見出し画像

Mi-Ke - 想い出の九十九里浜 - 1991

懐かしいな 「夜もヒッパレ」でしたっけね??
「ザッツ・宴会テイメント」の方だったか??

逸見さんと三宅裕司さんが司会で、この番組のアシスタントというかマスコット的に出ていた時に、グループ名をつけられたんでしたっけね。

最初はB.B.クィーンズの音楽コーラス隊、
「B.B.クィーンズシスターズ」の一員で…

三宅さんの番組「いかすバンド天国」出身の、「たま」というバンドがいたので、そこからミケということになったかと。

「想い出の九十九里浜」1991

千葉県出身者としては、九十九里浜は定番中の定番。中学生が友人同士で行く海水浴場として、御宿も外せませんがっっ

けど外房は波が荒いのです。パンチ効いてます。でも、内房の綺麗な海、館山とか白浜とかは、ちょっと遠いからね。

して、千葉県民としてツッコミ。
九十九里で朝日は見れても夕日は見れませんっっ

そしてサウンドは完全にGS。はい、GSリバイバルプロジェクトってことだったらしいです。

「想い出の九十九里浜」は、「恋のフーガ」のパロディになるのかなぁ…曲のタイトルはたくさん出るけども。

「恋のフーガ」1967


「好きさ好きさ好きさ」1991

セカンドシングルですが。
てなわけで、これはカーナビーツ。

「好きさ好きさ好きさ」1965

最初にちらりと登場した、土居まさるさんが懐かしス。

「ブルーライトヨコスカ」1991

歌詞とタイトルは「ブルーライトヨコハマ」のアンサーソングですが、メロディは「夢見るシャンソン人形」や「急がば廻れ」のサンプリングですね。

「ブルーライトヨコハマ」1968

いしだあゆみさん若いっ 
ちなみに歌手になる前は、フィギアスケート選手でしたね。

France・Gall「Poupée de cire, poupée de son / 夢見るシャンソン人形」1965

The Ventures「 Walk Don't Run / 急がば廻れ」1960


「白い白いサンゴ礁」1991

様々なフォークソングのヒット曲のタイトルを、順列組み合わせた歌詞でした。

「サーフィン・JAPAN」1992

タイトルは、
ビーチボーイズ「サーフィン・U.S.A.」のもじりですね。

The Beach Boys「Surfin U.S.A」


「悲しきテディボーイ」1992

これはやはり、
キャロル「涙のテディ・ボーイ」のパロディですかね~

「朝まで踊ろう」1992

これは舘ひろしさんの曲のカバー。


「ピンククリスマス」1992

元ネタはビング・クロスビー「ホワイト・クリスマス」
ビングとピンクを掛けたのでしょうね。


「涙のバケーション」1992

出だしはコニー・フランシス「バケーション」のパロディで、全体としてはアメリカンポップスを意識した曲。オールディーズのヒット曲のタイトルがたくさん出てきますね。


「please please me love」1993

そして、これがラストシングルとなりました。
なんだかんだ実質3年弱の活動。短かったですねっっ
その後はそれぞれソロに転向したのかな。

まあ、色々とありますよねっっっ

「あなたの夢の中 そっと忍び込みたい」1993

解散とほぼ同時に出た、宇徳敬子さんのソロデビューシングル。こちらはしっとりしたセルフカバーバージョン。
オリジナルもいいけど、こっちもいいですね。

まあ、
パロディ的な曲だけだと、長く続けるのは難しいのかな。
もともとコーラス出身の人たちと言うのもあり、それぞれの方針とか希望とか、色々と折り合いもつけないとだし。

短期プロジェクトだからこその、成功だったのでしょうね。


F2blogに書いてあるものを、訂正・加筆・リンク修正の上、こちらに再度マガジンとしてまとめてUPしています。

「My Favorites〜音楽のある風景」
 2021/08/08 掲載記事より転載


もし、こちらの記事を読んで頂いて、面白かった、参考になった…とそう思って下さったり、サポート下さいましたならば、心から嬉しく思います💛