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自然との共生~Earth Song

※去年書いた記事の転載です。

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私は英語が話せない読めない人であるのだけど、4ch(英語で交流する海外掲示板)の翻訳サイトは、定期的によく読んでいるのですね。

そこからの情報になりますが、ロックダウンされた世界各地の人々によると、人々が外出しなくなったことから、普段は見かけない多くの野生動物たちが街に出没するようになったとのこと。

中には「羊に占拠された!」「鹿に町を乗っ取られた!」
という可愛らしいものから・・・

ピューマとかコヨーテとかイノシシとかワニなど、
ヤバイものまで住宅街に現れ始めているとか。

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日本では田舎のほうに行かないと、クマやイノシシいないから、今回は問題ないでしょうけど。(クマだけでなく、イノシシも人間襲って食べますのよ)

首都圏通勤エリアで育って、現新宿区在住の私が、
田舎や自然を語っても、まったく説得力はないですが…

昭和の真ん中の時代は、首都圏近郊にも田んぼも畑もあって、ザリガニ釣りもしたしカエルなどの水中生物、トンボなんかもたくさん飛んでたし、蛇もいて、野イチゴや野草(土筆や野蒜等)や花の蜜など、その辺のを摘んだり食べたり口にいれてました。トイレも高校まではくみ取り式でしたし。

親の故郷はド田舎(鹿児島の皆さんゴメンなさい)だったから、もっとハンパなかったなあ…ラジオの電波届かなかったし、スーパーの特売は空からセスナが告知していてw (離島ではないです。空港から一時間位の距離)
戦時中は食べ物ないから、イノシシとか野兎とか掴まえて食べてたそう。ジビエなんて小洒落たものではなく、空襲警報がいつ鳴るかって中、泣きながら解体したって言ってたな。

で、政令都市で一応都会に属する千葉市。私が子供の頃は猫も犬も放し飼い。犬が鎖で繋がれるようになったのは、昭和50年代に入ってからかなー
(それだから6匹位の野犬の群れに襲われて、全身咬まれて死にそうになった私<入院した。人生で4回犬に咬まれた奇特な体験保持者デス) 

名称未設定のデザイン

いつからでしょうね。野良猫を街で見かけることが減り、外で犬を飼う家も少なくなったのは…

この辺りは、自宅で死んだり生まれたりというのが無くなり、"死"や"命"が人々にとって遠いものになっていった…と言う現実と全く無関係では無いような気がする。

人々にとって"命"が軽くなり、"死"が忌み嫌われるものになってった。

そこが人々の意識の何かの分かれ目だったのかな。

関係ないですけど、私は動物園や水族館は反対派です。
必要無いものだって思っています。

必要があるとするならば、その土地で保護された動物たち…野生で生きていくことが出来なくなった、人間の保護を必要としている動物たちを、管理保護し、飼育するくらいかなあ…その維持管理と運営費を得るために、動物園的に公開して入場料を取るってのが理想的な気がします。

今の時代ならバーチャルで十分です。
実物を檻に入れて、見世物にする必要はありません。

動物は生まれ育った土地にいるのが一番だと思います。寒いところ暑いところにいるものを、どうして環境に適さない場所に連れてくるのか…檻に捕らわれた生活にしても、拷問以外のナニモノでもないですよね。

サーカスもそうですね。ショーをダイレクトに虐待とは思わないけど、ペットとして育てられたものの、飼育放棄されてしまい保護された猛獣とか、親とはぐれてしまったり、育児放棄されてしまった動物、あるいは怪我などで、野生の環境では生きていけなくなって人の保護を必要としている動物たちを引き取っての興行ならば、いいのではと思いますが。

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象使いにしても猿回しにしても、いわゆるアニマルタレントに関しては、相棒として家族として、愛情と信頼関係のあるところでの、仕事のパートナーシップが築けているなら、私は動物虐待とは思わないし、世にあってよしと思うのです。

ようするにそこに動物たちへの愛情があるか否か…共に生きていく覚悟と責任があるならば、家族として動物と共に生きる道としての生業ならば。

闘犬とか闘牛とか闘鶏とか、そういうのは反対派になりますね。
やはり賛成できない。

人がペットとして動物を飼う時にも、人間が保護しないと生きる場所がない、そのような動物をペットとするのは賛成ですが…人間の環境に、その動物の生育環境に適さない動物を連れてきて、無理やりペットにするのは、反対です。

