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不浄の家 不毛な地(後半)

後半が遅くなってすみません。
たいして忙しいわけでも無いのですが、予定が立て込んでいてなかなか書けず仕舞いでした。

過去の記事でも書きましたが「幽霊」は何処にでもいる…ので、いないところを探すのが難しいくらいです。
ただ、霊の波動(周波数)はピンきりで、属している幽界(サイキカル界)によって、自分と波長が合う(引き合ってしまう)か否か…なんですよね。自分のサイキカル体と相手のいる場所が異なっているならば、相手の存在をキャッチしたり、遭遇しないで済むことの方が圧倒的だから、別に恐れるに足らず、なんですが。

逆に波動の低い霊体…属する場所が限りなく三次元に近い、低いサイキカル界にいる場合は、気配としての存在感はありありですし。また、三次元への執着や想い残し、波動の低い想念の塊を所持している場合は、三次元に悪い影響(事象として)を及ぼすことも出てくるわけです。

事故物件が忌避されるのは、そういう理由ですよね。

とりあえず、
ジェノサイドなどのあった土地の話はおいておいて。

自殺や殺人事件、孤独死や遺棄による死亡など。そのような事件・事故が起きた場所に居残ってしまう「モノ」は、何も被害者や死亡者となった、御当人様の幽霊ばかりではありません。

土地や物件が記憶してしまう…という現象のようなこともあるのです。

カメラのフィルムと言うかネガ写真と言うかー日光写真のように…その場所や家そのものにインプリントされてしまうんですね。起こったことが。

まあ、それもエレメンタルと言えばそうなんですけどね。

とくに「湿気」の多いところでは、なかなか消えない異臭のように、それらが長期的に居残ってしまいます。

まあ、日本は湿気が多いですからね。

建物や土地が吸い込んでしまうかのごとく…

なので、たまにその土地や建物が記憶している情報を情景として読み取ってしまう人がいたりしますよね。
かつて人であった「幽霊」はもう成仏して次の段階に進んでいるのに…そして、その霊が残した感情(遺恨や無念)の残り香(想念としてのエレメンタル)すらも、もうその場所からいなくなっているというのに… 土地や建物に記録されたことを、そのままに感じ取ってしまうことから、「幽霊」が住んでいる、存在していると思ってしまう人もいるわけです。

まったくもって、このあたりややこしいんですけどね。

して、また話変わりまして。

「幽霊」と言っても様々なもので、生きている時の性格にしても、人は個性ある存在。他人に対して悪意のある人もいれば、善意の塊みたいな人もいるし、お節介だったり、コミュ障だったり、偏屈だったり、様々です。

死んだからと言って、急に性格が変わるわけでもない。
ただ、死んだときの状況によっては、喜怒哀楽の感情をその出来事(自分の死)に対して抱え込むもので。

人に殺されたならば、自分を殺した相手に対して憤り「なぜ、どうして」とか思う人もいるだろうし、起きたことが信じられない、何がどうなったか解らないという人もいるでしょう。トラブルが生じてのことなら、相手に対する憤怒や憎しみや恨みをたぎらせて、許せないどうしてくれようと復讐を誓っている霊もいるかもしれない。

んでもって、新しく転居してきた相手をその相手と間違えてしまう霊もいることはいる。間違えたわけではなく、まったくの赤の他人と解っていても、理不尽な死に対してのやるせなさやなんやかんやで、他人に対して攻撃になって、悪意を剥き出しにしてしまう霊もいたりする。生前と人格が変わってしまう霊もいなくはない。

殺人や孤独死による腐乱死体があった場所も、それだけで引いてしまうものだけど、物質的なレベルでの「お掃除」やリフォームが終わったとしても、目には見えないレベルで負の残留思念がてんこ盛りであったとしたらば…いやさ現実はその「目には見えないレベルでのゴミ」と言うのが、たくさん居残るのが実状なんですがね。

よっぽどの物では無い限り、目には見えない「ゴミ」は、大体、風通しよく、日当たりの良い環境でさえあれば、時間をかけて自然と浄化されていくものです。まるで生ごみが自然分解されるかのように。

けれど、不法投棄の粗大ごみやペットボトル、ポリ袋などの精油製品由来のゴミがちょっとやそっとの年月では風化していかないように、風を通したり、日の光に当てたりしても、どうにもならない想念体としてのゴミ…が実際問題あったりするんですね。これは事件・事故現場を普通のハウスクリーニング業者ではなく専門の特殊清掃業者に依頼しないことにはどうにも出来ないのと同じで、目には見えないレベルでの「お掃除」を得意としている専門家にお願いしないことには、片付けならん! なのでした。

