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自分を愛するということ(後半)

自分をどう愛すればいいのか・・・
愛し方に特別も普通も無いのだけれど、方法としては…まず、
「自分に色んなことの許可を与える」ことからでしょうか。
段階的にそこから始めるのがベストだと思います。

バカボンパパの『これでいいのだ』では無いのですが…

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一度自分に対する駄目だしを止めて、自分がしたいと思っていること、望んでいるものを求める気持ちを認めて、したいことをすること、欲しいものを手に入れようとすること、好き嫌いの感情で何かを判断することを赦して(許可して)あげる。

これは第一段階。

自分の欠点に対する反省やダメだしは、こうしたありのままの自分を認めて、受け入れられる力など、自分の感情との付き合い方をある程度マスターして、自己肯定が出来るようになってからのほうがベターなんで。
(自分の良い部分を理解して、長所を伸ばすことが先)
まず自分の感情を抑圧しないで、お腹の中の腹黒い気持ちや溜まったネガティブなモノも含めて、利己的な欲望にしても、嫉妬や憎悪や何にしても、それらの存在を認め、受け入れるところから始めるといいと思います。

自分の中にある感情や欲望を、それを善悪や誰かの価値観やルールで裁いたりせず、否定せずに、ありのままに感じて、
『こういう気持ちや考えが自分の中にはあるんだ』と受け入れること。

自分はこれは嫌いなんだ、好きなんだ。
こうしたいと思っているんだ、これはやりたくないことなんだ、と。

でも、それすらも、自分がどう感じているのか、何が好きで嫌いなのかも判らない、自分が何をしたいのかさっぱり解らない…と言う人も、かなーりの数で存在していたりするのです。

そういう時、私は、
『自分の外側に、もう一人、別の自分がいるようにイメージしてみて』
と説明します。

うん。自分の中に自分専用の『コンシェルジュ』を置いてみるのね。
イメージで創る架空の存在として。

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その、自分専用のコンシェルジュさんの仕事は、自分自身である、アナタを毎日楽しませることがお役目。限られた予算や条件の元、最大限に努力して、アナタの要求や感情を満たすことを優先し、望みを叶え、幸せな人生を生きてもらうための客観的なアドバイザー。

自分視点ではなく、他人視点でアナタの望みや要求を聞き、現実と折り合いをつけて、妥協点を見つけながらも、求めているものに近いモノやプランを考えて提供してくれる人・・・

てまぁ、そんな風な感じで。

(ホテルやデパートのコンシェルジュさんの仕事は、叶えられる範囲でお客さまの要求に応え、満足を与え、快適に過ごして頂くために気配りと便宜を図る人ですんで)

例えば、あなたが、こんなオーダーをしたとします。

予算一人2000円で、夜景(港)がキレイな場所を見下ろしながら、
新鮮なカキ料理と美味しいお酒を頂きたい! 

さすがにウォーターフロントの高級ホテルで、この予算は無理だけど、
「その予算では絶対に無理です!」とは言わないのがコンシェルジュ。

高層タワーや高級ホテルやレストランは無理でも、築地やベイエリアの通で庶民的な立ち飲み屋を探して、100%まんまでは無いけれど、限りなく要望に近いことを叶えてしまったりなんかして。

ええ、自分に対しても、それをすればいいんです。

アナタが、自分の要求を言う。こうしたい、ああしたい、あれも欲しい、これも欲しい。思ったこと、自分の中から出てくる感情にはとにかく素直になって、一度は吐き出してみる。

表に、他人に向けたり、行動に出す前に。心の中のコンシェルジュに、相談というか、ギャーギャー我がままを言ってみる訳です。

すると、もう一人のアナタである、アナタの中のコンシェルジュは、

『なるほど、わかりました。アナタはそうしたいのですね?
 でも現実はこうなのですね。
 それではどうしたら、様々な条件付けや制限のある中、
 あなたの希望が最大限に叶えられるのか、ちょっと考えてみましょう』

と言う。

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アナタの『気持ち』を十分に聞いたうえで、どうすればそれを叶えられるのか、その感情を満たすことができるのか、代替案を考えたり、調整をつけたり、理性と感情の『折り合い』を付けることをするわけです。

決して、自分の中にある『欲望』を否定することなく。

例えば、極端で物騒な話ですが、頭にくる憎い人がいて、『ぶっ殺してやりたい』と思ってしまった場合、そんな反社会的でネガティブな感情を持ってしまった自分をなんてヤツだと裁くのではなく…

