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火を避けて水に陥る

先日、「TRASHED-ゴミ地球の代償」という映画を観てきた。
環境ホルモンのこと、ダイオキシンに海洋汚染。
実にいろいろと考えさせられる内容だった。

地球の未来は決して楽観的ではないのだと。戦争による破壊とか、放射能汚染の問題よりも、ゆっくりと確実にそれらは私たちを侵食している。

平日の昼間のせいもあるが観客はわずか四人。

まあ、地味なドキュメンタリーなんで、映画館で上映されるよりもスペシャルとしてテレビ放映されたり、環境問題をテーマにしたイベントやシンポジウムで取り上げられるがふさわしく、わざわざ1800円出して観にいこう、なんて・・・難しい映画かと。

たまたま同時期に、近いテーマの「もったいない」もあったり。これは観にいくとしたらこれからなので感想はいずれまた雑談ブログの方で。

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ちょっと前のニュースで、

 "給食のパンに小バエがついたものを、
 ハエを取った上で問題ないとした。
 しかして、その対応は不衛生で問題がある。"

みたいなことを読んだ。

イマドキのことだから、仕方がないというか当たり前のことだが、
これが時代の変化というものなのだな…と改めて。

某智恵袋の質問にも、

"自宅で作った無農薬・有機野菜をくれる人(あるいは姑)がいるのだが、
 虫がついている野菜を送ってくるなんて信じられない、非常識だ!"

みたいな無知なことを言っている人がいて、目が点になったり。

いやさ、虫がついている野菜、それって安全てことなのに。むしろ虫がついていない(虫も食わない)野菜のほうが、どんだけ問題で有害ってことか、知らんのか???・・・と。

農家の人は、市場に出荷用の野菜や米と、自宅で食べる野菜と米を分けていたりする。もちろん市場に出せない野菜(規格外)というのもあるのだが、それ以上に、自宅用のものは農薬を使わないというのがわりと当たり前で。

そりゃ私も都会っ子?のはしくれなんで、植物を育ててはいても虫は得意ではない。子供の頃は、カマキリもクワガタもカブトムシも手づかみしたし、
団子虫を転がして遊ぶこともしたし、ザリガニも釣ったり、捌いたりしたれけど、大人になってからは機会がないこともあり、今はたぶん出来ない。

蒸した栗の中から虫が出てきてオエッとなったり、ツツジの蜜を吸って、口の中に入ってきた蟻にゲホッってなったりも、あったなあ・・・間違って食べちゃったりもしたし、蟻・・・遠い瞳。

うん。昔は野にあるものを普通に食べたりしたもんです。
野原にあるツクシを採ったり、フキをオヤツ代わりに食べたりね。野イチゴとかも摘んで食べたし。家に持ち帰るときは洗ったけど、大体がそのまま洗わずに食べたもんです。ちょっと拭いたり、土や砂を落とす程度で。水辺や川があれば洗ったんでしょうが、無かったので。

まあ、下手したら、下痢もしましたがっっっ笑

私はいちおう都会っ子(強調)なんで、山にあるものはご縁がなかったけれども。山育ちの人は、ドングリとか椎の実なんて採って、炒って食べたとか。
山菜やキノコや筍だけでなく、山葡萄とか、いろいろ。親の世代はそうですよね。

蓬もその辺に生えてるの摘んできて、餅も作ったし、
野蒜とかね。野草も摘んだりした。ただワンコのお小便が掛かってた可能性は否めないので、確かに衛生的にはよろしくなかったですねっっ 

でも、いつの頃からだろう? その辺にあるものを採らなくなったのは。

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で、ハエ。
今でこそ、あまり見かけなくなったけど、昔はたくさんいて。

トイレが当時はどっぽん式(汲み取り)だったというのもあるけれど。

食卓には必ずハエ取り紙というのがあり、粘着質のシートにハエがペッタリと着いているのを尻目に、私たちはちゃぶ台でご飯を食べたものです。

それでも、ハエが食べ物につかないように、色々と気はつけていましたよ。

でも、マジメにビックリしたのが親の田舎に帰ったとき。ある意味でその時代の私にも、たくさんのカルチャーショックがありました。

父方は山も何個か持ってて、手広くやってた農家なんで、コメと麦と野菜と、養蜂もだし、畑の肥やし用に牛、自宅食用に鶏も飼ってたり。
するってーと、ハエさんがたくさん。まるで培養でもしてるんですか?ってくらいに、その襲撃は年中無休。

取り替えても取り替えても、ハエ取り紙は常に真っ黒。
すでに張り付く場所もなし(学習能力つか危機管理能力がないらしい)。

で、信じられなかったのが・・・食卓に呼ばれて、全身が硬直。
なんと、ご飯にハエが、ビッシリ。ブンブン飛んでいて、とまる隙を狙っているどころか、既に食べ物がハエの休憩所に。

