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N.S.P - 夕暮れ時はさびしそう - 1974

高校の時、何処か部活に所属しなくてはいけないって時に、とりあえずギター部…にしたわけです。

いやさ、楽器はからっきし才能無しなわけですが…
なんでだろう。成り行きで? 他に入りたいのも無くて。

結局、所属していただけといいますか、数回出ただけで行かなかったけどっっ

その時の新入生の練習曲として、先輩たちから与えられたのがこの曲だったのです。

私的には「え゛っー!」でしたけどっっ汗

うん。どうせなら別の曲が良かったなあ…みたいな…
弾けないクセに、そして何よりもやる気なかったクセに、
ナニ文句つけてんの!って感じですけども。

「夕暮れ時はさびしそう」1974

でもまー ハードロックとか絶対無理なんで、どうせフォーク(アコースティック)の曲弾かされるなら、アリスのチャンピオンとかが良かったなぁ~

結局、イントロのとこしか弾けなかった

いずれにしても無理だったと思ふ。
ピアノも挫折したし、まともに出来る楽器は、木琴とオルガンとカスタネットとリコーダーと言うていたらく。

さてさて。
そんな私が「え゛ー この曲が練習曲なのお」と、いっちょ前にブーイング垂れて文句つけた曲のバンドたるNSP。
もちろん、存在自体は知っておりました。いやさ、詳しくは知らないし、聴いてはいなかったけれど。

でも、部活の練習曲に取り上げられる程度には、私の先輩世代にわりと人気があったバンドって感じかな。

ちなみに叙情派フォークと言うらしいです。

さてさてNSPは岩手出身の三人組フォークバンド。結成は1972年で、サディスティック・ピンクという名前だったそう。別のバンドと合併したときに、ニュー・サディスティック・ピンクと言う名前にしたらしいのですが、ロックからフォーク路線にしたことで、フォークバンドにこの名前はちょっと合わなくね? みたいになり…頭文字だけ取って、NSPとなった模様。

1973年に第五回ヤマハポプコンにて「あせ」でニッポン放送賞を受賞。

で、

「さようなら」1973

この曲でデビューしました。

「ひとりだちのすすめ」1974

んでもって、「夕暮れ時はさびしそう」がヒット。

「雨は似合わない」1974

「ゆうやけ」1975

NSP &Char「ゆうやけ」2007 新宿厚生年金会館

チャーが、一緒に歌ってる動画があったりして感激ー

「赤い糸の伝説」1976

この曲もヒットしました。

「線香花火」1976

「面影橋」1979

面影橋(都電荒川線の駅)を舞台に作られた歌は、かぐや姫の「神田川」があったりしますが、この曲もなんだな。
して、面影橋、近くです。いやさ歩くと30分は掛かっちゃいますけどね。バスだと10分掛からないかな。

「遠野物語」1982

でもって、1980年代になってから、メンバーそれぞれが作曲、ソロ活動など多忙となり、オリジナルメンバーの中村さんが脱退するなど色々ありまして、解散することに。

2002年にオリジナルメンバーで再結成して、復活コンサートを開催するのですが、チケットは一時間で完売したそうです。

ちなみにどうでもいいことですが、一時期だけ在籍していた澤近さん、知人のはるさんの娘さんのキーボードの師匠で、なおかつ彼のライブの時のバンドメンバーとしてたまに参加されていたりしてっっ 後で知って驚いた、たまげた。
世間って狭いわ。

「水のせいだったんです」2005

19年ぶりのシングル発売後、同年夏に天野さんが脳内出血で他界されます。そんな感じで永遠の解散となりました。

そして、全員が岩手県一ノ関市出身という事と、曲の舞台が一ノ関市内を流れる磐井川の河川敷だったりすることから、JR一ノ関駅の発車メロディーに、「夕暮れ時はさびしそう」が使われてたりします。

JR一ノ関駅発車メロディー「夕暮れ時はさびしそう」

東北新幹線 一ノ関駅発車メロディー

そんな風にいい曲と言うのはいつまでも世に残るものです…と秋の世にしんみりと。


F2blogに書いてあるものを、訂正・加筆・リンク修正の上、こちらに再度マガジンとしてまとめてUPしています。

「My Favorites〜音楽のある風景」
 2021/10/26 掲載記事より転載


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