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利を見て義を忘れる

人を待たせるということは、
その人を大切にしていない証拠。
あなたの時間より私の時間の方が大切ですという
無言のメッセージである。
             by 松下幸之助

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メールの返信をしない人がいる。

多忙だったり、精神的ゆとりがなかったり、あるいは返事をわざわざするほどの内容ではないとの判断か、COやFOをしたいという無言の意思表示でなのか、もしくはわざわざ返事を返さなくても、以心伝心で通じ合っているから大丈夫との思い込みか、迷惑で無視しているというだけなのか…

その理由は判らない。

借りたものを返さない人がいる。

それが誰かからの借りものであることを忘れてしまうのか、もらったものであると勘違いするのか、それとも、相手にとっては他人に貸せるほどの対して価値のない、捨ててもいい程度のものと思うのか、モノであっても心の貸し借りであり、信頼あっての好意であるということが理解できないのか、

きちんと返さず、有耶無耶にしてしまう人の何と多いこと。

待ち合わせの時間や約束を守らない人がいる。

遅くなるという連絡もせず、相手が納得するような説明はそこになく、遅れても悪びれず、謝罪の言葉はとても軽々しく、相手の時間を奪っているということに無頓着で、その時間を楽しみにしている人の気持ちを、自分が踏みにじっていることすら気づかない。

他人の気持ちや都合など一切お構いなしの人。

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そういう人たちは、

たいてい自分の都合の良いときだけ、気が向いた時だけ連絡してきて、
相手がどうしているか何てことを訪ねようともしない。他人や友人たちが今どんな状況に置かれていて、どんな悩みを抱えているのか…なんて、そんなことを知ろうともしない。

「どうしてるの?」「元気なの?」・・・と、相手を気遣うだけのコンタクトなど取ることはなく、何か助けがいる状況にあったなら手を貸そうというスタンスで、他者と交わろうとも、関わろうともしない。

相手が病気で倒れていようが、辛く苦しい現実に押し潰されて死を考えていようが、無関心で自分には関係の無いことと思うのだろう。

連絡を取らぬ間に相手が死んでいたとしても、きっと心の端にも掛からず、動じないのだろう。ネットのニュースの遠い誰かの死を聞くのと同じ重さでしかなく。

必要なメールの返信もせず、貸したものを返さず、遅刻魔で、約束にもコミュニケーションにも底なしにルーズで、おまけにケチで、自分のためだけにお金を使って、他人のためにお金も時間も使わず、恩を仇で返すばかりか後ろ足で砂をかけることをする人。

そうした人を何人か知っている。

得てして、そういう人はスピリチュアルなことに関わったとしても、途中で脱落するか、道を見誤って間違えていく。スピリチュアルを、社会不適合者たる自らの正当性を主張する言い訳にして、自分ではなく社会の方が誤っているのだと、批判をするがために都合よく利用して。

人と人との間で大切にすべき、守るべきものを大事にしない人、義や忠を守らない人、愛や思いやりを持たぬもの、他人に対して不誠実な人は、謙虚さのかけらもないから、自らのスピリチュアルナルシズムの罠にかすめ取られて、「七つの大罪」の前に堕落するか、精神を病んでいく。

時に命さえも失うことになって・・・

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このことを書くには迷ったし、
多分彼女は自分のことを書かれるのを歓迎はしていないだろう。
それでも書いてしまう私は酷い友人かも知れない。

親友だったYが亡くなったのは今から十数年も前のことだ。

同業の彼女と出会ったのは友人の紹介だったが、初対面から気が合って、互いにシンパシーを感じ、まるでずっと昔からの知り合いだったかのように意気投合した。(実際、彼女と私は姉と妹だった時があったのだが)

仕事を掛け持ちしている多忙な彼女のこと、あまり頻繁に会う時間を作ることも出来なかったが、それでも近況をよく電話で報告し合ったし、お互いの愚痴や悩みの相談を一晩中朝まで話すこともあった。

