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自分が登る山は何か? ウォール街証券マンが世界一周旅からサラダで起業

昼下がりのパブで、楽しそうにビールを飲む人たちで華やぐ、ロンドン。美しい街並みになじまない熱が、私の内側でほとばしっていました。

高ぶる気持ちのまま、日本にいる弟の携帯を鳴らします。私は200日間の世界一周旅行中で、8時間先にいる弟は、まだ起きていました。

「謙太、サラダにするよ。サラダでいこう!」

私たち兄弟の挑戦する未来が、決まった瞬間でした。

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米国の大手投資銀行の内定つかんだ! はずが……

登りたい山を決める。これで人生の半分が決まる。

孫正義さんのこの言葉が、私は好きです。大学院在学中に、将来は起業して、自分で事業がしたい。そう、おぼろげに思いました。では、何がしたいのか? 何も思い浮かびません。そう簡単に、自分にとっての山を見つけることはできません。

だから、就職活動をしました。どのような事業をするにしても、お金の知識は必要だろう。そう考え、金融業界を目指しました。

ストレスフルな就活と厳しい選考を経て、外資系投資銀行から内定をもらうことができました。働いて学びながら、起業資金も貯められる。起業を志す私にとっては、最高の環境です。

内定が決まった2008年2月、1年後に金融業界で働き始めることを思い浮かべながら、私は期待を膨らませていました。登るべき山に向かう、そのための順調な一歩にワクワクしながら、残りの大学院生活を全力で楽しんでいました。

まさかの、事件が起こるまでは……。私が内定した企業は、リーマン・ブラザーズでした。

リーマン・ショックを、一人暮らしの部屋で受ける

内定から7ヵ月後の9月、リーマン・ブラザーズは経営破たんしました。

リーマン破綻(Oli Scarff_Getty Images)

ご存知の通り、負債総額約6000億ドル(約64兆円)という歴史的破たんで、そこから世界経済が大混乱し金融危機となった「リーマン・ショック」の始まりです。

第一報を聞いたときは、ほんとうに、目の前も頭も真っ白になりました。現実を受け止めきれず、倒れるように寝たのを憶えています。その事実を知ったのが、NHKニュースだったのも切なかった。大学の一人暮らしのワンルームで、私のリーマン・ショックは起きました。

登りたい山への一歩どころか、登る前に派手に転んでしまったのです。修士論文を書きながら、再び就活をせざるを得なくなりました。

リーマン破たんの影響で、目指していた外資系企業も金融業界も軒並み採用を縮小し始め、思うようにいきません。68キロあった体重は、50キロ台まで落ちました。就職浪人も覚悟しました。

そんな矢先、リーマン・ブラザーズのアジアパシフィック部門を野村證券が買収することが決まります。内定者も引き取ってもらえることになり、やっと就職先が決まりました。

ニューヨーク勤務で体感した“習慣化するサラダ”

30歳で、金融業界を卒業する。その期限だけは決めて、働き始めました。日本株のトレーダーとして3年半東京で勤務し、その後ニューヨーク支社で1年半働いたのは、得難い経験でした。

2012年~2013年まで暮らしたニューヨークで、「サラダボウル」に初めて出会います。10人のチームで働いていたところ、そのうちの4人~5人が代わる代わる、ランチにサラダを食べていました。肉や穀物がたくさん入った、主菜として食べる「サラダボウル」。

アメリカでのサラダボウル

サラダがメインになる食事は当時の日本にはなく、とても驚きました。ステーキなど胃に重い食事をした翌日は通うようになり、私も、週に1回、2回と、サラダボウルを買うようになりました。

そんなサラダ生活は、帰国するまで続いたんです。この3年後にサラダで起業するとは、頭にありませんでした。ただ、興味を引いたのは、サラダは習慣化することでした。通い続けるお店を考えたとき、ラーメンを週1で食べる人でも、その多くがお店を変えたり、別の味にします。でも、サラダは違います。

コーヒーを好む人は毎朝飲むように、「週2-3回食べる」のが当たり前になる。それも、同じお店で買います。とても新鮮で、大きな発見でした。

「2年後に何か始める」期限だけ決めて無職生活

何の事業をするか。30歳で退職したときは、まったく決めていませんでした。ただ、「2年後に始める」と期限だけは決め、無職生活をスタートしました。

自分が登りたい・登るべき山は、何なのか? 自分のエネルギーを、何に使いたいのか? 一生かけてやりたい仕事は何なのか? 真剣に考えました。

前半の1年は、金融業界にいた利点から、IT技術と組み合わせたFinTechはできそうだし、昔から教育事業にも興味がある。消費者や生活者にダイレクトに届けられる、BtoC事業も面白そうーー。

事業をいくつか手伝うこともしました。やりながら自分の能力や価値を考えたとき、ITはヨーロッパの人やアメリカ人には叶わない。私がしなくてもいいだろう。そう思ったんです。

これからの日本の強みを活かして、勝負がしたい。トレーダーとして、日本のマーケットや産業を見てきました。これまで日本の成長を支えてきた電機産業が厳しく、自動車業界もそうなるだろう。

自分たちのどこを活かすと、面白いんだろう?

