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環境からつくらなきゃ福祉はラチがあかないのかも知れない

支援の現場で当事者の支援をしていく上で、「アセスメント」としてその方の生活歴とか生育歴、どんな経験をしてきてそれらがどんな生きづらさに繋がっているのか、ということにしょっちゅう触れます。
 
 
今支援者の目の前に見えている問題や課題というのはどこまでもいろんな事柄がもたらすひとつの結果で、往々にして今見えていること自体が問題である、ということは少ないんです。
 
 
僕らの分野ではよく「二次障害」という言葉を聞きますが、実際に診断されている障害自体が生きづらさに直結していることばかりではなくて、特に社会参加に向けた支援をする場合に解決しなきゃいけないジョブの多くは二次障害的な要素が多かったりするような肌感覚を持っています。
 
 
つまり、本人が持ち合わせている固有のものよりも、それによって得てしまったネガティブな体験や記憶、周りの環境や人的な環境の中で「生きづらく」なっていったその果てが今の生きづらさになってしまっている、というような感覚でしょうか。
 
 
ずっと支援の現場で本人の直接支援を行なっている中で、僕自身が強く感じたのは「生まれて育つ環境が、人の生き方をどれだけ育んだり拗れさせたりするか」という影響力の大きさで、ちょっと偏っているかもしれませんが、どんなに目の前の当事者の今だけに向き合って支援をしていても、きっとこれは人が生きる環境自体が変わらないとずっとイタチごっこになってしまうんじゃないかと思うようになりました。
 
 
僕は「まち」を作ることがひとつの大きな夢なんですが、そもそもそう考えるようになったのも「環境」のあり方についてのひとつの自分なりの答えなんだと思っています。
 
 
 
僕は障害福祉という分野にいて、そのお仕事をしつつ個人活動である「ふくし会社margin」というオンラインコミュニティの活動を通じて他の分野の福祉にも触れさせてもらうことが少なくありません。
たかだかひとつの地方都市の中でさえ、今たくさんの生きづらさを感じている人がいます。
 
 
もちろん病気や障害のために物理的な困難さが生じてしまう場合もあるんですが、それ以上に社会的な要因で生まれる生きづらさの多いこと。
 
 
ひとつひとつの分野や項目を細分化していけばそれぞれ細かい要素はあるんですが、グッと括ったときにその根っこにあるのは「孤独」とか「孤立」が生まれやすい環境が横たわっているんじゃないのかなぁ、と思うんです。
すごく漠然とした表現になるんですが、温度を感じられない環境ばかりになっているんじゃないか、という感覚です。
 
 
 
全然関係ない話かも知れませんが、公園の遊具は怪我をするリスクがあるから使えないようになったものがたくさんあります。そうすると公園に子どもや人が集まらなくなります。
人はいろんなものがまとまってぶち込まれている商業施設に買い物に行きます。故に小さなお店には人があまり寄らなくなります。
人の移動は車や電車、飛行機になり、道を歩く人の姿も減ります。
 
 
犯罪などのリスクなどもあるからか、マンションやコーポで自分の隣に住んでいる人が誰なのかを知らない、ということはもはや珍しくありません。
人が集まるのは都市の中心部と大きな商業施設にまとめられていき、それ以外は出来上がったコミュニティがポツリポツリと点在している、みたいな。
 
 
風景だけ見ても、少なくとも僕が住んでいるまちの景色からは人の温度を感じられる場所は少なくなったな、と思います。
 
 
しかもこのコロナ禍で外出すらも制限されることがあり、段々と人は「用事がなければ」活動しない、というベクトルにより進んでいます。
 
 
そういうことだけじゃないのは重々承知しているんですが、その景色はそっくりそのまま人と人の距離も離してしまっているんじゃないか、と思うんです。
 
 
 
 
ちょっと話がだいぶ逸れてしまったかも知れませんが、少なくとも支援をしている中で行き着くのは、ほとんどが人のあったかさみたいなものに触れられていなくて生きづらくなってしまう人、社会の仕組みのレールから外れたが故に生きづらくなってしまった人、「分断」の狭間に落ち込んでしまって生きづらくなってしまった人のような気がしています。
 
 
当事者だけを支援すれば解決する問題なんて本当に一部分で。
 
 
むしろ必要なのは、人のあったかさにたくさん触れられる環境だったり、敷かれたレールからはずれたって別の道があることだったり、合理化や効率化によっていろんなところに生まれている「分断」を少しでもなくすことだったり、そういうことに具体的に取り組まないと、結局どこかで新たな生きづらさが生まれていくような気がしてなりません。
 
 
多分それは、物理的な場所かも知れませんし、手段(インフラ)かも知れません。そして意外と接点なのかも知れないと思っています。
 
 
ドライにビジネスライクなものではなく、インフォーマルな環境をどうやって作っていくか。
 
 
もしかしたらそろそろ「個」に対する支援よりも、その個人が生きていくための環境そのものを調整していくことの方が重要な支援になるんじゃないかと思い始めています。
 
 
人が生きる環境自体が負のサイクルの製造機にならないようなアクションを、僕ら福祉の側から生み出しにかからないといけないんだろうと思っています。
 
 
ちょっとまとまりはないかも知れませんが、どうやって考えても今は個の支援だけじゃもう全く足りていないな、と感じている、という話でした。



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