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土地のエネルギーとモノに宿るモノ⑤

※10年以上前に書いたblogの内容です

今年の関東の梅雨は空梅雨っぽいです。その分、九州に集中していたり。
私の親の田舎が鹿児島(大隅半島)なので、親戚とかは大変そうです。
昔の話ですが、台風の日に川に落ち、流されて亡くなった身内がいます。
桜島周辺は火山灰が積もり積もった地質なので、雨が降ると、泥んこぶりがハンパではないようで(ねばっとしています)・・・。

ちなみに天気予報には、本日の火山灰予報のコーナーも。
灰というと、焚き火の燃えカス的なものをイメージする人が多いと思いますが、桜島の火山灰はねちょねちょ。車に積もって雨降った日には、「ひぇ~!」です。洗濯物についたら、エライことです。簡単には落ちません。
私はバリウムのようだと思いました(違うか)。

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話を戻します。

こういう集中豪雨って、気象予報での前線がうんぬんかんぬん・・・という話なのですけれど、これも「氣」の動きなんですよね。気象という名の、大きな氣の流れ。気象という言葉がそもそも、「気を象った物」なんですが。

地震は「地」に蓄えられたエネルギーの発露の表れのひとつの形ですけれど、集中豪雨とか、台風ってのは天の氣の流れで、まさに風水(この場合、雨が水。まんまだけど)。ある土地に集中した被害が出てしまうというのは、これはその土地に澱んでいる氣、滞ってしまい、溜め込まれてしまったものを洗い流したり、浄化するために起きていると読みます。
もちろん、科学的には根拠がありません。陰陽道とか、暦に兆した占いなど星読みの見方からです。

平安時代なんかでは、天変地異は天帝の行いが悪いから、なんて解釈することが多いようですが(源氏物語とかの中では)。

集中豪雨、土砂災害は、土地の因縁の浄化のしどき、っていいますか・・・
地層深く埋もれてしまったものが、土地に埋没してあるものが、わさわさと出てくる合図というか、なんといいますか、

「まあ、そうなんですよ」

(それじゃ、わからんて?ええ、そうですね。わかりませんよね。)

「まあ、地下に蠢いてるものが、出せー出せーって、騒ぎはじめたなー」

そんな感じ。

もっと、解りませんよね・・・。

端的に言うと、
条件①「天の氣」と「地の氣」のバランスが崩れたとき
条件②「陽の氣」と「陰の氣」のバランスが崩れて、
   「陰の氣」が優勢を誇りだしたとき

    ※この場合の陽の氣とは、
     人間の感謝、喜びや愛など善の気持ち、
     陰の氣とは、怒りやよこしまや欲望、堕落した考えなど

といった氣の流れが大きく乱れたときに、天変地異(異常気象や地震、自然災害)が多発するようになる、と言われています。
(もちろん気象学とは関係ありませんよ。科学の見解じゃないので)


ちょうど、宮崎県でも一騒動あった後です。

南九州に起きているということで、「あ゛ーあれかー」と心当たりはあるんですけれど。『土地』から引っ張り出されるには、あまりにも古くて大きな因縁(集団想念)なので、今回だけでは済まないのでは?と心配にもなります。 自分が生まれた場所ですし、私の先祖の問題でもあるし、親戚も住んでるので、他人事ではないなあ、と。

でも、現実被害に遭われている人たちがいるのに、それは「天と地の大きな氣脈が動こうとしているから」なんて、そんなふざけた理由ですって、こうして書いてしまうことは、とても不謹慎なことなのかも知れないと思いつつ。

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さてさて。
身分制度が出来た背景の裏には、裏歴史と言われる、それ以前の民族の力関係が隠されていたりします。それは、日本神話、神道に関係することになりますけれども。

つまりは、後から大陸から来た神と、それ以前の神の対立。非征服民と征服民との関係。まつわろぬ神と日本書紀に出てくる神様の関係などなど。
(もののけ姫にも出てくるテーマ)

何故、先住民族であるアイヌの民や蝦夷と呼ばれた人々、沖縄の人たちが迫害されてしまったのか・・・その背景には、新興宗教であるキリスト教が、
古から続く多神教の異教徒たちを迫害し、改宗させ、身分の差別化を図っていく中で、彼らを主従関係の下へと追いやってしまったのと似たような背景があったりしました。

南九州には、その大陸からわたって来た新しい神と、その聖地、高千穂や霧島のある場所でありながら、まつわろぬ神の力を宿す場所。不本意にも謀反人として、まつわろぬ神として征服されてしまった、熊襲や隼人族の無念の「想い」の眠る土地・・・阿蘇や桜島は、そのまつわろぬ神たちの力の源泉であり、神そのもの。