『そうですか、殺してしまいたいほど憎しみが募ってしまったのですね。
 確かにあんなことをされたら、そう思ってしまっても仕方ないです。
 このままでは怒りが収まらず、日常生活にも支障がありますし、
 憎しみと怒りでプリプリしていては、周囲にも迷惑ですね。
 かといって、本当に相手を殺してしまったら、
 アナタは犯罪者になってしまいます。
 犯罪者になるのは本意ではないでしょうし、それは望んでませんね?
 犯罪者になったら、色んなものを失って人生台無しですし・・・

 では、バッティングセンターに行って、
 相手をぶっとばすつもりで、バットを振ってはいかがですか?
 あるいは、ゲームの世界で、敵を相手に見立てて、
 人をたくさん殺しまくってみましょうか。
 カラオケに行って絶叫するのも健康的です。
 その人だと思って、何か家の中で破壊してもいいものを破壊したり、
 ナイフで切り刻んでみましょうか。ダーツもいいですね』

とかとか。
そんな風に自分を決して否定せず、感情を受け入れ、要求を聞きつつも、建設的な方向に自分を導く役割をその創造した人格をコンシェルジュにもたせるわけです。上記の場合ですと、カウンセラーになりますけどね。

つまり、自分との対話をする習慣をつけるんですね。

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自分の抱く感情を批判したり、ジャッジしたり、
抑圧するのを止めて、自分自身で自分のホンネをちゃんと聞いてあげる。

その上で、第二の客観的な自分から、第三者視点で、どういう方法で、その感情を発散したり、満たしたらいいのか、望みを叶えることができるのか・・・を、現実という枠組みの中で、考えるクセを付けるといいのです。

周囲にいる誰か…他人の要望に応えるように。あなたが大好きな人、愛している人の望みを叶えたり、その人を幸せにしてあげたい、好きなことをさせてあげたい、色んなものを与えてあげたい、その人の人生を良くしてあげたい・・・と願って、そうするように。他人のこととして、自分のことを考えたり、観察したり、他人にするようにアドバイスするんです。その人の気持ちや意向に寄り添ってするように。

あなたの中に、あなた専用の"コンシェルジュ"と"カウンセラー"を置いて、
あなたをお客様として扱い、最大の奉仕をしてあげるんです。

どうしたら、その感情を満たしてあげられるのか、毎日笑顔で楽しく過ごしてもらえるのか、どうすれば快適でいられ、心穏やかにいられるのか、あなたが幸せを感じられる瞬間をどうすれば作れるのか・・・
他人の視点で、第三者にそれをするように、考えて、自分に『ギフト』をして『奉仕』するんです。

それが、自分を愛することに繋がります。

もう一つふたつ、例を出しておきますね。
まず最初のは「私に贈る一年」と言う本に書いてあったことが元ネタで
実際にあった話でもありますが(ちょっと改ざんしてます)…

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ある子持ちの専業主婦の人が、ある日ふと、

『パリに行って、パリジェンヌみたいに生活してみたい!
 お洒落なカフェのテラスで、カフェオレとクロワッサンの朝食食べて、
 小脇にバケット抱えて、地元民みたいに買い物してみたい!!』

なぞと、退屈な日常生活の反動か、急に妄想?に囚われ、せめてパリ旅行がしたい・・・と情動を持ったものの、現実は手のかかる子供2人とダンナのいる身。独身貴族みたいな願望は夢のまた夢で、どう考えても実現不可能なことなんで、欲求不満に陥りましたとさ。

でも、それを願うことは罪じゃないし、自由。とはいえ、絶対に無理だ…と思うことに夢見ると、現実との落差に落ち込むし、今の生活への不満も出てくる。

さて、ここでどうするか・・・。

『無理です。ダンナに養ってもらってる主婦だし、お金ないし、
 お金あっても、子供たちの世話もあるし、家空けられないから不可能』

普通ならそこで却下して終わっちゃう。

けれど、コンシェルジュは考えた。

『では、せめて日本にいながらにして、
 パリ気分を味わえる生活を送れるように工夫してみましょう』・・・と。

まず、今は行けないけど、いつか行ける日が来るかも知れない。
ということで、パリ生活のための貯蓄をば。ダンナの収入からでは悪いので、家政に影響の出ない範囲でパートを始めることにする。パート先はフランス気分を味わうため、フランス菓子とパンを販売しているプーランジェリー。そして、それだけでは気分には程遠いので、在日フランス人マダムの下でフランス語を習うことに。

週三日パートをし、パート先で割引価格で購入したバケットで、カフェオレと共に朝食を楽しみ(テーブルセットもパリ風)、週に一回、フランス人家庭でフランスを感じながらフランス語を習い、フランスの雰囲気に触れ、フランス好きの友と憧れの地を語り合い、写真集を眺めたり、週末にフランス映画を夫と観て、楽しむ。

