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Monochrome Diary 2024.2.5~2024.2.11

2024.2.5

お気に入りの喫茶店に行く。今回はあまり時間がなくて、ランチメニューのナポリタンを楽しむことを目的に行った。喫茶店は特別な空気があって、喫茶店だからこそ食べたいものがある。ありきたりではあるけれど、喫茶店で食べるナポリタンやホットサンドなんかはいつもより特別感があっていい。流行りの昔ながらの雰囲気を作り上げたものではなく、本当に何十年と続いている店はすごく落ち着く。そこでコーヒーを飲みながら本を読む。そういう時間を無性に欲する時がある。今度はゆっくりと、読みかけの本を持って行こう。

2024.2.6

映画「バトル・ロワイアル」を見る。いわゆる「デスゲーム系」ではあるけれども、鑑賞後今まで感じたことのない気持ちになった。最近まで「龍が如く6」をやっていたせいか、北野武と藤原竜也の組み合わせが妙にしっくりくる。「今日は皆さんに、ちょっと殺し合いをしてもらいます。」という有名なセリフが出た時、あぁこれのセリフなのかという感動と共に、モノマネでよくみるコミカルなものではなく、すごくシリアスな場面でのものだと知る。この映画が醸し出す独特の雰囲気は、北野武が出していたものだ。本来仲間であるはずの生徒の関係性が散り散りになっていき、協力する人もいて脱出へ動き出す、というストーリーではありきたりだ。だが、北野武演ずるキタノ先生の、腹の底を見せない不気味さと一人でラジオ体操をする少しの滑稽さと家族から距離を置かれている哀愁とがこのバトル・ロワイアルを指揮する者としての立場と混ざり合う。作中は主人公の藤原竜也演じる七原秋也をおっていくが、この物語の中心人物はキタノ先生だったと鑑賞後に深く考えてしまう。エンディングのDragon Ash「静かな日々に階段を」は元々大好きな曲だったのが、この映画の若者が悩みあらがって生きていく様子と重なって今までとは違う感じ方になった。


2024.2.7

Netflix「物ブツ交換」を観る。一人の男がジョージアで、辺境の地を巡り、日用品や古着を売って回る。辺境の地では硬貨ではなく、ジャガイモで支払いを行い、そこで手に入れたジャガイモを中心部に行って売る。その様子を追ったドキュメンタリーだった。23分の映像の中で、大きな起伏はない。ただ、人々が何かないかと日用品や古着を物色する。男は、それに見合うジャガイモのキロ数を伝え交換する。それだけなのだが、それが時そこの人々の生活だ。ある一人の少年が将来の夢について聞かれる。そばにいた母親は「ジャーナリストになるのよね。」というが、少年は答えられない。もじもじしたままそのシーンは終わってしまった。一人の老人は「昔は教育を受けて大学に行くのが夢だった。歳をとった今、豊作に恵まれて日々が暮らせればそれでいい。」と語る。子供には大きな未来があって、そこで何をするか夢を見る。その大きな未来を地道に歩んできた老人はついに夢を夢のままにした。少年は、自分の将来とこの村にいる大人の実態を顧みたのかもしれない。教育を受け、それでも踏み出さない自分は何がしたいのだろう。

2024.2.8

少し前に買ったプロレス本「告白 平成プロレス10大事件 最後の真実」を読む。僕がプロレスにハマったのはここ最近で、Amazonプライムで見られる「有田と週刊プロレスと」をなんとなく見たところからどんどんのめり込んでいった。そこで語られるのは、日本プロレス界で起こった数々の事件についてだった。それまでリング上の戦いは総合格闘技しか知らなかった。だが、その数々の事件を知るとリング内外で起こる物語の壮大さに惹かれていった。「告白」で書かれているのは、プロレス界で起こった、プロレスの今までの歴史を知る上では外せない新日本、全日本、ノアで起こった事件が当事者のレスラーたちの証言によってその時起こったことが明かされていく。こういうプロレスの歴史を見るといつも、多くの人の人生が複雑に絡み合っていると思う。プロレスという体を張り時には心まですり減らして行うスポーツを、全国各地でその力強さを目当てにくるお客さんにどう見せ、興業していくか。多くの人がそれを目指しているはずなのに、人間関係、お金、立場によって少しづつ軋轢が生まれる。今、自分が見ている華々しいレスラーたちの活躍は、こういった歴史の中で積み上げてきたものだと思い知る。

2024.2.9

眠れずに鬱々とした気分を晴そうとドラえもんの映画を観る。「映画ドラえもん のび太の南海大冒険」幼い頃に、映画館に連れて行ってもらって観た映画はたくさんあるけれど、ドラえもんの物語はいつまでも心に残る。幼児退行なのかもしれないけれど、幼い頃の素直な気持ちを思い出すことができる。なんとなく、よく観ていたころが(実家にあったVHSも含めて)、大山のぶ代の声のドラえもんだったから、昔のドラえもんの方が愛着が湧く。今のドラえもんは純粋無垢な少年の印象があるけれど、昔のドラえもんはのび太の保護者としての役割が大きく出てるのか少し大人めいているようで、抜けているところもあって愛くるしい。

2024.2.10

TEAM NACS「下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。」を観る。多くの人がそうだろうけど、元々「水曜どうでしょう」が好きだった。日本全国、世界各国飛び回るものの、名所に行くわけでもなくほとんど車内で繰り広げられる番組だが、トークと予定通りには行かない行き当たりばったりな旅の様子がとても面白い。NACSの舞台は、5人のバラエティ性があって、笑いがたくさん詰まっているけれど、最後は必ず落ち着いて終わる。初めて観たのは、兄が連れて行ってくれた「悪童」の地元公演だった。端っこで全体が見渡せる席ではなかったけれど、5人の演技の迫力が凄く印象深く今でも覚えている。映画をよく見るようになって、演技に注目してみるようになった。「水曜どうでしょう」をよくみていると、安田顕は面白いいじられ役の印象しかない。けれど、その演技を観ると、もちろんそのコミカルさが全面に出る時もあるが、シリアス一面が出た時がとても渋い。一番は鬼気迫るシーンでの表情が好きだ。特に舞台を見ると、その舞台上の熱気で汗をダラダラと流し、目を見開き大口を開けてセリフを叫ぶ。心から唸るほどかっこいい。

2024.2.11

どうしても眠れない夜がある。1日どんなに動き回っても、スッと眠りにつけない。「眠れない」ということだけが頭の中をいっぱいにする。気を紛らわすために、様々なことをする。本を読んだり、映画を見たりするけれど、お話に集中してしまって、終わりまで見てしまう。ラジオや音楽を聞き流していても、頭の中に複雑な思考が滞留していっぱいになる。言葉や歌詞の一つに意味を見出し、連想して、思考の旅が始まる。耳にするのは無意味なものでなければならない。最近は、ドラムがビートを刻むだけの動画を見つけて、音量をできるだけ絞って、その音だけに集中し、いつの間にか眠るのを待つことが多かった。無音は怖い。物心がついた頃に、一人で布団に入り薄明かりの中で考え事をした。いつの間にか死を意識するようになり、周りの人間もいつかは死んでしまう、自分もいつかは死んでしまう、死後の世界はあるんだろうかと考えてしまった。いつの間にか、目の前の薄明かりは、ボーと暗くなってきて、暗闇に引きづり込まれそうな感覚になった。その感覚が、それから十数年経った今でも眠れずに無音でじっとしていると襲ってくる。だから、どうにかその感覚に陥らないようにグダグダと試行錯誤する。いつもようやく眠れるのは、逃れようのない明かりが照らしてくれる日が登ってからだ。


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