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すべての歳月は古くなるとよくなる

あなたは目的があってここにいます。
この広い世界にあなたと同じ人間はいません。
過去にもいなかったし、未来にもいないのです。
あなたは何かの必要を満たすためにここに連れてこられたのです。     このことについて、ゆっくりと考えてみて下さい。
                   byルー・オースティン

相変わらず旧blogからの転載ばかりで、新しいこと、ほとんど書けてないですねっっ 去年ほどではないものの、コロナ禍でヒマなので時間だけはあるから、転載作業ももっとガンガンやれればいいんですが。イメージ画像を探すのも結構大変だったりして、なかなか進みませんのでした。

そうですね。こちらnoteに旧blogから転載する記事に関しては、私が死んだ後でも読む人にとって役に立つ読み物、有益な知識や情報として残してもいいもの、と…そう考えて抜粋しながら。ネットの画面で少しでも読みやすいように、内容をイメージしやすい画像を散りばめてみようと思ったわけですけど、なかなかどうして、イメージ通りのものを探すのは見つからないというか難しいです。有料のとこは無理なので、無料のを使わせて頂いているわけですけども。検索キーワードのセレクト如何なのでしょうね<見つかるか見つからないか   他のを探している時に、後から「あ、こんなのあったんだ」と見つかったりなんかすることもあったりして。でも、その後で差し替えるのもめんどくさいww 

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われらはいかにあるかを知るも、われらがいかになるかを知らず。過去を否定してはいけない。 過去を否定することは自分を否定することになる。

さて、前置きはともかくとして、そろそろ本題。

10代の時からアマチュアながら周囲の相談に乗ることをしていて、20代半ばからプロの占い師としての仕事を始め、他の仕事に逃げながらも、なんだかんだダラダラ続けて、40代になったときにヒーリングの仕事を始めて、いつの間にか今のスタイルに定着したわけですが。

占い師をしていた時からの仕事を通しての想い事や、スピリチュアルセラピーという仕事において遭遇させられる霊的な事象や不可思議な出来事、特にクライアントさんの過去世の情報(人生ドラマ)から考えさせられる教訓としてのお題、またそれを説明する解説としての霊的知識などを、何か書き残したい、いやさ書き残すべきだと…人に読んでもらうためにも書物みたいな形にしたいと、当初そう考えた時に同人誌的な書物にまとめようと思ったのですが、いざそれを書物のように書こうとしたときに、どのように書き進めていいのか解らなくて、結局blogにしたんですよね。その方が好きに書けるから。

占いだのおまじないの読み物の連載原稿とか、ネットのコンテンツとかね、そういうのはありがたいことに書かせて頂いていたし、単行本も出させて頂いたことはあったけど、それは編集さんありきでしたからね。如何せん、私には「形にして体裁をまとめる」という知恵もスキルもなかった。自費出版をするような財力(資産)はないから、今もこうして、需要があるのかどうか解らない一般向けでは無い内容のことを、ネットでつらつらと性懲りもなく書き続けていたりします。

そうですね。同類の仕事をしている人…同業者や後進の人たちの役に立てばいいなと思いつつ。そうでない人たちにも、自らの人生を振り返る指針や今後の人生をよりよく生きるためのヒントとなったり、気づきの種や考える材料を少しでも提供できれば、なのかな。

霊的な事象に関する知識に関しては、私自身が幼少期の時分から自分の身に起きていることで、戸惑い、困ったことが起きた時、どの書物を読んでも納得いかなくて、誰に聞いても答えが得られず、それを知りえる術がなくて、ずっと難儀していましたから。私と同じような問題や疑問を持っている人の答えを提示出来ていればとも思います。とはいうものの、十人十色で一人ひとり置かれている状況や背景、遭遇させられている現象も異なっているから、参考になるのかどうか…ではありますが。

ヒーリングのことにしたって、きちんとその仕組みやテクニックなど、きちんとした説明や教えをくれるとこはないのが実状ですね。友人知人で100万超えするとこに通っていた人たちがいますので、そう思うわけです(私は通ってませんが)。そして、日本では圧倒的にその手の書物が少ないし、海外の翻訳書で実用的なものはほとんど出版されてない。納得できるものはダスカロスの書物だけでしたし。

