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家族は鬼門と言うけれど…
クライアントさんに対してはともかく、家族に対しては本当に難しい。とくに目上の人、相手が親となるとなおさら。
こちらは子供という側になるので、お説教や諭しなどが耳に届くはずもない。それ以前に聞く耳を持ってはもらえない。

切っても切れない縁の、身近な存在なだけに、相手の問題が何であるか、よく解っているだけに、何も出来ないことがもどかしくもある。

ではそれが、相手に対する愛情であるか否かと問われれば、言葉に詰まってもしまうのだけれど。

その人は、西洋医学以外、医師の言う事以外は信じない。
その症状…突然に意識を失って倒れてしまう原因に対し、あらゆる検査をするものの、CTもMRIをしても、何処にも何も見つからず。ただ、持病(高血圧、糖尿病)はあるし、頸椎ヘルニアも患っている。しかし、現代医学ではとくにこれといった原因がないので有効的な手立てはなく、安静にしている以外はないとの所見。

おそらく民間療法にて、状況を改善したり、いくばくか症状を軽減させられる見込みがあるだろうと…そのような治療法を勧めても、断固として受け入れない。なにしろ現代医学と化学薬品信者とも言える人なので、民間療法の類、サプリメントやヘルスケアサポートを頑なに認めず、拒絶する。
どれほどの重度な肩凝りや腰痛でも、整体もマッサージも、指圧も胡散臭いと受けようとはしない。但し、素人の身内が手もみをするのなら受け入れるが、そのようなことをしてくれる身内もいまは側にいない。

この頑なさが何処から来るのか…

確かにまず、現代医学(医師)に頼ることは必要だ。血液検査を始めとして、あらゆる検査を受けて原因を精査することはもっとも初歩的で重要なことだろう。

だがしかし、医学は万能ではない。人の病、身体的不調のすべてに対応出来るものではない。それらのみが、不健康を正す技法でも知識でもない。もっと基本的かつ初歩的な方法の方が効果を奏することもある。

それは他人と話して不安を和らげることだったり、人の手の温もりや優しさを感じることだったりする。

他人と楽しく食事をすることや、笑うこと、神経がほんのちょっと興奮して刺激され、安らぎを感じてくつろげる、そんなひとときを持つことだったりする。

そして、何よりも過去のネガティブな出来事から意識をそらし、未来の希望に目を向けて、今目の前にある悦びに身を浸すことが肝心だ。

さて…その人とは誰であろう私の母なのだが。

35年前に他界した彼女の母(祖母)曰く…

何度囁きかけ、夢に出ては"しるし"を与え、あれこれと諭そうとしたが…一向に「前向きな考え」や「よき想念」に意識を向けず、相も変わらず、頭の中では過去の辛かった出来事を延々と上映し続け、他人に対する恨みや怒り、憎しみの情念を燃やし続けて、愚痴と文句を言い続けているので、もういい加減、働きかけるのに疲れてしまったと…

その愚痴と文句、恨み節の中には祖母に対するあれやこれやも含まれているので、それを聞き続けるのも、もうイヤでたまらず、これ以上は関わりたくない、触れたくないとさえ、顔をしかめて祖母は云う。

実の子ではあるが、この子はもう救いようがないと…助ける手立てがないと‥生みの母である祖母でさえ、とっくの昔に見捨てている始末。

祖母が脳内出血で半身不随になったのは50年近くも前だが、そのことにより、幽体離脱をしては九州から関東の我が家へと、時おり訪れて来ていた。
ご丁寧に玄関ドアの開く音がして、着物の衣擦れ、足袋のこすれる音を立て、襖をあけて、母を睡魔(金縛り)に落としては、その耳元に何度もお説教をする。

だが、その声、内容が母の心に届くことは無かった。

だからこその現在。
この世から…物質的次元から四次元へとステージを移し、肉体を失くして霊となってからも、祖母は頑張って時おり母に語り掛けていた。けれども、功は奏せないまま、もう数年前からあきらめて…いやさほとほと嫌気が指して、愛想が尽きてしまったのだと言う。

何とかしてほしいとの私の懇願にも、祖母は顔をしかめて、憂鬱そうに言葉を濁す。
「もう、あの子の自分を顧みず、ひたすら言い続ける悪口と罵詈雑言、自分に対する恨み言を聞くのはイヤなのよ」と。
(こんな綺麗な標準語では無く、訛りまくり)

母はすべての不幸の原因が他者にあると、他人のせいにする前に、自ら自分の人生を変えるべく行動を起こすべきだった。受け身に流されて、ただ我が身を嘆くことをするのではなく、切り捨てるべきものを切り捨てて、自らの自由を勝ち取るべきだった。

