まだ、定義がなかった新しい言葉が私だったとき
私はヤングケアラーで毒親育ちでネグレクトだった。
まだ、この言葉がなかった時にその立場だった。
ニュースで初めて、聞いたときにこれは私だと思った。
さかのぼると・・・。
(ここからかなり、長いので飛ばしてもいいかもしれない。)
私の家は家事が苦手な母と亭主関白な父と姉弟で構成される。
小学生になったら家の掃除をする。
両親が帰宅する前に洗濯、掃除をする。
洗濯は家族全員分。掃除は自分たちの部屋以外のリビング、両親の部屋や水回りも含まれる。
掃除機をすべての部屋をかけるし、まるで主婦が一日する量をやっている。
共働きの家庭で母は料理のみ。
週に3回は出来合いやレトルト。
父が野菜を食べないから肉・魚を焼いただけなど簡単な料理しか出てこない。
手の込んだ料理や掃除からの解放は祖母がきているときや長期休暇で祖母の家にいるときのみだった。
ちなみに父は何もしない。
ほんとになにもしない。
弟の学童の迎えは私や姉が中学生になるまで毎日、行っていた。
連絡帳の記入も私が担当していた。
弟が学校や保育園を休む時、両親は休まず私か姉が休む。
私や姉の場合は一人でお留守番だ。
どんなに高熱が出ようが関係ない。
私が学校で貧血で早退するときは夕方までだれも迎えに来なくて、先生が痺れを切らし送っていく事案まで発生する。
今ほど、虐待が身近な言葉ではないから見過ごされたが現代では大問題だ。
高校生になると私も姉もバイトや奨学金を利用して学費やケータイ代、お小遣いを補い、家庭に3万円も入れていた。
高校卒業後は看護師・医師になれる学校か旧帝大のみ進学が許可される。
看護学校はどこでも良いわけでもなく、母が認めた学校以外はNG。
国公立以外は基本NG。
これではバイト週5の高校生は進学できない。
しかも、土日祝は朝からしっかり、働く。
扶養のギリギリまで働いていた。
学力は一応、推薦で関東私立大学はいけるが母親がNG。
学校から説得されたが駄目だった。
私より学力が低い、同級生が進学するのは気に障るがしょうがない。
そうして、私と姉は就職した。
姉は逃げるように上京して距離を置いた。
たぶん、金銭的な援助はするが物理的距離を置いて、精神的な安心を手に入れたかったからの行動だと思う。
18歳の姉は長女であったが苦しかったから納得の行動だ。
私は地元企業に就職した。
実家から通った。
弟を置いていくことはできず、高卒では高給取りになれず一人暮らしを始めるほどの給料もなかった。
できるだけ毎月、それなりの額を家庭に入れた。
そして、弟が高校へ入学するときに母が再婚した。
(離婚の話はこの後に書きます。ちょっと、長くて量が多い・・・)
再婚相手は会ったことはなかった。
祖母は大変、反対した。理由は納得。
再婚を機に関東へ引っ越し。
息子は置いていく。
娘は会ったことがない。
そして、まさかの実家で二人暮らしがスタートした。
ここでの援助は弟の学費のみ。
この学費も祖母からの仕送りだったそうだ。
たった、十数万円の給料のOLが高校生と二人暮らし。
生活だけでカツカツ。毎月、給料日前はひもじかった。
北海道なのに冬は雪が降る日以外は暖房禁止。
シャワーは10分。就寝時は必ず、暖房を消す。
食事・勉強の時のみ電気をつける。
唯一の娯楽であるテレビはOK!にして切り詰めた。
それに加えて、高校生の保護者としてすべての対応して進学するために金銭の援助や手配、奨学金の保証人までなった。
残念なことに年頃でもあるので部屋数が必要のため実家から引っ越さず、高い家賃を払っていたが名義が母親で支払いは母経由で対応したため何度も督促状が届き、しまいには追い出された。
ここまで読んだ人ならわかるはず、母はお金の管理ができない。
が、管理したがる面倒な人だ。
滞納があり、弟が卒業後も引っ越せなかったのもあるが家族が引っ越すときにみんな、夜逃げのように必要最低限で出ていき荷物を残したままだった。
(滞納を自分で払えるような金額ではなかったので自分ではどうにもできず、知識もなく最悪な事態になってしまった。)
これでは引っ越しが簡単にできず、お金を払って業者を呼んで掃除をしてもらい滞納などはすべて、私が精算した。
(一括ではなく、分割で数十万円くらい、百万円弱くらい・・・?)
私も逃げたらよかったのになぜ、実行しなかったか?
言い訳かもしれないが荷物があることと転職したばかりでそこまで頭が回らず、放置し追い詰められて引っ越しした。
笑ってしまう話かもしれないが彼らが放置した荷物は家電も含めて、2トントラック満杯だった。
終わった後に清々しく、家族と、彼らと、縁を切った。
(一応、連絡は取れる状況なのでなにかあれば、対応する感じです。)
ちょっと、先に触れていた”両親の離婚”についてですが父親が不倫をし、そのあとに母親が不倫。家庭別居経ての離婚。
しかし、母親は家庭の終末を迎える時にはお金の管理をしていたがローンを滞納していたため実家であった一軒家は差し押さえされた。
前でも触れていたが管理ができない母は家庭のお金を自分で使うため、教科書代などを使い込み学校から督促状が届いて発覚する。
これは後の出来事になるが弟の奨学金を使い込み、退学危機になり私が立替ているとなっているがまったく、返済されず5年が経っている。
まぁ、奨学金を弟が真面目に返しているのであげたものとして流している。
父親についてですがかなり、暴力的で敬語じゃないと殴られる。
門限を破ると締め出される。マイナスの外気でも平気で数時間放置。
門限を破るといっても下校時のバスが遅延してどうしようもないものだ。
反抗すると着の身着のまま、追い出られる。
しかも、半日とか・・・。冬でも関係なく。
お風呂場の水に顔を沈められるなど・・・。
そんな状況から母親は逃げるように部屋を借りた。
そうして、夜逃げするよう?半ば、追い出されるように出ていった。
出るときは外に荷物をすべて、投げ出して母親が借りた部屋に避難させた。
その時、母親は不倫相手と旅行にいっていた。
これ以上は細々しているので割愛します・・・。
その後、母親も父親も不倫相手とは別の相手と再婚している。
当事者としては今までの出来事は茶番かと思ってる・・・。
そしたら、なぜ子供がいるのか?
父親が長男なので後継ぎで男の子が欲しかったから。
ただ、それだけらしい。
こんな生活をしていてようやく切り離して生活して何年かしたときにニュースで冒頭の3つの言葉に出会った。
あぁ、私はこれだったのか。
そして、これは問題な状況だったのかと腑に落ちた。
現象に定義されて名称をつくと一気に広がって議論される。
より良い方向に進んでいる様子をみて、少しでも良くなればって思うけどなんでももっと気づいてくれなかったの?とも思う。
それでも新しいルールが増えるのは世の中が進化しているのかもしれない。
自分は逃げたから新しい言葉は蓋をしていた重たい気持ち、辛い気持ちを沸き立って苦しくなっていく。
定義されたからこそ、自分は不幸だったと実感してしまった。
ただ、定義されて広まって認知されて一人でも不幸な状況から打開できればいいなと思う。
薄っぺらい考えかもしれないけど新しい言葉ができて定義されて、だれかに考えてもらえたらどこかで改善できるかもしれない。
冒頭、3つの言葉だったあの時の自分はただ、隣にいてほしかった。
自分で環境を飛び越える力を蓄えるために。