だからまあ、そんなこともあって、現場でも役に立つ知識や情報と思って書いているわけですけども。どうなんだろう。ちゃんと実用的なこと、お役立ちなこと、書けていますかしら。転載する際には、おちゃらけた書き方は書き直してしまっているけれど、それはそのままの方が読みやすかったですかねww

とはいうものの、解りやすくを心がけているものの、解りやすく解説出来ているのか未だ不明です。読む人が理解できるようにと思いつつも、文章で説明するのは本当に難しいですね。一方的に語っているだけですし。その意味では、スクールというかセミナーやレッスンとしての場で、言葉で説明する方がやはりよいのかも知れませんけど。

まぁ、そんな感じで、こちら私のnoteのページも、さほどフォローして下さる方も読む人も決して多くはない、専門的?というかコアというかマイナーなページですけど、興味を持って頂いて、読んで下さっていてありがとう。質問とか疑問とか突っ込みとか、ここがイマイチ解らないとか何かあったら、お気軽に聞いてみて下さい。

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相談するときには過去を、享楽するときには現在を、
何かするときには未来を思うがよい。
                  byジュベール

さて、仕事ない日はちょっと凝った料理を作ってみたり、神社やお寺に出かけたり、瞑想をしたり、物思いにふけったり、YouTubeをダラダラ見ていたり…(ヒトカラに行く回数は減りました)

時間があるということはありがたいもので、過去のことをあれやこれや振り返り、内省的な日々を過ごさせて頂いています。

ラジオのように聞いているYouTube動画で、時おり斎藤一人さんのお話を聞いているというのは前にも書きましたが、昨日今日もそのお話から、「あぁ、そういうことなんだよなぁ」と気づきを頂いたりなんかして。

それは直接的なことではないのですが、ただ、一人さんのお話を聞いているだけで、自分の中の過去の記憶のふたが開いて、過去の出来事とその結果としての今の答えが因果として結びつく瞬間と言いますか、符号が一致する瞬間があるのです。

そのような気づきを頂けるのは本当にありがたいことです。

100回聞いて下さいって話は、本当に100回聞いた方がいいお話だと思います。もちろん、気づくべき時期というのもあるのですが。

直接お会いしたことはないけど、書物やCDや動画を通して、人生の師匠たる人々からたくさんのありがたいお言葉や人生の教え、導きを頂けるのは、なんと素晴らしいことでしょうか。そんな風に、直接的にご縁を頂いて、師匠と弟子といった形を取らずとも、この時代はネットや書物を通じて、見識ある賢者のような方たちから、多くの知己、知恵を授けて頂ける機会を持つことが出来る。便利な時代です。

さて、私もそのような先人たちに及ばずとも、人様の役に立つような知恵や情報を遺せたらいいなと思ったりするのでした。

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幸福人とは過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、
不幸人とはそれの反対を記憶している人々である。
                   by萩原朔太郎

出会いも必然ですが、別れもまた必然なもの。出会った人も多いけれど、袂を分かち、ご縁が途絶えてしまう人もまたそれなり。理由があって仕方なく切れてしまった縁もあるけれど、つまらないプライドや人としての狭量さ、未熟さからの別れもあったのは事実。覆水盆に返らずで、後悔も反省も後となっては役に立たないもの。今の自分ならとも思うけれど、そうならざるを得なかったことばかりは避けられた試しもないこと。きっと多分、遅かれ早かれ同じ道を通ったのでしょう。

時々ではありますが、過去にご縁のあった方々のことを思い出します。出会った人々すべて。プライベートやソーシャル、この仕事を通してのクライアントさんから通りすがりの人についてまで。

