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ココロノキズ

傷は、勲章。

誰が言い始めたのか、分からないけれど、上手な表現だと思う。

私の身体にも、その勲章きずが存在する。


記憶はないけど、幼少期に、何かで小さく火傷した左腕。

小学生の頃、校庭を無邪気に走り回って、
転んで、ぶつけて、傷ついた両膝。

てんかん発作で、卒倒した時に、
格子のドアにぶつけて、真っ直ぐな線がついた鼻。
無意識に、歯を食いしばってしまっていたために、歯型がついた舌。

てんかん治療のための薬の副作用で、
眠気が収まらず、授業を聞いていられない悔しさから、
シャープペンシルで刺した左手。


この傷たちは、一部、僅かに残っているけれど、
大半の傷は、しっかり閉じて、痛みはない。

見えていた傷たちは、時間と共に消えていく。


だけど、一方で、見えない傷、
勲章とも呼べない、いや絶対に呼びたくない、
心の傷ココロノキズは、先程のとは、比べものにならない。

私の場合、いまだに残っていて、
その季節になったり、
夜が更ける度に思い出し、傷たちがうごめく。



最近は、
後輩たちが、修士論文や学士論文の発表準備に勤しんでいる様子を見ると、

「先生にとって、俺の修士論文よりも、
後輩(=わたし)の(学術誌投稿用の)論文が大事なんだ。」

4年前に、先輩から直接言われた言葉を思い出す。

先輩の修士論文添削と私の投稿用論文添削が重なってしまい、
さらに、先生の悪い癖で、一向に添削が進んでおらず、
締切が迫る中、急に言われた。

わざと被せたわけじゃないのに。
なぜ、こんなこと言われなきゃいけないの?
今も思い出して、苦しくなる。


言葉よりも、もっと残るのは、嗤った顔。

学部生の時、バイト先の塾の先輩は、同じ大学の人だった。

だけど、私を見下すような言葉をかけてきた。
俺の方が、頭がいい、みたいな態度で、ずっと接してきた。

私がミスをすると、嘲笑にも似た歪んだ嗤みえみを浮かべながら、
私のことを横目で見る。

それは、私にとって、とてもセンセーショナルなことだった。

当時の私は、今よりも敏感で、
てんかん治療・診察の度に、向けられているような視線と
同じ気がしてならなかった。

バカにされていることよりも、
こっちの危機感の方が、すさまじかった。

だから、結局、私は、バイトを辞めた。
そんな人とずっといることが耐えられなかったから。


ココロノキズは、数えるとキリがないほど、あるけれど、
どれも、傷が塞がっていない。

傷を塞いだと思えば、
傷が塞がったと思えば、
かさぶたごと、剥がされ、液体があふれ出す。

私は、フラッシュバックしやすい体質なので、
これらの繰り返し。


応急処置的に、絆創膏を貼るときもあるけれど、
絆創膏じゃ、やっぱり治らないし、
クリームを塗っても、治らない。

やっぱり、ココロノキズは、勲章にもなり得ない。

反面教師や戒めとして昇華させたり、
誰かの愛や優しさを受けたりすることで、
ほんの一部が治るだけ。


どうすれば、すべて治るのだろうか。

考え続けるけど、私にも分からない。


ただ、私にできることは、

今、現実世界やnoteで付き合っている人たちや、

これから、出会う人たちに、

そんなココロノキズを増やさないように、

また、ココロノキズに気付いて、寄り添うこと、

そして、できれば、
ココロノキズを付けようとする人に毅然と立ち向かうこと

だと、今、再び、思う。



私も皆様にとって、そんな存在になれれば、と日々精進します。

私も皆様と一緒に、乗り越えていきたい、と考えています。

よろしくお願いします。


カモさんのnoteに触発されて、書きました。


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