「でええええええええ~!」

いちおう都会っ子の私。
必死こいて、ハエを「シッシッ!」と払いのけますが・・・

いやさ、もうね。手遅れなんですよ。
食卓ついてから格闘して死守したとしても、
ここに来るまでに後の祭りで着地されてるから。

ありえない・・・。

でも、その家の家族たち・・・
叔父や叔母たち、イトコたちは我関せずで食べてるの。

最初はもーこんなん食えないよ、とゲッソリしていた私ですけど、
それが当たり前の環境だと思うとね。感化されていくもんです。

慣れるって怖い。

でも、叔父が養蜂箱から、ハチミツまみれの幼虫を出して、ミツバチぶんぶん飛ぶ中、「食うか?」と差し出されたとき、幼虫の気持ち悪さに、「いらない!」と首振ってもーた。

そして、私たちが着いたとき、やってきた私たち一家を見て、叔父が、

「あー 今夜は鳥刺しだなあ」と言った瞬間に、
手にした鎌をその辺でエサを突付いていた鶏の首に一撃。

頭が勢いよく飛んでいき、胴体のほうはプシュ~っと血を拭きながらも、
トコトコ数歩歩き・・・パタッと。

「ひぃーーーーーーーーーーーーーー! おーまいがっ!(な瞬間)」

それ見ちゃったら、夕飯に出された鳥が・・・食べれませんでした。

ショックで。

ちょっとトラウマになったなあ。

でも、これが自給自足というか、食べていくには当たり前なことというか、
本来のありかた・・・食糧生産事情なんだよね。

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うん。

私たちの代わりに鳥や豚や牛や羊を殺して、捌いてくれるということをしてくれる人がいるお陰で、私たちはショックを受けずに、肉を調理できてる。

スーパーで、もとの原型が判らぬほどに、キレイに切りそろえられて、パックの上に並べられたロース肉やバラ肉や○○用の肉たち。

それらが、もともと命であり、どんな形をしてて、どんな生き方をしてて、どんな最期を迎えたか、死ぬときに涙を浮かべたことも、私たちは知る由もない。

(私の母が戦時中の食料難のとき、山で獲れた猪を丸々一匹捌いたことがあるそう。涙がちょちょぎれるほどキツイ作業だったとか・・・)

そもそも、「野菜に虫がついているのはヘンだ、不潔だ!」
なんて言っている人たちは、
食べ物がどうやって作られるのか、知っているのだろうか?

昨今ではトイレも水洗化が進み、
衛生上の問題から人糞は使われることも無くなったけれど、

かつては、汲み取りトイレの肥溜めから、ソレラは肥料として畑にまかれ、
我々はそこから採れた野菜や米を食べるのが普通だったということを。

人から排泄されたものが野菜を育て、ソレを食してまた排泄というリサイクル。何千年も前からずっとずっと、最近まで続いていたことなんだよ。

お陰で、雨が降らず畑が乾燥したときには、
大量のコットンが畑にお目見えすることとなった・・・

なんてのも、知らんだろうなあ。

(今は水洗だから別個に捨てるけど、昔はそのまま捨ててたわけです<生理用品 つまりは生理用品についてたモノも野菜の栄養に)

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荒川弘さんの「百姓貴族」は、ラフなエッセイスタイルながら、今の日本人の昨今の食糧問題に対する無知と無関心さに対するブラックユーモアと風刺がてんこもりですごく面白いんだけど、

この本の中に、じゃがいも畑のオーナーを募集して、収穫した商品を送ったものの、規格外品が多かったために、
「こんなクズイモ送ってくるってどういうこと?」「だまされた」
とかクレームつけてくる人ばかりで、
オーナー制をやめてしまったという農家さんの話が出てきまして、

野菜が人口の工業製品のように、常に同じ形をしているって、
思い込んでいる人ばかりなんだって事実に唖然ともさせられたり。

私から言わせれば、きゅうりはいつからまっすぐが当たり前に?・・だし。
逆にいつも同じ形で野菜を作ることができることは奇跡の技だと思うし、
農家の人のすんごい努力あってのことなんだと、痛感させられる。

でもさ、昔はもっと野菜は美味しかったよね。形もいろいろバラエティー豊かで、不ぞろいだったけど。ここ20年くらいで野菜はめちゃくちゃ味が不味くなった。一年中、どの野菜も果物も手に入るってのが、ありえないことでもあるし。

私たちが必要とし、それがないと生きていけない食べ物。

それらが本当はどんなもので、どんな風に作られるのか・・・
どんだけ大変で手間がかかる作業なのか・・・
知りもしないで、あーだこーだ無知から色々言う人が多くなったなあ、と。

文句があるなら、自分で一度作ってみようよ、と思ったり。

簡単に捨てたり、汚いとか、キレイだとか、言う前に。

私の子供の頃は、痛んだ食べ物だって、カビが生えた食べ物だって、
その部分を切って捨てて、洗って食べたもんです。
丸々腐ったものはさすがに・・・ですが。

くんくんと臭いをかんで、「おし、まだ大丈夫だな」と判断し、
火を通せば大概のものは大丈夫だと・・自己責任で食べたものです。

食べ物を残したり捨てるのは、罰当たりだって認識もあったせいだけど。

給食の残りも持って帰って家で食べたし、学校休んだ子のところに、おかずは無理だけど、パンとかデザートとかは誰かが持っていってあげたものだし。それが当たり前だったんだよね。食べ物って大切にすべきものだったから。

いつの頃からだろう?日本人がこんなに食べ物を粗末にするようになったのは・・・? 過剰に賞味期限とか衛生とか、気にするようになったのは。

バイキンに対して、過敏にうるさくなって、規格外とか賞味期限が過ぎたとか、市場での価格調整だとか、異物混入したとか、なんだかんだで、食べ物が簡単に廃棄処分されるようになったのは?

