直に認めた時に・・・心を開くことができる・・・。

助け合い・・・支え合いが・・・とってもありがたく思えるようになる・・・。

そして・・・争う気持ちを手放していけるのよね。

あなたには・・・その道を歩んでほしくてね。

人と人が・・・もっと心を重ね合える世界であってほしいの。

それが私の願いよ。

もちろん・・・無理をすることはないけどね。

今の世の中で・・・心を全部開きなさいっていう方が無理だからね。

あなたそのことをよく知っていて・・・マイペースで進んでいるからいいけどね。

読者さんの中には・・・愛って言葉に敏感で・・・そうしなくちゃって思う人もいるでしょうから・・・一応伝えておくわ。

いいかしら・・・。

愛っていうのは・・・そうしなくちゃってものじゃないの。

自然に溢れてくるのが・・・ちょうどいいのよ。

あなたがいろいろ苦労してて・・・他者への愛を開けない時があってもいいのよ。

他者を思いやることが出来ない時は・・・自分を思いやる時。

そんな風に覚えててほしいの。

自分をいっぱい思いやって・・・ねぎらって・・・頑張ったって言ってあげて・・・心をあたたかく満たしてあげたらね・・・そしたら今度は・・・自然と人に愛を開こうって思えるようになるのだからね。

愛ってのは相手に届けようとした時に・・・いろいろなが形あるわね。

例えば・・・面白いことを言ってみようとか・・・自分が得意な絵をプレゼントしようとか・・・自分の気持ちを手紙やメールで届けてみようとか・・・どうしたら相手が幸せになれるか・・・一生懸命考えてみたりとかね。

あなたの得意な形でいいの。

大事なのは形でも結果でもなくて・・・あなたがそういう形に移そうと頑張ったことなのよ。

そう・・・その頑張ったこと自体が・・・すでに愛なの。

わかるかしら・・・。

これは大切なことよ。

相手が喜ばなくても・・・結果が出なくても・・・失敗してもいいの。

大切なのは・・・愛を届けようと実践すること。

マイペースでいいから。

その実践自体が・・・その人なりの愛。

私達は・・・ちゃんっとそれを見ていて・・・頑張ったあなたを評価しているの。

そのことを理解することが・・・とってもとっても大切なの。

他人の結果や評価・・・上手な形と比べて落ち込むことはない。

だって・・・・あなたは頑張ったのだから。

あなたなりの精一杯が・・・最高の愛なのよ。

いい・・・。

それを・・・たとえ誰が評価してくれなくとも・・・自分が『できるだけのことをした』と思えたなら・・・ちゃんと自分を評価してあげましょう。

そして・・・また次に気持ちが湧いてきたら・・・また届けようと頑張ってみるの。

そうしたら・・・一歩ずつ届けるのが上手になるでしょう。

究極ね・・・人生とはその繰り返しよ。

思考錯誤しながら・・・だんだん人に愛を届けるのが上手になっていくの。

あらゆる作品・・・あらゆる表現・・・あらゆる行為の中に・・・そういう善意がどこかに宿っているものなのね。

たとえ・・・悪意に満ちた表現に見えても・・・しっかり受け止める心と・・・しっかりと真実を見る目があれば・・・その奥にある愛が見えてくるもの。

愛のないものは存在しないものなのよ。

だから・・・あなたもあまり頑張りすぎないでね。

あなたという存在がすでに愛で・・・湧いてくる気持ちのままに生きていけばいいの。

ありがとうね。

こんなことをたくさんの人に伝えら得て・・・ちょっと照れくさいけどね。

でも・・・嬉しいわ。

また・・・話せることがあるかもしれないから・・・その時はよろしくね。」

おお~、おばあさんありがとうございました!(TωT)

いやぁ、おばあさんらしい深い知恵と優しさに満ちた言葉でした・・・(ノ_-。)

ぜひぜひ、またこのブログに登場して下さいねm(_ _)m


・・・それにしても、『愛』ってゆー言葉は誤解されやすいですが、おばあさんなりに上手に解きほぐして伝えてくれたなぁって思います。

聞いててジーンときました・・・(*´ω`*)


おばあさんは、神様達みたいに高次元に住んでいるわけではないので・・・すっごく大きな癒しや愛のエネルギーを届けられるわけではありませんが、それでも優しくハッキリとした口調で、心に染みる様な人としての生きる道を説いてくれますから・・・改めてありがた~い存在だなぁと感じました(*´Д`*)


これからも、また何かあれば出てきてもらいますね(^^)

ご覧くださりまして、ありがとうございました。


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