彼女はDJやナレーターとしての仕事も抱えていて、メディアに出ることもある人だった。

いつからだったろう。
彼女の中で、向上心や仕事への焦りが、
嫉妬や傲慢さ、高名を得たいという欲望に代わっていったのは。

「私のほうが、アルマよりも当たるんだからね」

そんなセリフをヒステリックに口にして、マウントを取ってくるようになった頃、彼女は色んなことにルーズになっていった。

仕事優先で、ドタキャンは当たり前。

「明日遊びに行ってもいい?」と連絡してきて、食事やもてなしの支度をして待っているものの、昼を過ぎても、なしのつぶて。
「あと一時間くらいしたら」という連絡があっても、夕方になってから、
「ごめん、やっぱり仕事が入った」という。

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そうした不義理をされたのは私だけではなく、昔からの友達、いわゆる利害関係のない人間すべてが、彼女の私生活での優先順位から後回しにされていった。

それは彼女と共に暮らし、生活のすべて(金銭的なことも)を支えてきた、
長年の恋人に対してもそうだった。

ラジオ番組でのアンケートというか、人気投票のようなものをお願いするときだけは、しおらしく頭を下げて、マメに連絡をしてきたりする。
なんかちょっと違うんじゃないかって、そういうヤラセ的なことは良くないよって・・・止めても聞くことは無かった。

私は随分と口を酸っぱくして、彼女にお説教をした。あーでもないこーでもないと、色々と諫めることを言った。でも、この頃には何を言っても、聞くようなふりをして、はいはいはい、で流されていたように思う。

やがて彼女は結婚をした。だけども、それは彼女が婚約者と言っていた、
同棲相手たる恋人ではなかった。

きちんと納得して別れたわけではない。彼女が彼を捨てた形になった。

それでも私たちはまだ親友でいられたので、
結婚式にも出席した。二人はとても幸せそうだった。

彼が、元カレに対して彼女がしたことを知っていたかどうかは知らない。

相手の親は結婚祝いに新築のマンションを二人に贈った。

やがて彼女は妊娠し、経済的にも恵まれて、あれほど認められたがっていた仕事のほうでも、同時に忙しくなった。

相変わらず他人に対して、気まぐれで、そして仕事の名声に対する執着も激しくなって、彼女の傲慢な態度や言動に対して、相変わらず私も言いたいことを口うるさく言っていたが、彼女には、すべてが上手く行っている彼女に対しての、私の焼きもち、羨望と映っていたようだ。

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そんな時、決定的なことが起こった。

彼女のホームページの掲示板に、
一見、誹謗中傷とも取れる辛辣な書き込みがあったのだ。

というのも、その少し前に、彼女の旦那さんの浮気が発覚したのだけれど、
どうして判ったかというと、彼女曰く、
「天使が夢枕に立って教えてくれた」というもの。

何でも寝ているとき、天使が枕元に立ち、ふと目を凝らすと、旦那の浮気現場の映像がリアルに見えた、そうなんである。
(そして帰宅して問い詰めたら、あっさり白状した)

して、こともあろうに、
彼女はこのことを自分のサイトの日記に書いてしまった。

それを読んだ私は、すぐに彼女に電話して削除するように伝えた。匿名の掲示板でもないし、多少なりとも職業上において、名のある人物の公式サイトだし、これから保育園だの学校だの通う子供のこともある。いくら旦那さんがしたことが赦せないことだからといって、恥を全国区にさらしていいわけではない。

しかし、それに対しての彼女の回答は、

「アルマ、私には天使がついているのよ。私は天使が見える人間なの・・・
天使は私に、夫の浮気現場の映像を見せてくれたの」

いかに自分が天使と繋がれる、選ばれた素晴らしい能力の持ち主であるのか、そういう慢心さに酔いしれていた。

ああ・・・ダメだ・・・もう彼女は誰の云うことも聞きはしない。自分が真実を見抜いたとばかりに自信をもってしまって、自らを省みるようなことはしないだろう。

そんなあきらめを抱いたことを覚えている。

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そして、掲示板の匿名の書き込みは、Yが、今の名声をまるで自分一人の努力と力で手に入れたようにのたまわっているけれど、たくさんの人を踏みつけにして、善意や恩を仇で返して、色んな人を振り回して、義理を尽くさず、不誠実にふるまって、他人を利用するだけ利用して…と、彼女がこれまで周囲の人にしてきたことを責め、旦那さんに浮気された現場を透視したとか、さも自分はすごい能力の持ち主であるかのように言ってるけど、そうやって相手の過ちをネットで辱めて、楽しいですか?と…因果応報で自業自得であるとは思わないかなどと、そういうことが書かれていた。