(実際の話では、そんな生活を一年続けたならば・・・旦那さんと子供たちが、『ママ、行っておいでよ』と一週間のパリ旅行に送り出してくれたそうです。でもって、フランス語の先生であるマダムから、地元の親戚や友人を紹介してもらい、宿泊もそちらで、現地での滞在費はほぼ無料。チケット代くらいで済んだとか)

そんな風に、100%まんま希望通り・・・というのは無理だとしても、自分がそうしたいと思った気持ち、感情を抑圧するのを止め、駄目だとか無理だとか押さえつけたりすることをせず・・・最大限に、いま出来る範囲で、それに近いことを自分にさせてあげたり、自分の欲求を満たしてあげることを考えるなど、

自分が『欲しがっているもの』『やりたいことを実行する』ことをやみくもに反対するのではなく、ただ認めて、肯定して、許可するだけでいいんです。

そして、チャンスや可能性をギフトすることも与えてあげる。

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あ、これ違うっっww

で、もう一つの例。

職場で、たまたまある同僚とランチを食べに行くことになったとします。
その日のあなたの気分としては、朝からカレーが食べたい気分で、一緒に行くまではカレー屋に直行だ!! と、決めていたとします。

けれど、同僚が誘ってきて、
「ラーメンが食べたい。美味しい店があるから、そこにしよう」と言う。

実は昨日の夜がラーメン。さて、どうするか・・・。

選択肢は幾つかあります。

その人とは滅多にランチに行く機会がなく、
ランチを共にすることで親交を深めたいし、話したいこともある場合…

「ごめん、昨日の夜がラーメンだったんだ。
 そして実は、自分は今日カレーを食べたい気分なんだ。
 だから悪いけど、カレーもラーメンもメニューにある店にしない?」

と提案してみる。
どうしても、その相手が「○○のラーメンじゃないとイヤだ」となったら(相手が昨夜食べていたメニューを強引にって、そりゃイヤなヤツだ)…

その人とランチに行くことが大切なのか、自分がラーメンを食べたくないのか、カレーを食べないと不満足なのか、行こうと思ってた店のカレーを食べないと不満足なのか、考えてみる。

ラーメンはどうしてもイヤだ、となれば、その店にラーメン以外のメニューが無い限り、「ごめん、どうしても今日はラーメンの気分じゃないんだ。
一緒に行くのは今度にしよう」と、別行動にし、自分の要求を優先することにすればよし。

けど、相手との関係性を考えたとき、ランチに一緒に行くことを拒めず、
今は食べたくないラーメンを食べなくてはならなくなってしまったとき、「自分はカレーが食べたかったのに…ラーメンは食べたくなかったのに」

となってしまって、食べ物の恨み?ではないけど、ときに相手に対して『自分の意見を聞いてもらえなかった』とか、自分をないがしろにされたような、ヘンな感情が残ってしまうことがあったりします。

相手に「自分は今日、カレーの気分なんで」とも言わずに、「ラーメンどう?」と提案された時点で、断れず「はい」と返事して、自分の要求を無視し、相手に迎合してしまった場合も、です。

なので、このとき、

「朝はラーメンではなかったし、
 昨日食べたラーメンはインスタントです(もしくは違う店)。
 違う味のものを食べればいいし、
 カレーはランチではなくディナーに食べることにして、
 ランチに食べれなかった代わりにビールでもつけましょうよ。
 もしくは明日までのお楽しみにしましょう」

と、不満を持ってしまった自分を諫めるわけではなく、決めていた計画が流れたり、食べたかったものが食べれなかったことに対して集中するのではなく、気持ちと相談をして、代替案を出して、次にその欲求を満たす機会があることを自分に納得させてあげるんです。

他人に提案をするように。

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てな具合に、自分の小さな感情を無視したり、軽視せず、自分と対話して、自分を納得させてあげて、決して、「要求」を聞かないとか無視しているわけではなく、自分は尊重されているし、要求もちゃんと聞いてもらっているし、どんな願望も叶える方法がないわけではない・・・と、自分自身を信頼する力を付けていくことです。

その様に感情との付き合い方を学んで習得していけば、自分の感情に鈍感になりすぎて、喜怒哀楽が麻痺するようなこともなくなるはずです。

うん、そう。自分との付き合い方をマスターしていくことに通じるかな。自分を他者として扱い、尊重する。自己尊重の精神を養うことですね。

そして、あとは…好きなもの、愛するものをたくさん増やすこと。

自分の気持ちを満たし、幸せな気分になるものを身の回りに増やし、そういう趣味のものを持つことを、自分に許可することです。満たされた時間を持ったり、充実感を覚えることをさせてあげることも含めて。