犬とかでも、雪遊びが大好きで日本ならせいぜい、雪深い東北までが適応するのに限界な犬種とか、それを南日本で育てようとするのって、どうなの?
ってホント思いますし。

そういうのは、人間のエゴ以外の何物でもないですよね。

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さて ロックダウンの影響に話を戻すと、日本でも多少見られている現象ですが、工場などの稼働がストップし、人が移動を自粛して往来が減少したせいで、空気がきれいになっているとのこと。

光化学スモッグや排気ガスの影響で、今まで遮られていた遠くの景色、山々などがよく見えるようになったそうです。そして沈む太陽のなんと美しきことか…と、あんな太陽今まで見たことない!とは、ロス在住の方曰く。

アメリカは地球温暖化対策に非協力的で、京都会議からも離脱しましたしね。そして今回の感染症発生源たる中国もしかり。

(この地球の環境を汚染している二大大国が、感染症の発生源と感染者世界一というペアなのがなんともっっ そして、ちょうど去年アマゾンの森林火災や開発の問題>アマゾンが地球の肺説。ジャングルが地球の酸素の20%を生産しているというのは誤りなようですが)

コロナで重篤になると肺炎を併発して、人口呼吸器のお世話になるということを考えると、呼吸すなわち空気を取り入れるところのダメージ。

(安部ちゃんには200億もかけてマスク配布するなら、人工呼吸器を各病院に買ってくれよ!と言いたい。それとワクチンの開発費に回して欲しい。公務員と生活保護者と年金受給者と税金滞納者以外の、マイナンバーを持つすべての日本国民に現金支給して!)

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なんかコロナウイルスで、人間の肉体がダメージ受ける箇所と人類が地球に対して行ってきたこと。つまり地球というボディが、ダメージ受けてる箇所とリンクしてたりする。

そんなこんなで、私たちは環境破壊と大気汚染によって、地球の"免疫機能を破壊"し、"呼吸"を妨げること…を、つくづくしてきたんだなって、改めて痛感します。

産業革命以前までは、私たちこわっぱである人類が、地上をいくら暴れまわって荒らしたとしても、地球が呼吸して再生する力までも奪うことは、多分出来ていなかったんですね。

でも産業革命以降は、私たち人類の地球を荒らしまくる力はパワーアップし、地下に地下にとどんどん掘りまくって削りまくって、消化されないゴミや汚水を次々に野放しに垂れ流し、緑地を砂漠化し不毛な土地に変えたりもして、オゾン層が破壊され有害な紫外線が届き始めるほどに、地球の皮膚を爛れさせてきた。

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そして同じ地球にて、本来ならば、共生されるべき仲間たちの存在に対して、人類はいつだって一方的に横暴で、その命も存在も勝手に贄にして、排除したり、好きに良いものと考えている。

食べるという、命を頂くという理由以外で、牙や角や毛皮を取ったり、退屈しのぎと遊びのための狩猟。海や河川や大地を汚染したことでの、間接的な殺傷行為も含めて、動物たちの命を無謀にも奪い続けてきている。

時期は奇しくもイースター前後。昔は守られたイースターの掟は、(動物たちの出産育児時期に狩りを避ける事) 昨今の世ではその意味を理解するものは少ない。現役でありホンモノの漁師・猟師たち以外には。

じゃあ、人が活動停止して、この地球上からいなくなったら、大地や河川や海は蘇り 地球の再生力は早まるのか…地球環境を破壊する諸悪の根源たる人類が、滅びてしまえば地球環境は守られ自然が回復するのか?

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と言うと、必ずしもそうではなく。

人の手が入らないと荒れてしまう山が多いように、人間もまたこの地球にとっては必要な構成要素のひとつで、この地球を守るためには人間の力も存在も必要なのです。

(イエローストーン自然公園で、絶滅したオオカミを再導入したら、自然が回復した事例があります。オオカミのような肉食獣は草食獣の天敵ではありますが、同時に個体としての彼らの繁栄・種の存続を守るためには、共存・共生すべき仲間なのです。自然界のバランスを取るためには両者が必要なのです。そのように他の動物の天敵たる人間も、自然界における食物連鎖の輪の中で不可欠な存在です。地球環境や自然にとって人類は、破壊者であるとともに管理者でもあり、共生・共存していくべき庇護者なのです)