私がこれを知ったのは、彼女の電話からで、電話に出るなり唐突に、

「あの掲示板に書き込みしたのは、アルマでしょう!」と、
一方的に確認もせず、罵られ、叫ばれ・・・

まあ確かに、私が常日頃、いやさ以前から彼女に対してお説教というか、アドバイスやら、私が警告していることと、ほぼまったく同じ内容のことだったから。

いの一番に疑われたのもショックだったけれど、何よりも、ここまで言われていても、彼女自身が自分にも悪いところがあるという想いには至らず、何故このような復讐をされたのか、その原因を考えようともせず、指摘されたことの一つひとつ、我が身を振り返らず、ただひたすら、書き込みをした人を憎み、騒ぎ、犯人捜しを始めたときにはもう、ただ悲しくて。

そして書き込みをした人は、
彼女が手ひどく振ってボロボロになった元カレを支え、結婚することになった人だったのだけれども・・・でも、元カレはともかく、その人に逢ったことはないにしても、私もその内容には同意というか、本当にその通りだと思ったし、彼女の仕打ちに対して、そこまでしたくなるのも、そういいたくなるのも痛いほど解ったので、責める気になれず。

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で、結果的に誰が書いたか分かったということで、私を犯人扱いしたことに対して、Yは誤ってきたのだけど、その時点で、相変わらず彼女は相手のことばかり責めていて、自分が誰かを傷つけてきた事実と向き合いもせず、元カレの気持ちや、そこまでのことを言いたくなった、その奥さんの気持ちを汲み取ることもせず・・・で、

これは赦してはいけないな、と。

そんな風におかしくなってしまう前のYのことはとても好きだったし、
たくさんの楽しい思い出もあり、見捨てたくない気持ちもあったけど・・・私が突き放したからと言って、それで傷ついて、反省することも、自らを振り返るという保証もないけれど…

それでも笑って許して元通り…っていうのは、
簡単に赦してしまうことは…彼女に良くないように思った。

それが今生の別れとなった。

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その年の暮れに、彼女はガンになった。わずか2か月の闘病生活で、彼女は旅立った。幼い子を残して。

肝臓ガンだった。若いから、進行は早く、あっという間だったとのこと。

彼女の死を聞いたとき、私はもっとなんで早いうちに彼女の考えの誤り、
人としての道に外れた行動や生き方を、もっともっと強い口調で、うるさいと言われようと、何と言われようとしつこく言い続けて、おかしいものはおかしいと、叱り続けて、嫌われようと避けられようと、耳にタコができるまで、訴え続けることをしなかったのかと心の底から悔いた。

なんて言われようと付きまとって、もっと人を大事にしなさいよって・・・

もっともっと周囲の人に対して誠実にふるまって、感謝をして生きることをしなさいよって、どんな関係も大事にしなさいよって、

そういう人としての大事なことをどうしてもっと、彼女に伝えられなかったのか、身近にいて教えられなかったのか、そういう影響を与えられなかった自分が歯がゆくて、それが出来なかった自分が悔しくて、ただ泣いた。

今もそういう、彼女に似た人を見るたびに、何も出来なかった自分を思い出し、何も出来ない自分に絶望し、がっかりさせられる。

他人を変えることは誰にも出来ず、
他人を救うことは誰にも出来ないと知っているけど・・・

その人が求める以外のアドバイスも出来ず、くぐもった瞳を持つ人の目を覚まさせるような、そんな圧倒的な説得力のある言葉も人徳も、自分にはないこと、とっくに思い知っているけれど・・・

スピリチュアル・ナルシズムに囚われ、エゴイズムの波に溺れている人をたくさん見るたび、自分の非力さの前にため息をつくしかない。

Y・・・いつかまた別の人生で出会う時があるのだろうか。
その時は私は少しでもあなたに良い影響を与え、耳を貸してもらえるような、実になる言葉を語れるようになっていたいとただ願う。

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