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出遅れ女子。

私は口が悪い。
これには言い訳がましい理由がある。

小学生の時、4年間だけ地元を離れ全校100人程度の小さな小学校に通っていた。
仲良しグループを作るほどの人数もいないクラスで、昼休みも放課後もみんなで遊んだ。
何なら学年対抗で遊んだ。
小5、地元に戻り衝撃を受けた。

5クラスも....ある!?

クラスの中はまず男女で分かれていた。
その中で、更に仲良しグループがあるらしかった。
そんな環境に突然入った私であったが、齢12の子供の私は「自分がきっかけでみんなが一緒に仲良く(にっこり)」を夢見ていた。
男の子とも遊んだし、一緒に下校もした。
その結果私は「男たらし」と白い目で見られることになった。

不味い、と思った。

そうして私が取った行動は、「男の子になる」だった。
見た目は周りの女の子たちと変わらないが、仕草や言葉遣いは男の子のそれであった。
ボサボサの髪をハーフアップにしている姿を、「坂本龍馬」と呼ばれたこともあった。
そのうち私は「男たらし」ではなく「男」と呼ばれるようになった。
事が収まったと安堵した。
そうして染みついた悪癖、これが私の口が悪い理由であり言い訳である。

ところで、小学生の彼女たちはどこで「男たらし」なんて言葉を覚えたんでしょう。
恐ろしい子ッ、、、、!

今思えば、変化が始まったのは大学に入学してからだった。
同じ大学に進学した人はいなかった。
誰のことも知らないし、誰も私のことを知らない。
私はただ「静岡から来た女の子」だった。
小さな積み重ねである。それは、家や駅まで送ってくれることや髪型の変化を褒められること、スカートを履いても笑われないこと、重い荷物を持ってくれること、パンケーキ屋さんに連れて行ってくれたこと、初めてパンプスを買ったこと、家族や先生以外の「女性」との出会い、小さな小さな積み重ねである。
そして皮肉にも、決め手は痴漢なのである...。

痴漢論という記事を書いた時の経験であるが、私の中で「私は一人の女性である」という自覚が爆誕したのはこの出来事がきっかけである。
痴漢論は、他のアカウントで書いたものなのでそのうち載せようと思う。

スカートを履くのも、ピンクを身に纏うのも、ヒールの靴を履くのも、可愛いものを可愛いと思うことさえ、私にはいけないことのような、身の丈に合わないことのように感じていた。
ある意味呪縛である、「男たらし」でないという証明を「男っぽくある」ことで為そうと。

昨年の夏、母に「女の子らしい服装をしないのね」と悲しげな顔で言われたとき、本当に不思議に思っていた。
「なぜ私が可愛らしい服を着るのだろう?」と。
今さら私の中の女性的な部分が開花したものだから、日々感動感激の嵐だ。
可愛い服を着ると心が躍る、ヒールの靴を履くとシャンとする、恋愛漫画を読むと胸がときめく、当たり前のことだが、新鮮で仕方ない。

女性なら可愛くいなければいけないだとか、女の子らしい恰好をしないと可愛くないだなんて思いませんし、今も昔もそう思って生きてきましたが、実は私は可愛いものが好きだと知ってウキウキしていたりもする。
好きなものを好きと言えるのって、素敵なこと、本当に。


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