![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/83497876/rectangle_large_type_2_73f65b3ef54249194f76a55b73dcc4ce.jpeg?width=800)
Mi-Ke - 想い出の九十九里浜 - 1991
![](https://assets.st-note.com/img/1658928747727-6df4CsiAIL.jpg?width=800)
懐かしいな 「夜もヒッパレ」でしたっけね??
「ザッツ・宴会テイメント」の方だったか??
逸見さんと三宅裕司さんが司会で、この番組のアシスタントというかマスコット的に出ていた時に、グループ名をつけられたんでしたっけね。
最初はB.B.クィーンズの音楽コーラス隊、
「B.B.クィーンズシスターズ」の一員で…
三宅さんの番組「いかすバンド天国」出身の、「たま」というバンドがいたので、そこからミケということになったかと。
「想い出の九十九里浜」1991
千葉県出身者としては、九十九里浜は定番中の定番。中学生が友人同士で行く海水浴場として、御宿も外せませんがっっ
けど外房は波が荒いのです。パンチ効いてます。でも、内房の綺麗な海、館山とか白浜とかは、ちょっと遠いからね。
して、千葉県民としてツッコミ。
九十九里で朝日は見れても夕日は見れませんっっ
そしてサウンドは完全にGS。はい、GSリバイバルプロジェクトってことだったらしいです。
「想い出の九十九里浜」は、「恋のフーガ」のパロディになるのかなぁ…曲のタイトルはたくさん出るけども。
「恋のフーガ」1967
「好きさ好きさ好きさ」1991
セカンドシングルですが。
てなわけで、これはカーナビーツ。
「好きさ好きさ好きさ」1965
最初にちらりと登場した、土居まさるさんが懐かしス。
「ブルーライトヨコスカ」1991
歌詞とタイトルは「ブルーライトヨコハマ」のアンサーソングですが、メロディは「夢見るシャンソン人形」や「急がば廻れ」のサンプリングですね。
「ブルーライトヨコハマ」1968
いしだあゆみさん若いっ
ちなみに歌手になる前は、フィギアスケート選手でしたね。
France・Gall「Poupée de cire, poupée de son / 夢見るシャンソン人形」1965
The Ventures「 Walk Don't Run / 急がば廻れ」1960
「白い白いサンゴ礁」1991
様々なフォークソングのヒット曲のタイトルを、順列組み合わせた歌詞でした。
「サーフィン・JAPAN」1992
タイトルは、
ビーチボーイズ「サーフィン・U.S.A.」のもじりですね。
The Beach Boys「Surfin U.S.A」
「悲しきテディボーイ」1992
これはやはり、
キャロル「涙のテディ・ボーイ」のパロディですかね~
「朝まで踊ろう」1992
これは舘ひろしさんの曲のカバー。
「ピンククリスマス」1992
元ネタはビング・クロスビー「ホワイト・クリスマス」
ビングとピンクを掛けたのでしょうね。
「涙のバケーション」1992
出だしはコニー・フランシス「バケーション」のパロディで、全体としてはアメリカンポップスを意識した曲。オールディーズのヒット曲のタイトルがたくさん出てきますね。
「please please me love」1993
そして、これがラストシングルとなりました。
なんだかんだ実質3年弱の活動。短かったですねっっ
その後はそれぞれソロに転向したのかな。
まあ、色々とありますよねっっっ
「あなたの夢の中 そっと忍び込みたい」1993
解散とほぼ同時に出た、宇徳敬子さんのソロデビューシングル。こちらはしっとりしたセルフカバーバージョン。
オリジナルもいいけど、こっちもいいですね。
まあ、
パロディ的な曲だけだと、長く続けるのは難しいのかな。
もともとコーラス出身の人たちと言うのもあり、それぞれの方針とか希望とか、色々と折り合いもつけないとだし。
短期プロジェクトだからこその、成功だったのでしょうね。
F2blogに書いてあるものを、訂正・加筆・リンク修正の上、こちらに再度マガジンとしてまとめてUPしています。
「My Favorites〜音楽のある風景」
2021/08/08 掲載記事より転載
もし、こちらの記事を読んで頂いて、面白かった、参考になった…とそう思って下さったり、サポート下さいましたならば、心から嬉しく思います💛