親しく、慕わしい…懐かしい友人であった人にしても、そうではなく悲しいかな、誤解や不和を招いた、決して理解し合えなかった人であったとしても、傷つけあってわだかまりや遺恨を作って、壊れてしまった関係性の相手であったとしても、不幸にもトラブルや対立や諍い事などがあった人であったとしても…きれいごとな書き方ですが、今はその人たちと出会えたことに深く感謝しているし、そうした出来事から様々な学びと成長の機会を得られたこと、その相手になって下さったこと、ただただ、感謝しています。

私の誹謗中傷をしたり、嫌がらせをしてきたり、悪い噂を流した人であってもね、確かにその時は嫌な思いをしたし、酷く憤りを感じて、憎悪の感情を爆発させたこともあったけど。今は昔なのかなあ。いやさ、たぶん顔を見てないから、なのかも知れません。

私の方が迷惑をかけられた相手でも、私が迷惑をかけてしまった相手ならなおさら…それがどんな関係性であった人にせよ、今はただ、その人たちの幸せを願うばかり。みんな元気で楽しく、その人らしく、明るく笑って、心の平和を生きられていればいいなあって思います。

もう二度と今生では会うことがない、これから先、お互いの人生が交わることは決してない関係なんでしょうけれども。中には名前すらも忘れてしまって、顔もおぼろげにしか思い出せない人もいるのですが。この人生で私と出会ってくれて、関わってくれた、縁あるすべての人が、心安らかに良き人生を生きられるよう、時々祈らせて頂いています。

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過去の成果で未来を生きることはできない。
人は一生何かを生み出し続けなければならない。
                  byカール・ハベル

そうそう。一人さんの話を聞いて、ひとつ思い出したのは「自分が何をやりたかったのか」ということ。

23歳の時、交通事故にあって、それまでのやりたかった道も断念して、しばらく後遺症のため、リハビリ的な生活をしていたわけですが。何しろ事故を起こしてくれた運転手でもあった友人に裏切られ、自暴自棄になってたことで恋人とも別れちゃったり(結婚を考えてた相手)、夢破れてあれやこれやで、肉体だけでなくて心もダメージを被ってしまって、これからどう生きればいいのか解らなくて…でしたが。

だからこそ心と身体の健康を損なってしまった人のために、サポートする仕事がしたいなあって思ったわけです。そしてメッセゲ氏の著書読んで、ハーブ医学とアロマテラピーとホリスティックの分野に興味持って勉強始めたんですよね。結局、もともとの電波な素養(霊媒体質)を活かして、今のスタイルになっちゃってますけどもww 

その時に考えたのが、その場に行くだけで訪れた人がホッとして、癒されて、元気になれるような、都会のオアシス的な癒しの家(イヤシロチ)を作りたい、って、それだったよなあ…って。ちょっとそこ、忘れてまして。いやさ、昨年その原点を思い出すと言えば思い出せてはいたのですが。

一人さんの話で気づかされたのは、そこの部分ではなくて、私は「そのような傷ついたり、心に不安や迷いがある人が、癒しと安心を得られる場所」を提供したいと思いつつ、いつの間にかその趣旨を忘れていて…私が提供したいと思っているものを求めて、当方にいらして下さった人を、「うちではあなたの求めているものを与えてあげられないし、その望みは叶えてあげられないと思う」と、突き放してしまっていたんだ…ってことなんですね。

ただ世間話をしにくるんだったら、高いお金を払ってうちに来なくてもいいんじゃない?? …とか、普通の恋愛の相談や愚痴話だったら、普通の占い師さんのとこがいいと思うよ…みたいにやっちゃってたってこと。振り返ると、その方たちは私に会いに来たくて、私と話をしたくて来てくれてたんだって、そのことに今さら気づいたわけです。そうなんですよね。駒込のサロンの時とかは、環境が良かったこともあって、「ここに来ると落ち着く」とか「アルマさんの傍にいると催眠波が出るのか、リラックスできる」って言ってもらえてたのに。その駒込から巣鴨を経て、今の江戸川橋まで着いてきてくれてた人もいたと言うのに。これでは依存になってしまうし、お金の無駄だし、いい加減良くないって、厳しい態度を取って突き放してしまっていた。