少しずつ、少しずつ・・・土地もいろんなことを手放して、人間によって汚染されてきたものを手放す時期に来ているのでしょう。人的被害がなるべき少なく済むようにと、その地に居ない者は、ただ祈るしかないのだけれど・・・。

私たち人間が、地上において、その土地の上で、犯してきたたくさんの愚かなこと・・・戦争という名の集団での大量殺人、いさかい、復讐、いがみあい、欲望や執着、本能、猜疑心が産む、様々な醜いドラマたち。何百回と生まれ変わっても、文明が変わり、そこに住む民族が変わり、国の名前が変わっても、芸術が生まれ、科学が進み、技術が進んでも・・・人間がやることはいつだって変わらない。同じ歴史と愚かな過ちの繰り返し。

土地に「刷り込んで」しまった『負の想念』を、物質に例えるとするならば、地中深くに埋められてしまった産業廃棄物とかダイオキシンのような、
後の世代に憂いと悲劇を残す、汚染物質みたいなものなのかも知れません。

そういえば、
南九州(熊本)では、水俣病なんて悲劇もありました。

子供の頃、鹿児島までの夜行電車に東京からたまたま乗り合わせ、熊本で降りられた女性が、「水俣の出身なのよ」と悲しそうな瞳で仰っていましたっけ。ちょうど、あの騒動の最中でしたけれど・・・。

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土地って、今私たちが住んでいるスペースだけではなくて、その下にたくさんのものを宿らせ、眠らせていたりします。

考古学において発掘をするとき、『地層』によって埋葬物の年代を特定することからも分かるように、同じステージというより、その下にはたくさんの歴史、過去が埋まっています。まさに人類が「積み重ねて」きた軌跡。

(私たちの上に未来があり、現在(いま)はやがて土に埋もれて、過去になっていく)

『土地』のエネルギーに関わる問題があるとき、ときに、触れると大変なことになってしまうものも多いです。だから、『土地』が絡むことは、とても慎重にならないといけなかったり。生半可なことをすると収集がつかなくなって、余計なものを『呼び起こして』しまうことになるので、下手に手を出せないことも多いということです。

土砂が崩れ、山が崩壊していく最中の映像(TV)を見たとき、地中深く埋まっていた、大量のエレメンタルたちが空中に放出されるのを見たことがあります。とてつもなく澱んだ恐ろしいもの。地中からメタンガスが湧き出るような(本当にガスだったりして?)。

そういう意味で、自然の形で存在する山を人為的に壊す(崩す)ことは、
とてもおっかないな、と思いました。自然災害で壊れても、そう。
泥流だけでなくて、いろんなものが出てくるので。

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多くの人が、トンネルを怖い、と思うのは、出口が遠いとか、自然光がなくて暗いとか、そういう理由だけではなかったりもするのかも知れません。

さて、私は地下鉄が苦手です。乗らないわけではないけれど、出来るだけ山手線でいけるところは山手線で行きたいと思うクチ。

都内の地下鉄は、地下を掘ったから、というのとは別の理由で、はっきりいって、とても澱んでいて、汚染がひどいゾーンだったり。地上も地上だけど、地下はひどいなんてもんじゃないのですね。

丸の内線はキレイなほうですけど、Y線、HB線、G線、HN線は特にひどい。それは、地下という『太陽光』の入ってこない場所で、『風』も通りが良くなく(換気はされているけど)、自浄作用が働きにくい場所だということがまず第一かと。

で、そのせいもあって、毎日乗ってる人々が電車の中やホームにて、二酸化炭素と一緒に脳内から排出している、『マイナスの想念』が大量に堆積してて、全然浄化されてないってのがあったりします。

「疲れた」「会社行きたくない」「もう辞めたい」
「あの上司頭くる」「仕事キライ」「不安だ」「お金が足りない」
「バカヤロー」「学校やだー」「だりー」「しんどい」
「先公ふざけんな」「もんもんとする」「イライラする」とかとか・・・。

そういう、通勤・通学・移動の途中にて、人が「想う」ことが累々と、電車の中や地下鉄の構内を汚染してしまっているので。残念ながら、陽の氣(楽しい想念)より、陰の氣(邪念や醜い想念)のほうが圧倒的。

私としては、まるで下水道の中を歩いている気分になります。
肥溜めに落ちた気分?

都会の人込みの雑踏を歩くことで疲れて、家に帰って体が重い、というのも同じ理由ですね。街中にある、澱んだ氣(邪気とも言う)が身体にくっついてしまったことに無意識的に皆、気づいているから。目には見えないけど、気分的な「重さ」として、人はそれを認識している模様。

それが錯覚であるにせよ。
「人込みって疲れる」と・・・ほとんどの人が言うように。

とはいうものの、汚れている場所は「地下」だけじゃないわけですね。

さて、この話の続きはまた改めて。とぅーびーこんてぃにゅー

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