結婚が失敗であると、一生をともにすべき相手ではないと知ったその日に、荷物をまとめて故郷に帰るか、もしくはかつての友人を頼って、かの地に行くべきだった。

姉が生まれた段階でも、兄が死ぬ前でも遅くはなかったはずだ。妊娠が枷であるならば、中絶でも何でもして身軽になれば良かったのだ。

お前さえ生まれなければよかったのだ、生みたくなかった、お前さえいなければ、自分は離婚出来たのに…と、そう言い続け、虐待と責めを与え続け、子のせいにし続けることをするくらいなら。

父親やその兄弟姉妹、姑のせい、義実家のせいに…子供や環境のせいにすることをせず、そこから逃げ出せばよかったのだ。それをしなかったのは、母の責任だ。

タイミングを逸した後もチャンスは何度かあった。
私が親戚に暴行された時、目の前で見ていて助けなかった父に対して始めて怒りを表わすことが出来た時。
離婚をする機会なぞ、いくらでもあったろうに。それを選ばなかったのは母だ。憎悪の対象となる相手と暮らし続けることを選んだのは誰でもない、彼女自身。

なのに、あれから数十年経っても、彼女は頭の中で、そして友人や私や親せきに会ったり、電話する度に、過去の恨み節を、許せない相手に対する憎悪や憤怒の想念をまき散らしながら話し続ける。何度も何度も繰り返し、まるで昨日のことのように話し続ける。何度諫めても、話題を別の方向へそらしても、諭しても… 自分をいじめた相手、手酷い扱いをしてきた人への恨みをまるで塗り込めるように、機械のように繰り返し言い続ける。

同じ話をこれでもかと…それは毒を吐き続けるかのごとく。

ようするに、ネガティブなエレメンタルをひたすら創り続け、栄養を常に補給し、育てている状態。

彼女を霊視してみる。
それはそれはドス黒い塊。毒ガスのような、真っ黒な雲に覆われて、蝕まれた悪鬼のよう。

こうなる前に何故、救えなかったのか?
いやさ、それは難しい。
そこに愛はあるのか?と言われれば…

それこそ、「この人がいる限り、自分の地獄は終わらない」とまで思った相手だ。
自分を愛さず、憎しみをぶつけてくる親のことを、子供がそれでも愛して欲しいと…愛されることを夢見て、むくわれない愛をむけるのはせいぜい小学生くらいまでのこと。
彼女の置かれた立場を理解し、人として、同じ女として赦すことが出来た今とて、「子として母への愛情があるか?」と問われたら、答えるに迷いは生じる。

助けたいと思うか否か…

クライアントさんと同じく、相手から求められねば無理だと思う。言葉で、子の立場として接した時に、指摘することはしてきたつもりではあるが。

だが、自らの行いを振り返らず、行動や選択、考えの誤りを見つけようとしない人間に言える言葉は限られている。

ここは祖母と意見を同じくするところで。

母の…母の病の原因および、時おり意識を失くしてしまう病では無い症状の原因は、母自身が自ら生み出したものだ。
自分をそのようにいざなったというべきか…

別に先祖の因縁でも、霊障でも、祟りでも何でもない。
他人が母を呪っているわけでもない。

しいていうならば、母自身が自らに掛け続けた呪いだ。
自らの中に毒を創り、生み、増やし、その毒によって自らの身体と人生を侵し続けたのだ。
他人を攻撃する言葉が、戻ってきているだけだ。
その攻撃に受けて、倒されているに過ぎない。

心の毒が身体を蝕み、他人への攻撃的な感情が、結果的にブーメランになって自らを攻撃する刃として、自身を襲わせていたりする。

これを知っているからと言って、気づこうとしないものには何も出来ない。いくら肉親であっても、私がそれを取り除くことは出来ないので。本人が変わろうとはしない限りには。

出来ればこの世を去ることになる日までに、少しでもそのことに気づいて、これまでの人生での良かったことや楽しかったこと、感謝に身を委ねて、心安らかな日々をわずかでも過ごして欲しいものだが…果てしてそれが出来ていたならば、今このようなことにもなっていないであろうから。

ただ冷静に、見守っている自分をつくづく情の無い子でもあると思う。

やはり人は年を取るほど頑固になり、変わることが難しくなってくるものだと、つくづく。

怒りや憎しみの感情、想念を失くしていくことが、一番の健康で幸福に通じるのだと…改めて思ったりします。


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