その程度もピンキリ。怨霊級に恐ろしいものもいれば、素人に毛が生えた程度の人でも出来る軽度なものもありますし。

して、専門家ですけども。
神社なら、家屋の祓い。仏教なら真言宗・天台宗あたりの僧侶さんになるのかな?(日蓮宗の人も出来ると思うのですが)そちら方面の方に供養を含めてして頂くことになるかと。キリスト教に関しては、悪霊祓いをしているのはカソリックのみですね。しかもバチカンに認定された資格者のみ。プロテスタントの方はしてないはず。
それ以外だと、普通に霊能者さんとかの出番になるかと。

海外だと、シャーマンやメディシンマン、普通に霊媒さんや霊能者さん、ウィッチドクターや呪術師の出番ですって感じでしょうか。

さて…
誰しもが、「何かあった」家に住むのは心理的抵抗を覚えてしまうものだと思います。とは言うものの、大多数の人というだけであって、総ての人が同じってことでも無いのです。
そのような場所に対して心理的抵抗を抱かない人もいますし、中にはそのような場所の方が居心地がいいというツワモノもいたりするのです。

天国よりも地獄の方が快適だといわんばかりに。

霊の世界…サイキカル界もそうですね。

死んだあと、ようするに肉体が死滅して、幽体と霊体になり、三次元から四次元(サイキカル界)に私たちは移行することになるわけですが… 

低い次元のサイキカル界は正直言って、地獄のように酷いところなんですけども(ゴミだらけの汚屋敷や汚部屋みたいで、スムラ街や凶悪犯罪がはびこるヨハネスブルクみたいな悪の巣窟みたいなとこ。まるでマッドシティ)、そこがいいって言う人、そこに居続ける方がいいと…その上の段階に進むことを拒む人と言うのはそれなりに一定数いるのです。

彼らから言わせると、天国の方が居心地悪く、地獄のような場所であると… 美しい音楽を聞かせれば耳が腐りそうな雑音だと宣い、ヒステリックな声が飛び交い、頭が破裂しそうな爆音をBGMとする方が心地よく、香しい花の香りよりも、据えた腐敗臭やコカインや麻薬、シンナーなどの異臭・薬物臭の方が良い香りだと、本気でそう言う。

誰もが親切で優しく、笑顔で穏やかに暮らせる日常より、破壊され瓦礫の山と化した街並み、雑然と散らかったゴミの片隅に身を縮ませて、ギラギラして落ち着かない目をした仲間とつるみ、退廃的に過ごすことの方が快適であると、そのように思う人もいるのです。

なので、そのような人たちや霊たちにとっては、事故や事件のあった場所、憎しみやドロドロとした怨念、背筋も凍るようなサイコパスが残した、殺人日記的な遺留物がある空間が
何よりも居心地よい…と。

阿鼻叫喚の地獄でさえ、最上級のご馳走となる人もいたりする、この世の不思議。

もちろん、そのようなことを無反応に「気にしない」人もいるわけで。

てな感じで…
軽く?さくっと、取り上げてみました。

クライアントさんの依頼で、転居先の空間の「お掃除」や事後のメンテナンスはよくするけれども。幸いなことに、事故物件という事での依頼は現実レベルではまだ。
ボランティア(謎)では否応なくたまにさせられますし、夢の中では何度かしていますけどもっっw

私自身は、好んでそのようなところに住みたいとは思わないですかねー 1億位の豪邸を「事故物件だけど、ほぼほぼただで住んでいいよ」もしくは「あげちゃう!」なんて言われれば、「だったら、自分で掃除すればいいしー」なんて安易に考えて、るんるんして、ホイホイもらっちゃうかも新米ww
私好みの西洋館みたいなとこであれば、なお嬉し~

よっぽどの、
これ無理! ぜぇったいに無理!
無理無理無理無理無理無理無理無理むりぃー!
・・・ってのでない限り。

はい、そうですね。
わりといい意味で鈍感なところもあります。
気にしないところも。

他の人がここ不気味だし、イヤ無理ってとこでも、
私は平気でーす!入れまーすっってとこも多いですしね。
おかしいな、怖がりなのにっっ 
(死霊館見た日は、電気点けて寝ました)

ただ、人形が嫌いなので(クマもね)。
人形とかあるとこはダメだなあ。
まあ、苦手分野は誰にでもありますよね。

また何かありましたら、別途記事書きます。

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