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ゴミもね。本当にすごいことになってる。

私の子供の頃は簡易包装だった。今でこそ、エコバックとか何とか言ってるけれど、当時は、自前の買い物カゴを持参して買い物するのが当たり前で。
ビニール袋なんてなかった。せいぜい紙袋。
(なので中で卵が割れたり、水物が破損すると破けるという欠点が)

肉屋で買い物すれば、簡単な包みに肉を包んで渡してくれるだけ。
魚だってそう。完璧に包まれていなんかなかった。むしろ剥き出しに近い状態での買い物。せいぜい新聞紙に包まれている程度で。

どんなものも、ほぼ現物まんまで買うのが普通だった。

お菓子とかは箱や缶に入ったり包装されていたけれども。牛乳は牛乳瓶。豆腐は豆腐屋さんから、直にボウルに入れてもらって。おでんだって、鍋持って買いにいけばそのまま火にかけられる。

毎日のおかずになるものを買うのに、
出るゴミは燃やせるものばかりで、庭で燃やせばそれで済んだ。

でも、今は何を買うにもパック詰め、ラップ、ビニール当たり前。
箱を破って紙をやぶって、またビニール・・・

そして、これらの過剰包装のツケが、ゴミ問題として、
私たちの環境を汚染している。

身の回りのバイキンに神経質になりすぎて、それらを食べ物から駆逐しようと、衛生的で安全なものを求めすぎた結果、私たちは有害なゴミを増やし、大地と海に毒を撒き散らし、それらが食物連鎖を通じて、私たちの身体に戻ってくるという、悪循環を生んでいる。

大腸菌やカビを敵と見なしすぎてしまったばかりに。
大腸菌やカビよりも恐ろしいものを地球上に生み出し、

安全だと信じ、衛生的であるものと疑わない食品を通して、毎日それらを少量ずつ、確実に体内に取り込み、未来の子孫たちにツケを払わせようとしている。

なおかつ食料自給率40%のこの国。

お金を払いさえすれば、好きな食べ物が出てくる・・・と、その材料となる食料のこと、命の重さを知らない人たち、食べ物をありがたいとは思わず、大切にもせず、簡単に捨てることを覚え、いくらでも作れると信じ、食べ物を作ることがどういうことか知らない人たちが、増えつつある今日この頃。

「百姓貴族」の話ではないが、
北海道が独立してしまったら、本当にどうするんだろう?(笑)

農家の人が、「やーめた」と作物を作るのを辞め、酪農家の人たちが牛乳やバターを作るのを拒否し、畜産業の人たちが牛や豚を飼育し、食肉に加工するのをもうイヤだとやめてしまい、漁業の人たちが船に乗るのを、漁をやめてしまったら?諸外国が日本に食べ物を売るのを拒絶したならば??

水はタダ同然だと皆タカをくくっているけれど、日本て国は皆が思うほどには飲み水はなくて、外国からの輸入に頼っているわけだけど、それらが手に入らなくなったら??
いま、日本の水の源泉となる山は、ほとんど外国の人々が買い占めていて、
考えなしにその水源地となる山林を手放しているという現実を何人の人が知っているだろうか??

うん。

一杯の水、一握りの米や小麦、もとは一匹の命だったカルビ肉のこと、遠い海で取れた魚たちのこと・・・腐敗してゴミになるために、捨てられるためにそれらは作られたんじゃないということをもっと皆知る必要がある。

ゴミに関しても、食べ物に関しても、
もっと知識を持って、そしてシンプルになるべきだと思う。

私たちは必要でないもののために、必要なものを失い、狂信的な衛生神話で潔癖かつ神経質になりすぎたがために、人体に有害な恐ろしいものを生み出し、それらに対しては無知で盲目的でさえある。

私たちは自分で自分の首を絞めているという事実に、そろそろ気づくべきだ。

追記: こちらかなり以前、数年前に書いたもので、コロナ禍の今となっては感染対策が優先されるべきであるため、衛生に対する観念や対応など、状況が異なっています。ただ、感染対策はなされるべきですけれども、過剰に行き過ぎている点や飲食業や観光業の打撃と低迷によるフードロスの問題については、引き続き考えていくべき問題であるとも思います。

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The Sacred Journey ~スピリチュアル・セラピーの現場から
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