そんな問いから浮かんできたのが、「食と観光」でした。一方で、共同創業を考えていた弟とお互いの強みを生かし、補い合えるものはなんだろう? それも考えていました。食べることが大好きな弟は、大学在学中に飲食店経営をして食品メーカーに勤めていました。弟のバックグラウンドに、すでに食がありました。

食が、いい。食で、いける。

これまで私がやってきたこと、考えてきたこと、未来へのイメージ。いろんなピースが、カチリと音を立てたのが聞こえました。自分が挑む高い山の形が、ぼんやりと見えたようでした。

食材のむこうにいる人と、つながれていない

食をするにも、世界で日本食事業を展開するか、日本で海外食をローカライズした事業をするか。決めかねていました。

食をテーマに、200日かけて海外30ヵ国を旅しました。世界の食に触れて、体感しないとわからないと思ったんです。

アメリカ ファーマーズマーケット

ビジネスを始めると決めた2年後まで、残り1年のころです。ニューヨークで働いていたときも、世界旅行中も、日本はどんなポジションにあるんだろう? いつも頭にありました。世界の食と出会いながら日本食と比較すると、良い部分も足りない部分も見えました。

良いところは、肉・魚・野菜と食材が豊富にあること。料理のアレンジ力もずば抜けて高く、おいしくて、コスパがいいこと。四方を海に囲まれ、山があり川があり四季がある日本には、圧倒的な地理の利があります。細長い地形から、年中に渡って季節の食べものが各地で食べられます。日本の食文化の豊かさは、世界の中でも稀有です。

対して、生産者から直接買うというファーマーズマーケット(直売所)のような場所が、日本には少ない。スーパーの買い物では、生産者の顔は見えません。食材のむこうにいる人たちと、つながれていない。生産者と話をしながら買えば、同じにんじんでも、特別になるのに。

人を感じられる食体験が、日本では、ぽっかりと抜け落ちている……!

飲食業態の中で、「生産者と消費者をつなぐ」ことをしっかりと伝えられるブランドができたら、大きな意味があるのではないか。さらに、国内の飲食店を見渡すと、その数は飽和状態なのに、メニューは炭水化物ばかりです。

健康の観点から、ニューヨークで出会ったサラダボウルがいい。日本でサラダ業態をするのは、人も日本も、心もからだも元気になれる。意味がある!

日本がこの先世界に誇っていく産業として、「サラダ」をやりたい!

私の心は、決まりました。すぐに、弟の謙太にロンドンから電話しました。創業を決めたときから、私の目指すことは1店舗では叶いません。

日本の都市圏のどこでも食べられるように、サラダ業態で50店舗を目指す。

2016年に、国産の野菜と肉にこだわったサラダボウル専門店、WithGreen(ウィズグリーン)を、弟と起業しました。WithGreenはいま、東京、神奈川、大阪で15店舗あります。

山を見つけるヒントは歩いてきた道にある

登りたい山をどう決めるのか? 自分のもつ資源をよく見つめながら、興味(好き)と得意が重なるポイントを見出すこと。そのポイントを、より解像度高く見て、磨いていくこと。私自身はそのようにして見つけました。

対象への興味がないと、人生を賭けようにも続かない。でも、好きでも不得意だったら、どこかでつらくなってしまいます。「得意」とは、一見、それまで歩んできた人生の軌道上にない場合も、あるかもしれません。

私の場合、飲食で起業するには、まったくの素人でした。でも、どの分野でも起業できる。そう確信していました。自分にとってまったく新しい分野であっても、自分なりの勉強方法や習得方法を知っているから。

私の勉強方法は、その分野の本を30冊読んで、共通項を探して、数式にするように構造化していきます。親に厳しく言われながらもやってきた受験勉強と、大学院まで学んだ理系の思考が活きています。

また、振り返ると、子どものころから、大勢の前で発表するのが好きでした。チームで何かすることも、リーダーシップを発揮することも得意だし好きだったんですよね。もしかしたら、起業は自分に合っているのかもしれません。

日本という国を見つめて、まだやりようがある食の価値に、私は注目しました。同じように、生かしきれてない価値の中にも、必ずあります。

サラダボウルを日本の食文化にする

山を見つけさえすれば、あとは登るだけ。みなさんが自分の山を見つけて登り、頂上についたとき、どんな景色が見えそうですか?

私と弟は少しだけ先に、「サラダボウルを日本の食文化にする」という見晴らしに向かっています。

ここから5年後には30店舗-50店舗になり、国内の主要なターミナル駅には、私たちの店と、サラダボウルがある未来図を描いています。日本に暮らす人も、日本を訪れた人も、心とからだが健康に、笑顔になる。そんな未来を、始めたばかりです。

▶︎第2話はこちら

WithGreenのサラダボウルで、日本のおいしさを

WithGreenで一緒に挑戦する仲間を、募集します!


編集協力/コルクラボギルド(文・平山ゆりの、編集・頼母木俊輔)

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