誰かに自分の望みを知ってもらって、それを叶えてもらおうとか、自分ではない誰かに、自分を満足させてもらおうとか、自分の要求を満たしてもらおうなど思わずに、

まず、誰でもない、自分自身が、自分の本当の気持ちを無視せず、それを聞いてあげて、きちんと受け止めてあげて、(それがどれほどネガティブだったり荒唐無稽であったとしても) どうすればその願いを実現することが出来るか・・・だけでなく、自分自身が本当に幸せで楽しく、かつ満たされた気持ちを味わうために、それをどのような形で自分自身にギフトしてあげればいいのか・・・

そんな風に、他人視点で自分のことを考えて、プランニングしていくことができさえすれば、何かの代わりに他人を利用することなどしなくとも、自分の力で、自分を満たし、幸せに導いていくことはできます。

そのためにはとにもかくにも、感情を無視しないこと。自分を、自分の感情を一人(個)の人間として尊重し、扱い、丁寧に、その要求を満たすための努力してあげることです。

これは自分だけではなく、誰かを愛するときにも同じです。

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愛は理解、なのですから。理解しようと思ったら、相手をまず知ること。そして、愛は与えること、です。まず、自分に「与える」ことから始めてください。今まで自分に与えてこなかったものを。

無視してきた自分の感情に気づいて、ちゃんと話を聞いてあげてください。

ただここで間違えないで欲しいのは、感情を尊重して、満たしてあげようとすることは、我がままし放題にして、感情の赴くまま、感情を垂れ流しにして、欲求のままに何でもしていいということではありません。

それでは、感情のままにふるまう子供をやりたい放題、好き放題にさせるのと同じだから。何でも与えるのが、子供のために良いことではないのは周知の通りで。

赦して(許可)、与えようとする…というのが基本ではありますけれども、それはそれ、代替案を探しつつ、です。あと、それが本当に自分をハッピーにするものなのか、自分の為になることであり、必要なモノなのか・・・必要なことなのか否か、とか、その辺りも考えつつ。

感情と対話して、自分の中にある欲求に気づいたら、どういった形で、その要求を実現させるのがベストなのか、理性を使って考えることです。これを忘れてはダメ。常識や公序良俗、法律や社会のルールを考えて、その範囲内で、最大限に自分の要求を満たす方法を妥協したり、折衷案を出しながら見つけていくことです。

子育てや教育の場において、子供たちに対してそうであるように、自分の感情に『我慢』をさせ、欲望を罰するのではなく、感情の言い分・・・話をきちんと聞いた上で、押さえつけることなく理解を示し、尊重しながら対話をして、『言い聞かせ』たり、どうすればベストな方法を取れるのか、一緒に考えたり、提案をする・・・みたいな、ね。

納得させるってのが大事なんです。
でないと、感情は消化不良を起こしてしまうから。

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自分の感情ときちんと向き合って、小さなとこからでも対話をしていくことです。そうすれば、感情が置き去りにされることは無くなるはず。

人が満足を覚えたり、悦びを感じるのは、いつだって「こころ」であり、感情だから、自分の…だからといって、感情を疎かにしてはいけないのです。

でないと、感情がうっ血して反乱を起こし、病気になってしまう。
(人は感情が満たされないと、生きる意欲を失ってしまうんです)

まるで他人にそうするように、
他人と関わるように、自分とも付き合っていくべきです。

それが出来るようになると、他人との関係も変わってきます。
相手を尊重して、相手の話を聴き、対話を重要視するようになるから。

他人との関係性における問題を解決するにも、まずは自分と上手く付き合えているかってことは大事なんですね。自分をないがしろにしている人は、他人をもないがしろにするし、自分を愛せない人は、他人を愛することはできないから。

まず、自分に「与える」ことから始めてください。

今まで自分に与えてこなかったものを。

他人との関係性における問題を解決するにも、
まずは自分と上手く付き合えているかってことは大事なんですね。

自分をないがしろにしている人は、他人をもないがしろにするし、
自分を愛せない人は、他人を愛することはできないから。

自分自身と上手く付き合えない人は、他人とも上手く付き合えないわけです。自分を大切にして、尊重することができるようになれば、自然と他人を尊重して、相手の気持ちも大事に出来るようになる。

だから、人間関係と生きることの基本なわけです。

他人に自分を理解してもらうことに一生懸命になるより、
誰でもない自分自身が、自らの味方で理解者になるよう努めてみる。

愛することとは理解することですからね。
自分を理解できるようになると、他人を理解することの糸口になる。

とりあえず、そんな感じ。

後はボチボチ、他の記事で触れていこうかなぁ(たぶん)。予定は未定ですが

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 "誰かを害したり、
  誰かの幸せを奪ったり、壊すことの無い限り、
  汝の欲することを成せよ

  汝の望みを叶えよ
 
  それが汝に与えられた使命であり、義務である

  あなた自身を幸せにすることが、
  あなたに出来る唯一のことであり、
  人生の目的であり、運命である"

              魔女の書より

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