問題は人類の立ち位置なのだと思います。地球や人類以外との、命との関わり合い方。自然や他の生命から一方的に搾取して、いつまでも奪うだけではダメってことかと。

これまでのやり方が間違っていた。方向性の誤り。

それを認めて、そこをいま軌道修正するべき時期に来ているのでしょう。付け焼刃なやり方ではなく、根本的にあらゆることを見直すべきかと…

何もまるっきり昔の生活に戻る必要は無く、便利な機能をすべて手放す必要も無く、ほんの少し変えていけばいいのだと思います。

汚染する危険物質で無く、後世に負担を与えるエネルギー資源で無く、もっと別のリサイクル出来る、環境に対する負荷を最大限に減らせる、新しいエネルギーを開発したり、温故知新で昔の良いやり方を新たに発掘して、今に応用してみるとか…

もちろん、そこに至るまでに、生みの苦しみたる痛みは必要で、ほんの少しの不自由とかあるだろうし、我慢しないといけないことも多いでしょう。

変えていかなければいけないことが、たくさんあるんだと思います。

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エネルギーのこと 資源のこと 食べ物のこと 仕事のこと 働き方のこと 
流通のこと 社会のしくみのこと 暮らしの基本的なことだけで無く、

様々なことに対する、意識を変えていく必要があるでしょう。

人間関係や自分自身との付き合い方も…

地球との関わり合い 動物たちとの棲み分け 人類の間に存在する見えない国境 土地の分配のこと 自然との共生

この地球をたくさんの人々と共存して、言葉の壁や宗教や人種や文化を超えて、力を合わせて、協力して生きていくということ。

私たちはすべての存在が、地球という家を分かちあって棲んでいる、一つの運命共同体であるということ。

この時期に、世界中の人々が考えていくべき課題であると思います。

そして動物たちとの棲み分けも大切ですよね。日本でも獣害被害の問題はあるけれど、インドやバングラディッシュ、ネパールでは、動物に襲われて亡くなる人が後を絶たない。生息域を奪われてエサが減り、テリトリーが狭まった結果だったり、人間が彼らの縄張りに侵入してまで、生活の糧を求めねばならぬ貧困が故の問題。


海洋動物にも言えることですけれど、動物たちのテリトリーと、人の住むテリトリーをきっちり分けて、どちらにとっても不幸な事故が起こらないように、土地の境界線問題も考えていかないといけないのかも知れません。

極端に偏った動物愛護はどうかとも思いますけどね。(クジラ漁には反対してない私です。ただイルカ漁に関しては、個人的に別のやり方とか無いものかなって考えてしまいますが)

感染症というのは、確かにウィルスだの細菌だの、カビだったり原虫だったりするものが、人間の生命活動を阻害し破壊行為を行うもので、症例の原因だったりするわけですけれども。

昔からいたにしても何にしても、ある日突然に自然発生的に活性化して、活動が活発になるんですよね。

それまで一匹も姿を見なかったのに、人が遺体になったとたん密室であったとしても、どこからともなく湧きだすウジやハエの如く。

そうしたことを考えると、何か条件が整い揃ったから、それまで不活発だったものが生命を得て、人類に脅威を与える何かの役割を果たしているのかもと。(生物兵器的に培養された説を除外で)

天然痘は侵略者側が新大陸に持ち込んで、多くの地元民たちの命を奪うものであったけれど。ペストは魔女狩りや異教徒狩りなどが蔓延したときに、流行したものだったなあ・・・と思い出したり。

そうした意味で、定期的に、数十年単位で人類の人口を削減するがごとく、流行して、人類の存続を脅かしている昨今の感染症というのは、地球の病み具合を表している、バロメーターなのかも知れない…

それだけ地球の免疫力が落ちてたってことかとも…
と、思ったりする今日この頃。

良い意味でもネットの普及で、無責任な噂や誹謗中傷や陰口が蔓延する世になったから、ネガティブエネルギー蔓延していたということもあるし、勿論それだけではなくて、ここ100年位の流れや色々なお試し段階を経ての過程
小出しではあったけれど、それぞれに考えを問いただす機会は、色々と与えられていましたからね。

人間の利己的なネガティブエネルギーが蔓延して、強大で巨悪なグループエレメンタルが創られたり、活性化したり復活して大きな力を蓄えた後には、
必ずそうした伝染病も蔓延しているってことは、何かまあそういうことなんだろうなって思います。
(こういうのは宇宙の法則でもなく、神と呼ばれる創造的な存在の力や意志ではないです。法則と言えば法則で、集合体無意識の力ではあるけれど)

ようするに私たち人類が私たち自身で起こしていること。変革のために、人々の意識を変えるために、創造の為の破壊と、良心への問いかけが行われてるってことです。



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