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ジャンクフードみたいな恋が恋しい

いつものリビング。目の前には好きで一緒になった人がソファでくつろいでいて、膨らんだお腹の中にはその人との間にできたまだ彼女とも彼ともわからない、生命体がいる。

こんな現実が、私にもやってくるなんて。
あの頃の私に教えてあげたらさぞかし驚くだろうな。

あの頃の私は常に「誰かから愛されること」を尋常じゃなく求めていて。でもそれは自分もいいな、と思える人じゃないと意味がなくて。

こんなシンプルなことがなんでうまくいかないのだろう……と毎日、もんもんとしてました。

表向きには充実した活発な20代に見えていたと思うし、それも嘘ではないと思う。でも、仕事してても友達と遊んでても、どこか満たされない気持ちがあって。日々の景色が常にグレーがかったような……そんな感覚がありました。

全く何もなかったわけじゃなく、中途半端にいろいろあって掴みかけたこともあったからこそ余計に増す、虚しさ。

今はまるで人ごとのように思い出すそんなエピソードたち。

時間が経ちすぎて、もはや現実だったのか妄想なのかも曖昧になってきてるレベル。でも、ふとした瞬間に感覚的に思い出すそれらには、今はもう手に入らない不思議なときめきが詰まっていました。


神楽坂の夜。他の人と飲んでいたのであろう、金曜日。我が家の近くに来たときにだけ、連絡をしてくる人がいました。深夜にいきなり「今日おじゃましていい?」だなんて、気づかないフリして未読スルーすればいいのに。

会いたいと言ってくれる人がいることが嬉しくて。心が解放されている金曜の夜だから、どこか非日常を感じたい気持ちもありつつ。

メッセージが来てることにはとっくの前から気づいてるけど、すぐに返事をしたらシャクだから。「返事はすぐにしちゃダメだって誰かに聞いたことあるけど〜♪」頭の中のBGMは懐かしのYuiの曲。

「とりあえず終わったら連絡して」

結局大した時間を置けずに数分後には、せいいっぱいのそっけないフリでメッセージを返す。

そこから家で相手を待つ時間は、向こうにコントロールされている悔しさと、今夜何が起こるのだろう?という好奇心が入り混じる不思議な感覚があって。

緊張とも興奮とも言えない感情が爆発しそうになった瞬間に

「ピンポーン」

と鳴る、アパートのチャイム。誰が訪ねてきたのかがわかりきってても、いやわかりきってるからこそ、ドアを開ける瞬間は鼓動が高鳴る。

「おじゃまします」

手には見覚えのある「ディーンアンドデルーカ」の袋。たまたま持っていたのか、自分のために用意されたのかわからないまま中に招き入れると、答えはすぐに発表される。

袋から出てくるボトルワインと、マフィン2つ。今から飲み直すのであろうワインは、まだわかる。でも、マフィン?今から食べるにしてはあまりに違和感がある。

そこでふと「翌朝」の可能性を感じたあのときのときめきは、今でも忘れられない。ワインと共に更けていく夜と、マフィンと共に始まる朝は境目がなく。うっとりするほど境界線が見えない曖昧なあの世界には、もう二度と戻れないのだろうな。


恵比寿の夜。「デート」なんて名目ではないただの先輩後輩として「飲みに行きましょう」案件。

確か、飾らない雰囲気が魅力の和食屋で魚系のメニューを中心にあれこれ頼んだんだっけ。互いにビールが好きでよく飲んだけれど、私は弱いからすぐに酔ってしまう。

自分が酔っていただけなのか、お互いにそうだったのかはよくわからない。でも二人の間に漂うあのふわふわ感がなければ、次のお店にはきっと向かってなかっただろうな。

「行きつけのバーがある」とタクシーがつかまえられて、そこに乗らされて、次なる目的地に運ばれる。考えるまもなく、全てのことが自動的に進んでいったけれど、不思議と不安や疑問は何もなかった。

目的地に向かう間にふと手を置かれて、いつのまにか繋がれてたことも。何も不思議に思わなかったのは……きっとお酒のせいだと思う。

目的地に着いた後、細い階段をふらふらしながら上って。そこが彼女との行きつけのバーであることを、店員さんの言葉の端端で気づくことになるわけだけど。それでもあのときのふわふわとした幸福感は、今でもまだ忘れられずにいる。


渋谷の夜。駅から少し歩いたところにある、クラフトビールのお店。中はカジュアルで賑やかな雰囲気で、気の置けない人とふらっと入って飲むにはちょうどよくて。

その人が「気の置けない人」だったかというと……まあ違ったのだけれど。会うのが久しぶりすぎて、そんな雰囲気のお店を選ばないと緊張してうまく会話ができなさそうだったから。

学生時代はよく話していたし、みんなで集まる機会は何度かあったけど。あらためて考えると二人でゆっくり飲むのは、初めてに近かったかもしれない。

正確に言えば、チャンスは何度もあった。二人で飲もうと約束してても、直前になっていつもキャンセルされて。どちらからともなく少しずつ離れていったんだっけ。

そんな気まずい過去もぼやかしてしまうアルコールの力はすごいな、と思う。いざお気に入りのクラフトビールを次々に頼み、流し込んでいくと不思議と会話は続くもの。

会話の内容はほぼ覚えてないけど、「実はあの頃好きだった」と何かの会話のついでに言われたセリフだけはさすがに聞き逃せなかった。「私もそうだったけど、今さらだね」とだけ返して、またなんでもない会話に戻っていったのだと思う。

お店を出て、帰りに坂道を下りながら繋がれた手は「1日限定の両思い」の証みたいなものだったのかもしれない。

でも少しずつ駅が近づいてきて、互いの手は離れて、そこから二度と繋がれることはなかった。「限定品」はいつだって眩しくて、不思議な力を持っているものだなあと今でもふと思う。


いつもなら食べないカップラーメンだけど、今日は思いきって食べちゃおう!みたいな。その日だけの、栄養になることのない、ときめきたち。

歳を重ねるほど「健やかに生きたい」と願うのがあたりまえになって、不健康なものを食べる機会は減っているけど。

それでもあの不毛なおいしさはふと思い出すし、もしかしたら今でも無性に欲したり、おいしく感じてしまうことはあるのかもしれない。

でもそれはきっと過去の話、だからで。

「恋愛を模したもの」に固執すればするほど、自分の存在価値が下がっていくのを感じて。でも誰かにその瞬間だけでも求められるのが、嬉しくてやめられなくて。

そんな苦しみからやっとやっと抜け出して、今があるのだから。

きっと今いる世界は正解なんだと信じたい。

日々膨らんでいくお腹を見て、今の「現実」と向き合うたび。ふと、手に届かない場所にあるジャンクフードのような思い出が蘇ってくることはある。それでも。

ないものねだりを繰り返して前に進んでいくことこそ、「生きる」ってことだと思うから。

あの頃食べた不健康なものたちが、今となっては輝きを放ってるように。今の辛かったり不毛だったりすることたちが将来の自分にとっては、憧れになることがあるかもしれない、と信じて。

栄養たっぷりなものもジャンクフードも、全部食べてみて。

酸いも甘いも知った自分に、なっていけたら。

本当においしくなるにはまだまだ時間がかかりそうだけど……味わい深い自分を目指して。あれこれ食べ続けながら本当に大切な人たちと、生き続けていこう。

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