その時点で私は私が提供したいと思ってた、「来るだけで癒される、ホッと出来る空間」を提供出来ていたのに、自分が提供したいと望んでいた、過去に求めたものを実現できていたというのに…その人のためという別の視点で考えて、冷たく突き放したり、関係性を切り捨てる方向性にいつも働きかけていたんですね。

でも、それって自分が望んでいたものとは違う、別のものを提供することで、なりたかった自分ではない、別の自分になることでもあった。

そう気づけたんですね… ふと、そのことに。

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過去の否認は有害な態度である。
現在と戦い、未来を創造するには、
往々にして過去が最も有効な武器なのである。
                  byジュリアン・グリーン

なんかまあ、そんな感じで、何気ない平凡な日常を過ごしながら様々な気づきを頂ける日々を過ごしていたりします。

後悔しても今さら遅いと思えることでも、今だからこそ気づけるのであって、今気づけたことに意味があり、そしてこうして気づけたということは、まだ今ならやり直すのに間に合うということなのかも知れません。どうしてもっと早くそのことに気づけなかったのか…とか、なんて馬鹿だったのだろうと、そう悔やんでみたところで、多分こういう過ちや失敗を経験をすることが必然だったのでしょうから。それは相手にとっても、必要な経験であったろうという意味で。

そうですね。今から15年前にタレントであり占い師もしていた親友Yが、スピリチュアル・ナルシズム的なエゴイズムを暴走させて、結果亡くなるということがあったのですけど… その時の後悔と痛手が私を意固地にさせてましたね。何故、彼女の暴走を止められなかったんだろう。諫めることが出来なかったんだろうって、二度とあんな思いはしたくないし、あのような状態に陥る人を見たくないって、そんな自責の念から、私も暴走していた気がします。いつの間にか、そこを見すぎてしまうことから、何かを見失っていたのかな。

私は人をジャッジして、その人を変えたり矯正することではなく、ただ、生きる力や気力を失った人が、心の傷を癒したり、不安を解消して、ホッと一息つきながら、自分の力を取り戻せるまで回復するためのサポートがしたかったわけで。そのための場所として、訪れた人がその場にいるだけで、癒される空間としての「癒しの家」を提供することが夢だったはずなのに。

どこで間違えてしまっていたのだろう。いつの間にか、すり替わっていたというか、大切なことを見失っていました。それでは私の心が満たされることはないのにね。だって、本当に私がやりたかった、肝心のことが出来ていないんだから。

まぁ、でも、そうですね。霊的知識を教えることも、ヒーリングスキルを教えることにしても、今のようなスタイルのセッションという、サービスの提供にしても、それは確かに私の道であり、御役目であり、私らしいやり方なんでしょう。そこだけは間違いないかな。ただ、目的というか主旨がどこかでズレ初めてたんだなって思います。

立ち止まって、今を見つめて、そうして過去を振り返って、他人の言葉に耳を傾けて、自分の内側を見つめて、本心に気づいたり、魂の声に耳を澄まして…原点に立ち戻る作業をすることは決して無駄にはならない、貴重な時間です。忙しくないからこそ、出来る内的作業ですけどね。そのような時間をこの時期に人生から与えてもらっていること、このタイミングこそが必然なのでしょう。このまま気が付かないで通り過ぎて、勘違いして、物事を見誤ったまま生きていくことを考えたなら。

そして、明日にはまた何に気づけるのだろう。

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過去のことは過去のことだといって片付けてしまえば、
それによって、我々は未来をも放棄してしまうことになる。
過去をより遠くまで振り返ることが出来れば、                                             未来をより遠くまで見渡せるだろう                                                                                                                                byウィンストン・チャーチル
過去と未来は最高によく思える。 現在の事柄は最高に悪い。
                                                              byウィリアム・シェイクスピア
もしも私がこの人生を繰りかえらねばならないとしたら、
私の過ごしてきた人生を再び繰り返したい。
過去を悔やまず、未来を恐れもしないから。
                                                                byミシェル・ド・モンテーニュ


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